おはようございます
ん…もうこんにちはかな
寝坊気味なRuRi℃aです

今日はパレスチナ問題についてお話します

みなさんはパレスチナ問題って
実際どんな問題か知ってますか?

『ユダヤ人とアラブ人が土地を取り合ってる』
という説明もできますが…
そんな単純な問題ではないことを知ってほしいです

私たち日本人が考えるほど
パレスチナ問題はEasyではないのです

パレスチナ問題は解決策が見つからずに現在も足踏みを続けています

国際社会もパレスチナ問題から
目を背けているような
そんな感じがします

前回も述べましたが
中東問題は大国の関与がきっかけになっていることが多いのです

このパレスチナ問題も一見、民族問題と思われがちですが
実は20世紀初頭のイギリスによる多重外交によって引き起こされたものなのです

簡単に説明すると
イギリスが結んだ外交は3つ

・フセイン-マクマホン協定→トルコ(当時のオスマン帝国)にいたアラブ人達に対トルコ蜂起の見返りとして独立国家を約束

・バルフォア宣言→ユダヤ人たちにユダヤ人ネットワーク資金提供の見返りとして独立国家を約束

・サイクス・ピコ協定→オスマン帝国領をイギリス、フランス、ロシアで分割し、パレスチナは国際管理地とする

見ての通り矛盾しかないでしょう

ユダヤ人アラブ人それぞれがこの約束を信じた
…しかし実際に採用されたのはサイクス・ピコ協定であった

裏切られた人々たちが反乱を起こすことが目に見えるでしょう?

パレスチナ問題はアメリカがイスラエルをむやみに支援したからどうのこうのというお話はもっと後のことです

全てのきっかけは
『イギリス』
です

ちなみにイギリスはこのとき
インドの人々に対しても
第一次世界大戦への参戦の見返りとして
戦後の自治を約束していました
…勿論守るはずもありませんでした

次回はもっと詳しく、イギリスによる多重外交がどのようにパレスチナ問題を引き起こしていったか解説していきます

私がどうしてもイギリスという国を好きになれないのは
中東の歴史の肩を持ちすぎだからかな
…と思いました

ただ、こうやってヨーロッパ主観の歴史ではなく
違った切り口から歴史を見ることも必要なのではないでしょうか

偉そうなことを言いましたが
ほんの少しでも考えてもらえたら本望です
こんな時間にカップ麺…
太り始めたRuRi℃aです

今日は前回お話した
ソ連侵攻をちょっと詳しく

そもそもソ連侵攻って?
簡潔に言えば
『冷戦下のアフガニスタンを牛耳っていた親ソ派政権が傾きはじめたため、ソ連は権力維持のために武力を用いてなんとかしようとした』
というものなんですが…

今でもアフガン難民が溢れかえる様子を見る限りり
…結局なんとかならなかったわけです

アフガン侵攻のはじまった1979年12月から
1989年2月に撤退するまでの10年間に
どれだけの犠牲者が出たかは
前回の記事参照のこと

今でもアフガンでは内戦が続いているのですが
ソ連による侵攻によってこの内戦が起きたというわけではないこと
意外と勘違いされてるみたいです

そもそもソ連の侵攻は
イラン革命の影響を受けて誕生したイスラム原理主義派と親ソ派の内戦がきっかけだったわけでして

…まぁそのせいで
アフガニスタンという国は
『年中無休の紛争戦争国』
になってしまったので
ソ連の責任は変わらないのだけど

アフガニスタンは近い歴史からみれば
19世紀に始まった3度にわたる対英のアフガン戦争から
クーデターや紛争続きで
休む間なく戦争をしている
というイメージが強いし
実際に歴史をみればそうなのかもしれないが
もっと遠くに目をやれば
アフガニスタンは世界の西と東をつなぐ中継地点として様々な文化が栄え
世界中の人々が交流を持った素晴らしい場所

これはアフガニスタンだけでなく中東の国々全てにいえることでしょう

だからこそ
私は中東にはもう一度
平和と多民族共存の場としての繁栄を願いたい

話はそれましたが
中東が紛争地域になった
多くの原因は大国による自分勝手な関与であると
私は考えます

ソ連侵攻がなければ…
と考えはじめれば切りがないのですが…

現在も破壊的活動をし続けるタリバンの台頭も、ソ連侵攻によって荒廃したアフガニスタンの環境が生み出したものであるということを考えるとソ連侵攻はやはり悪い意味でキーポイントだったわけですね

しかし責めるべきは
冷戦敗戦側ソ連だけではないことは皆さん理解していると思います

次は私が最も憎んでいる
『サイクス・ピコ協定』
についてお話します

こんにちは

今朝食べたフレンチトーストが美味しくて

ご機嫌んなRuRiaです

今日のテーマは【そもそも中東はいつからあんなに荒れているのか】

の自分なりのアンサーを少しやろうかな、と

多くの国が独立していったオスマン帝国が崩壊してから?

中東が各々の利益を模索し始めた第一次中東戦争から?

それとも

と考えていると答えが出せません

歴史というものは積み重ねなので

これだけがきっかけとは言い切れないですね

でもやはり気になるので

それは私の宿題ということでまたいつか報告いたします

しかし注目すべき時代はあると思います

ずばり【1980年代】

この時代には中東を揺るがす事件がいくつも起きているのです

例えば

イラン革命はイスラム革命ともいわれ、イランが親米西欧型国家から反米色の濃い宗教政治国家になりました

またエジプトとイスラエルの平和条約によって、聖地を売り渡した反逆者としてエジプトのサダト大統領が暗殺されました

そして忘れてはいけないのがソ連のアフガン侵攻ですね

これによって100万人以上のアフガン人が殺害され、500万人以上が難民化しました

これらの事件がどう中東に影響し、最終的にテロや紛争を引き起こしたかは

また次回のブログで

余談ですが

私が生まれたのは19898

先にみたように中東ではテロの種となる事件が多発

日本ではバブルが崩壊し、ドイツではベルリンの壁が崩壊した

なんだかすごい時代に生まれたな



ただそれだけなんですが

なんだかしみじみしてしまいます