今日も1日お疲れ様でした
どうかムリしないでゆっくり休んで疲れを癒やしてくださいね
『わたしの過去その14』
適応障害が治り無事に退院することが出来たわたし
病院をあとにした車の中でダンナさまのたかちゃんが
「正恵、子どもが欲しい。子ども作らんか」
と言いだした時
わたしは一瞬耳を疑いました
てんかんにパーソナリティ障害─
わたしは病気のデパート(どっかで聞いたような。あっあれは技のデパートと言われた舞の海さんですね笑)なのに
わたしも子どもはほしかったので─
すんご~く嬉しかったけど
正直怖かったんですよね。。。
いっばいお薬飲んでいるし。。。
「たかちゃん、お願いがあるんじゃけど。」
「土生センセのところに一緒について来てほしいんよ」
土生センセは入院する前から通っていた心療内科の主治医の先生で
とても信頼のおける優しい先生でした
それでダンナさまが休みの土曜日に
一緒に土生センセの病院に行きました
ダンナさまは土生センセのお話をスゴくマジメに聞いてくれました
『てんかん』という病気の説明から始まり
最終的に土生センセはわたしたち夫婦の考えを尊重してくださって
少しずつお薬を減らしていきましょうということに
理由は『てんかん』などの薬は急に飲む量を減らしてしまうと
発作を起こしてしまうからなんです
これがいちばん辛いんですよね。。。(泣)
いつになったら赤ちゃん👶OKですよ~って
主治医の土生センセの許可が下りるか分かんないし
それより怖かったのはお薬を減らしていっている段階の途中で
『てんかん』の発作を起こしちゃったら
もう完全アウトですもん。。。
かくしてわたしたち夫婦は覚悟を決めて
赤ちゃん👶が欲しかったこともあり長い長い闘いをスタートさせたのでした
わたしは当時
パートでレジ打ちのお仕事をしていたので
とにかく寝不足にならないように気をつけてました。
前のブログにも書きましたが
ダンナさまは中距離のトラック運転手でお仕事の為に夜中に家を出るので
わたしはダンナさまのお弁当2個分作った後
(お弁当2個分は朝と昼の分です)
1階で仮眠取ってましたね笑
とにかく生活リズムをなるべく整えるようにして
発作が起きませんように。。。って毎日祈っていました
その努力の成果もあったのか
『てんかん』の発作は起こらず毎日何事もなく過ぎていきました
こうして少しずつ
『てんかん』のお薬が減らされていき
あともう少しかな。。。
もう少し減ったら赤ちゃん👶OKって
土生センセは言ってくださるのかなぁ。
しかし。。。
わたしたち夫婦の夢はもろくも崩れ去っていったのでした
今夜はこれで失礼いたします
今日もわたしのつたないブログに遊びに来てくださり
本当にありがとうございました
それではおやすみなさいグーグー
まさちゃんでした