今回のテーマは海援隊士について。
浪人結社である海援隊には
実に有能な人材が集まってきたのだ。
まずその中で一番の出世頭が陸奥陽之助だろう。
のちの陸奥宗光である。
陸奥は先日の「いろは丸事件」で揉めた
紀州藩の出身,脱藩浪士である。
家柄は父が藩政の中心に関わるほどの高官で,
その六男坊だった陽之助は弾けるように藩を飛び出した。
もともと頭の切れる若者だったので,
世の中で自分が執事出来るような人物はいないかとさぐっている時
出合ったのが坂本龍馬だったのだ。
龍馬もこの生意気すぎる若者をかわいがり,
『刀を捨てても生きていけるのは俺と陸奥の二人だけじゃ』
と言ったとか。
明治に入り,投獄されたり,下野したり,すったもんだしたのち,
伊藤博文内閣で外相に就任。
血湧きあがるほどの情熱をもって外交に臨み,
領事裁判権の撤廃や下関条約での有利な条項を勝ち取ったのだ。
その他の海援隊士では長岡謙吉を紹介しよう。
彼は海援隊の実務を執り仕切り,大雑把な連中の中で
淡々と書物を記したり,財務を担当した。
今回の「船中八策」の清書や,後から出てくる
明治政府の役人名簿を清書したのもこの人だ。
かのシーボルトから医学を学んだことがあるなどの経歴をもち,
龍馬死後,二代目海援隊隊長に就いた。
まだまだ魅力的な人物が多い。
沢村惣之丞は龍馬と共に脱藩の道を駆け抜けた同志であるし,
高松太郎は龍馬の甥にあたる。(姉・千鶴の子)
高松太郎は子どもがいなかった龍馬の家督を正式に継ぎ,
坂本直として龍馬の家系をつないだ人物だ。
ちなみにその子孫の方は今でも北海道に在住である。
近藤長次郎 もそうだし,とにかく龍馬に惹かれ,
そして龍馬と共に激動の世を生きた若者たちの群像,それが海援隊なのだ。
かしこ