東京の保谷にある予備校生専門の寮に入りました。保谷から西武池袋線で、新宿セミナーまで通っていました。

 

Yさんの自宅は、清瀬?にありました。時々、新宿御苑を2人で歩きました。何を話したのか覚えていません。多分、主に受験のことを話していたのだと思います。

彼女は、聞き役だったと思います。

 

Yさんは、予備校に行かず、自宅で勉強している様でした。それで、大丈夫なのか疑問に思っていました。

 

都会の喧騒、寮での隣人とのトラブル、成績不振などで、心身ともに疲れてしまいました。痩せてしまい、急性虫垂炎が疑われ、結局その年の秋、自宅に戻ることになりました。翌年の受験は、全敗でした。

 

必然的に2浪となり、地元の予備校に通うことになりました。その予備校は、とても家庭的でした。医学部を目指し2浪している2人の友人に出会いました。また、長距離トラックドライバーの方で、心機一転医学部受験する変わった方にも出会いました。水俣病のドキュメント 猫400号実験を知り、細川博士の様になりたいと強く思いました。良く勉強したと思います。成績も伸びて行きました。

 

必然的に、Yさんとの文通は、疎遠になって行きました。

 

結局、東北地方の2期校に合格しました。友人の1人は、その後、更に3年間浪人し、旧帝大に合格しました。ドライバーの方は、驚異的に成績を伸ばし、有名な大学に入学しました。

 

Yさんは、大学受験を諦めた様でした。