前回は視力の基準の変更に気付いたというところまででした。
受験資格が戻ってきたことにより、いくつかの挑戦権が与えられました。
・自社養成パイロット
・航空大学校
・自衛隊の飛行要員
そして、それらを受けていったのですが、ことごとく不合格。
自社養成の場合はけっこう始めの段階で選考から漏れてしまったのですが、
航空大学校は航空身体検査で落ちてしまったのです。
再検査までいったにも関わらず、最後の最後でダメ・・・。
その次の最終試験である3次試験に進めれば8割は合格するというところまで
手が届きそうなところだったのに。
航空身体検査の嫌なところは自分ではどこが悪かったか分からないところです。
その結果内容については報告しない、いうようなことがしっかり記載されているので
聞いても無駄なのです。
体がパーフェクトではなくても、それをカバーできるほどの魅力が自分にはなかったという
ことだったのでしょう・・・
そして、自衛隊のほうでも、同じく最終の航空身体検査、面接、論文のところで
落ちてしまいました。
自衛隊にいたっては論文も悪かった気もするし、身体検査はより厳しい感じがするので
航大の身体検査に通らなかった自分には難しかったかもしれません。
それよりも少しおかしかったのが、面接でのことです。
「必ずしもパイロットとして訓練できることにならないかもしれないけど、
もし潜水艦の乗組員になったとしたらやれますか?」
と聞かれ、
(いやいや、パイロットになって空飛びたくてこの試験受けてるのに
海に潜るって・・・逆じゃんw)
なんて思いながらも、少し考えて
「やれます」 (・・・!!!!??)
なんて藁にもすがるように答えていた自分がなんとも必死に思えますw
最悪、潜水艦でも仕方ないか~、という気持ちより
そもそも全くイメージになかった世界だったので逆に興味がわいてきたのですが、
そんな自分の気持ち等関係なく、普通に不合格通知が届いたのは言うまでもありません。
とにかく、それにより、当時の自社養成は一生に一回しか受けることが出来ない
というシステムのおかげで、もうその道は消え、航大は年齢的に受けることが出来なくなり
自衛隊もまた然りでした。
普通なら、ここで諦めるのでしょうが、
どうしても十分やったという満足感が味わえず、ここからさらに
遠回りをすることになるのです。
つづく
前回はオーストラリアのパースで体験飛行したというところまででした。
その後、無事にラウンドも終わり、ケアンズに戻ってきて、
インターネットカフェにいき、いろいろと調べ始めました。
そして、僕がかってに諦めていた4年間の間に大きく変わっていたことがありました。
それは
視力は裸眼でなくても、矯正で1.2以上あればいい。
なんとっ!!!
この事実には驚きと嬉しさとともに恥ずかしさも一緒に味わいました。
はっきり言って、僕はこの視力をどうしようもない絶対的な言い訳にして、やりたいことを諦めていました。
そして、その絶対的な言い訳が崩されたとき、諦める理由がなくなったのです。
同時にそれは、もちろんうれしいことでもありました。
運命的なものさえ、かってに感じていました。
世の中は自分を中心に回ってるのか?なんてw
実際にはラウンドで身にしみるほど自分のちっぽけさを感じていたんですがw
でもそれが、かえって思いっきり行動できる原動力にもなったのです。
とにかく、その視力の規定の変更のおかげで僕の
やりたいことへの重くて大きな扉はわずかに開いて、
その扉の隙間から縦に光のラインが微かに見えたのです。
ちなみに、当時は視力回復のためにレーシックをすることも頭にありました。
ですが、これはその当時はしなくてよかったです。
なぜなら、もしレーシックを受けていたら、それこそ一生パイロットの資格を取ることが
出来ないことになっていたからです。
現在は分かりませんが、当時はまだまだレーシックのデータが少なく、
術後経過の信頼性が低かったんだと思います。
そのため、レーシックを受けた人は、受験資格を得られることが出来なかったのです。
そこだけは、早まらなくてよかった、と思いました。。
つづく
その後、無事にラウンドも終わり、ケアンズに戻ってきて、
インターネットカフェにいき、いろいろと調べ始めました。
そして、僕がかってに諦めていた4年間の間に大きく変わっていたことがありました。
それは
視力は裸眼でなくても、矯正で1.2以上あればいい。
なんとっ!!!
この事実には驚きと嬉しさとともに恥ずかしさも一緒に味わいました。
はっきり言って、僕はこの視力をどうしようもない絶対的な言い訳にして、やりたいことを諦めていました。
そして、その絶対的な言い訳が崩されたとき、諦める理由がなくなったのです。
同時にそれは、もちろんうれしいことでもありました。
運命的なものさえ、かってに感じていました。
世の中は自分を中心に回ってるのか?なんてw
実際にはラウンドで身にしみるほど自分のちっぽけさを感じていたんですがw
でもそれが、かえって思いっきり行動できる原動力にもなったのです。
とにかく、その視力の規定の変更のおかげで僕の
やりたいことへの重くて大きな扉はわずかに開いて、
その扉の隙間から縦に光のラインが微かに見えたのです。
ちなみに、当時は視力回復のためにレーシックをすることも頭にありました。
ですが、これはその当時はしなくてよかったです。
なぜなら、もしレーシックを受けていたら、それこそ一生パイロットの資格を取ることが
出来ないことになっていたからです。
現在は分かりませんが、当時はまだまだレーシックのデータが少なく、
術後経過の信頼性が低かったんだと思います。
そのため、レーシックを受けた人は、受験資格を得られることが出来なかったのです。
そこだけは、早まらなくてよかった、と思いました。。
つづく
前回はヘリを見て、改めてパイロットを目指そうとしたところまででした。
決心はしたものの、まだまだラウンドの途中。
このラウンドは最後までやり抜こうとおもってました。
ここでの経験はかけがえのないものになると感じていたのです。
ほとんどが移動の毎日でしたが、そこで考えること感じることは多くあったのです。
時間はあったので、どうやったらまた自分の夢に向かって進めるのか考える時間は
たくさんありました。
インターネットを使って調べなきゃならないことはたくさんあったのですが、
なにせそんな旅の中なんでそうもいかず、ただもうもうと考えていました。
そして、あるときわりと大きな街、パースにたどり着いたのです。
そこで、小型機で体験飛行が安くできるという広告を見つけたので、
すぐに行ってみました。
そして、生まれて初めての小型機に乗ったのです。
その時の感覚は今でも忘れません。
機体が宙に浮いた瞬間、嬉しすぎてほほが緩んだのです。
そして、涙が出そうになりました。
うまく言葉では表せませんし、
どうしてかなのかもわかりません。
でも、ほんとにそう感じたのです。
勝手に独りで感動してたのですw
きっと、いままでたまってたなにかがが溢れ出したのかもしれません。
そして、そのときに、やっぱりこの仕事はいいな、これをやってみたいと
強く思ったのでした。
これが、決定的な始まりともいえるかもしれません。
しかし、道はそんなに甘くなく、
この感動した時から、たくさんの回り道をすることになったのです・・・。
つづく
決心はしたものの、まだまだラウンドの途中。
このラウンドは最後までやり抜こうとおもってました。
ここでの経験はかけがえのないものになると感じていたのです。
ほとんどが移動の毎日でしたが、そこで考えること感じることは多くあったのです。
時間はあったので、どうやったらまた自分の夢に向かって進めるのか考える時間は
たくさんありました。
インターネットを使って調べなきゃならないことはたくさんあったのですが、
なにせそんな旅の中なんでそうもいかず、ただもうもうと考えていました。
そして、あるときわりと大きな街、パースにたどり着いたのです。
そこで、小型機で体験飛行が安くできるという広告を見つけたので、
すぐに行ってみました。
そして、生まれて初めての小型機に乗ったのです。
その時の感覚は今でも忘れません。
機体が宙に浮いた瞬間、嬉しすぎてほほが緩んだのです。
そして、涙が出そうになりました。
うまく言葉では表せませんし、
どうしてかなのかもわかりません。
でも、ほんとにそう感じたのです。
勝手に独りで感動してたのですw
きっと、いままでたまってたなにかがが溢れ出したのかもしれません。
そして、そのときに、やっぱりこの仕事はいいな、これをやってみたいと
強く思ったのでした。
これが、決定的な始まりともいえるかもしれません。
しかし、道はそんなに甘くなく、
この感動した時から、たくさんの回り道をすることになったのです・・・。
つづく