本日はマジメなお話を。

 

 

 

みなさまは、越後の虎、上杉謙信をご存じですね。

 

 

甲斐の武田信玄と雌雄を決し、

 

 

天才と秀才が、近くにいすぎたがために、お互いにとって足止めを食らう存在でありました。

 

 

川中島の戦いも有名であります。

 

 

敵に塩を送る、ということわざも、「上杉謙信」が「武田信玄」に塩を送ってあげたというエピソードですからね。(作り話ではないか?という説もありますが)

 

 

 

 

 

そんな上杉謙信は、実は女だったのではないか?という説をみなさまご存知でしょうか?

 

 

 

なんとなくは知っている、という方も、その証拠がいまやこんなにたくさんある、ということは知らないのではないでしょうか。

 

 

 

まず、よく言われるのが、

 

謙信は、大虫という病気でなくなったとされるのですが、これはなんと婦人病を意味するのだそうです。

 

 

 

そしてさらに、謙信は戦の最中でも、月に一回は撤退していたのだそうです。

これは女の子の日だったのではないか、と推測されるのです。

 

 

 

さらに、謙信の服は残っているのですが、そのどれもが赤だの派手な色ばかり。

女性の服のようであるというのです。

 

 

 

さあ、ここからはさらに確信に近づきます。

 

 

 

 

当時の謙信のことを歌ったわらべ歌に、こういうフレーズがあるのだそうです。

 

 

 

「 男もおよばぬ大力無双」

 

 

もうこれは、言ってしまっているのでは。

 

 

 

さらにさらに、

 

 

スペインから来たゴンザレスという男が、フェリペ2世国王に手紙を送っているのですが、そこには謙信のことをこう紹介しています。

 

 

景勝の叔母

 

と。

 

 

 

 

さあ、場は煮詰まってまいりました。

 

 

いよいよ、肖像画にまいりましょう。

 

 

 

みなさんの知っている上杉謙信の肖像画は、江戸時代に描かれたものなのです。

 

 

 

 

では、本当の謙信の肖像画は?

 

 

それは、新潟にあるお寺にあるのです。

 

 

それがこちらです。

 

 

 

 

 

 

女性っぽいと思いませんか?

少なくとも、ヒゲなどはありません。
そして、武将の持つ猛々しさもありませんね。




ではなぜ上杉謙信は男性にされてしまったのか?


それは、天下が徳川によって統一され、徳川幕府が始まったのち、

城主は女性がつとめることはできない、という法律ができたのです。


そういう世の中において、外様である上杉家は、かの謙信公が女性であるという事実を、少しずつねじまげていったのではないか?ということなのです。


みなさま。



どうですか?



上杉謙信は女性であったのではないでしょうか!















というようなことが、東村アキコさんの漫画、『雪花の虎』に書いてありました(^o^)


いやーこの漫画面白い。