マクロスFrontier | †厭世主義者の独り言†

†厭世主義者の独り言†

或いは廓に棲む妖の歌




《『マクロスF』について全力で考察してみた》


僕の全力なんて我ながら高が知れていますが。

カラオケに行くとたまに友達が『星間飛行』と『ライオン』を歌います。なのでマクロスシリーズを観たこと無くともこの2曲は知っていました。それで、この前李緒とカラオケに行った時にライオンをうろ覚えで歌ってみた。その際に李緒とこんな会話をした。

「アルト良いよねアルト」
「うん。マクロス見たこと無いけどアルト良いよね」

そんな会話が切っ掛けでフロンティアをDVDレンタルして某人と一緒に観ました。



取り敢えず、アニメを観る前からの疑問が有る。
「何故シェリルは歌と通常で中の人が違うのか」
最近の声優は歌も注目されるから、歌えない人はあまりいないと思うのだが。それともシェリルの歌声に相応しいとしてMay'nさんを採用したものの、通常の台詞の演技が出来ないので遠藤さんも採用したのか? それでもわざわざ歌と台詞で違う声にしなくても良いと思う。若しくは、よく居る、歌うと何故か声が変わる人、みたいなのを表現したかったのか? それでもやはり人を変えなくても良い様な…。

結局アニメを観ただけではその疑問は晴れなかったが、劇場版のフロンティアを観て、一昨日買ったフロンティアのvocal collection CD『娘たま♀』の詞や楽曲解説を読んで、なんとなく解りました。
多分、“「銀河の妖精」シェリル・ノーム” と 1人の女の子“シェリル・ノーム”を大幅に分けたかったんじゃ、ないかなァ…? 究極的に言えば、外面と内面、みたいな。いや、多分ね、多分。




続いてアルトについて。
アルトの兄貴分が何回かアルトに「結局“役”を演じる事から離れられない」「それが自分の血だ」「そうやって今も“パイロットになりたい役”を演じている」とか、実際の台詞はよく覚えてませんがそんな内容の事を説いていましたが、なんだか一種のマインドコントロールの様に感じました(笑)。そうやって、結局自分は役者であり、役者から逃げて自由になった役に陶酔してるんだ、だから本当の本当はパイロットになりたかった訳じゃ無いのかも知れないと、(実際にアルトはそういう思考にならなかったとしても、そう考えたと憶測する)思考を弾圧してそう思い込ませようとしてるとしか思えませんでした(笑)。
でもそう考えると、『人間の魂』こそが『人間という肉塊』が演じる役⇒人間は皆『自分』という役を演じている⇒“役=偽りの本心”こそが正しく本当の本心→「結局“役”を演じる事から離れられない」なんて当たり前→パイロットをしたいのは本心⇒役=演技なんかじゃない! という結論に僕は至った訳ですが、それでも「役じゃない!」→「否、それは役に過ぎない」⇒無限ループになる気がするので、やっぱりマインドコントロールじゃないのか?wwww

でもアルトも「これが俺の舞だ!」と吹っ切れた感じだった様な。役でも良い、それでも飛びたいんだ! みたいな。

まあ何にせよ、結局シェリルとランカのどっちを選ぶのかが気になるところですが、敢えて決めずに終わらせるってのが面白いというか、やっぱり決めて終わられるとその後の想像の余地がなくてつまらない気がします。その後の想像なんてしないけど(笑)。

その点、劇場版の完結の仕方はなんだかがっかりだったなァ。シェリルも最初から絡んでるから、TVアニメでは「ランカを守りたくて」というところが、視聴者の気付かないところで緩やかに「シェリルを守りたくて」にすり替えられてる気がする。アニメで「ランカを守りたい」のがはっきりし過ぎなので、劇場版でもそうなのかと錯覚してしまったけど(最初から知り合いだったし)、けど劇場版ではそこがはっきりしてない。悲鳴をあげるランカに気付いて「守らなきゃ」と思ったにしても、そこにシェリルもいたのだからシェリルも守らなきゃと思ったに決まってるであろう。シェリルとの遊ぶシーンも、アイモの説明の為とはいえアニメより多くなっているし、ランカとバスに乗って2人きりのシーンでは、はっきりシェリルに好意があるのを認めている。




ところで、最終決戦前から、アニメと劇場版でランカとシェリルがそっくり逆転してる。助ける事に失敗したこと、最初は1人で歌い、後から2人になること、決戦直前にアルトに告白したシーンなんかは、台詞まで一致する。逆説的に考えれば、劇場版ではっきりシェリル落ちになっているので、アニメ版はもしかしたらランカ落ちなのかも知れない。それに最初にランカを守るシーンも、アニメではシェリルがいなかった訳だし、ランカも知り合いではなかった。ボディーガードつきで避難したシェリルより、今日知り合ったばかりの女の子(ランカ)を守ろうとしたことに、意識しなくとも心が動かないがない。

殆どの人はアニメ→劇場版の順で観るだろうし、それなら記憶に新しい劇場版の方が頭に強く残る上、アニメでは結局トライアングラーなままで終わったのに劇場版でのシェリル落ちのインパクトのせいで、アニメの記憶にもパラレルワールドである劇場版の記憶が反映されてしまう。だからどうしてもランカが可哀想という思考に陥ってしまうのだが、よく考えるとそうでもなさそうだ。
そういう想像をさせる為にアニメ版はああいうラストで、逆説的に裏付ける為の劇場版=if(もしも)の物語なのかも知れない。いやァ面白い作り方をしますなァ製作者。

いやでもコレ、あくまで僕個人の憶測に過ぎないからね。製作者の本意は違うかも知れないし何も考えてないかも知れないよ!