阿修羅って・・・。
先日スマホの中の膨大なデーターを整理していた時に、興福寺に行った時の写真が出てきました。当時、久しぶりに阿修羅像を拝謁して心が揺れたことを思い出しました。今にして思えば・・・当時の私の心の葛藤状態を物語っていたのかもしれませんね・・・。そして何気なくPCで観てみたら、こんな記事を見つけました。「古代インドの神々を統率していた神は「帝釈天」といい、阿修羅(あしゅら)は統率されていた一神格です。 阿修羅には舎脂(しゃし)という娘があり、いずれ帝釈天に嫁がせたいと思っていましたが、そうとは知らない帝釈天は舎脂を力ずくで奪い、凌辱しました。怒った阿修羅は帝釈天に戦いを挑みました。 一方、舎脂は、戦の最中にも関わらず、逆に帝釈天を愛してしまい、阿修羅はそのため更に逆上し、争いは天界全体を巻き込む大戦乱となりました。そのため阿修羅は復讐に燃える悪鬼とされてしまい、勝てる筈もなく敗れた阿修羅は天界から追放されてしまったのです。ところで、阿修羅と帝釈天はどちらが正で、どちらが悪でしょうか。阿修羅は我が娘を陵辱した相手を懲らしめようとしたのであり、帝釈天は他神の娘を陵辱したのですから、普通に考えれば阿修羅は正しく、帝釈天は悪であるはずなのですが、阿修羅の娘である舎脂は帝釈天の正式な夫人となっていたにも関わらず、戦いに目を奪われた阿修羅は相手を赦す心を失ってしまったのです。つまり、たとえ正義であっても、それに固執し続けると善心を見失い妄執の悪となってしまうという教えを読み取ることができましょう。仏教では死後に生まれかわる世界を六道世界(天界・人間・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄)と説きますが、天界を追われた阿修羅は、正義を振りかざす妄執の悪鬼として人間界と餓鬼界の間に置かれたとされています。地獄・餓鬼・畜生よりはましだが、復讐の鬼となっている姿は人間以下だという意味が込められているのでしょう。」そうですよね・・・自分の思いののみに正義があると思い込んだ時から・・・阿修羅の立場になっていることって多分にありますね。レミゼラブルを当時見たのですが・・・あれもそれぞれの正義のもとに戦っていますね。戦うこと・・・あらためて考えると深いことですね、勝ち負けが存在しているわけですから・・・。はたして、絶対的な正義ってあるのでしょうか???