今回の龍馬伝で池内蔵太(いけ くらた)が遭難し死んでしまいました。
薩摩で療養していた龍馬にとっては,まさに悲しみの絶頂だったはずです。
その時難破した船が「ワイル・ウエフ号」です。
龍馬は本当に船好きで,当時の武士の中でも
群を抜いて乗船回数が多かったそうです。
自分で海軍を作ろうと思い立ったのも,
黒船に乗って海を走り回りたい!というのが本音だったのでしょう。
では,龍馬と船の歴史をみてみましょう。
まず,初めて龍馬が黒船を見たのが,
かの東インド艦隊指令長官・ペリーが浦賀にやって来た黒船来航です。
この時龍馬は剣術修行のため江戸に留学しており
沿岸守衛のため品川まで土佐藩士として出向していました。
モウモウと蒸気をはきながら走る4隻の黒船を目の当たりにし,
あ~・・・わしもあんな大きな船に乗ってみたいぜよと思ったのでしょう。
江戸留学中に,軍学を指導していた佐久間象山に弟子入りしていることからも
いかに,新し物好きだったかがわかります。
土佐に戻った龍馬は船の事が頭から離れず,
近くに住んでいた河田小竜をたずねては,外国の話を聞き入っていました。
ちなみに,この河田小竜はジョン万次郎から直接話を聞き,
当時のアメリカの様子を「漂巽記略」に書いた人物です。
それから7年後の1862年2月,土佐を脱藩した龍馬に転機が訪れます。
師匠・勝海舟との出会いでした。
海舟との関係はまた後に譲るとして,
そこで龍馬『海軍』というものを知る事になるのです。
龍馬伝の進行と共につづく。。。
薩摩で療養していた龍馬にとっては,まさに悲しみの絶頂だったはずです。
その時難破した船が「ワイル・ウエフ号」です。
龍馬は本当に船好きで,当時の武士の中でも
群を抜いて乗船回数が多かったそうです。
自分で海軍を作ろうと思い立ったのも,
黒船に乗って海を走り回りたい!というのが本音だったのでしょう。
では,龍馬と船の歴史をみてみましょう。
まず,初めて龍馬が黒船を見たのが,
かの東インド艦隊指令長官・ペリーが浦賀にやって来た黒船来航です。
この時龍馬は剣術修行のため江戸に留学しており
沿岸守衛のため品川まで土佐藩士として出向していました。
モウモウと蒸気をはきながら走る4隻の黒船を目の当たりにし,
あ~・・・わしもあんな大きな船に乗ってみたいぜよと思ったのでしょう。
江戸留学中に,軍学を指導していた佐久間象山に弟子入りしていることからも
いかに,新し物好きだったかがわかります。
土佐に戻った龍馬は船の事が頭から離れず,
近くに住んでいた河田小竜をたずねては,外国の話を聞き入っていました。
ちなみに,この河田小竜はジョン万次郎から直接話を聞き,
当時のアメリカの様子を「漂巽記略」に書いた人物です。
それから7年後の1862年2月,土佐を脱藩した龍馬に転機が訪れます。
師匠・勝海舟との出会いでした。
海舟との関係はまた後に譲るとして,
そこで龍馬『海軍』というものを知る事になるのです。
龍馬伝の進行と共につづく。。。