お騒がせしました!facebook復旧しました

 

 

 

 

facebookが

大阪に向かう新幹線での移動中に乗っ取られたのは

2週間ほど前のはなし


 

高野山に行くのに

自分の中で色んな思いや、決別など

秘めていた思いがあったけど

 

 

 

いきなり、facebook乗っ取られ

こんなに急にその思いが表面化し

私名義で大量の詐欺メールを送られる事態につながった。

 

 

 

 

さすがの私も

宇宙はその真実を確かめる事をする

って分かってはいたけれど

めちゃくちゃ動揺した。

 

 

 

 

その後、すぐに対処したものの

時すでに遅し。

 

 

 

 

何をやってもうまくいかず

しかも、出張でパソコンを持って来てなかったという事態

 

 

 

こで、なんの啓示だろう・・・

 

 

表面的にはわからないようなフリしてたけど

自分なりに答えは出ていた。

 

 

 

その感じた時の答えをここに記したいと思う。

 

 

 

率直に感じた1つ目は

「私がいなくなっちゃうんじゃないか」

という不安。。

 

 

今まで、積み上げて来た思い、情報

それらが一瞬にして無くなってしまう

 

その「居場所を取られた」という

こどもの頃の思いが

蘇ってきました。

 

 

あれは取っておけばよかったな

あのメッセージをも読めないのは寂しいな

 

という、執着

 

 

 

 

でも、執着はわりとどうしようもない

と、時間が立つにつれてスルーできたけど

 

 

 

何よりもきになったのは

「私に関する事で人に迷惑をかけてはいけない

なんとかして、阻止せねば」

 

私も被害者なのにとんでもない罪悪感が襲って来ました。

 

 

本当に大切な人には

すぐに連絡

 

 

いつもメッセンジャーでやりとりしている人に集中して

詐欺メールが行ってたことは、みなさんの報告からイメージできました。

 

 

「大切な人に嫌われちゃう!

かわいそうな人って思われちゃう!

ダメな人って見下されちゃう

愛想尽かされちゃうかも」

 

って思いが出て来ました。

 

 

 

 

そうなると次のアクションとして考えたのは

被害を出さないように!!

 

 

ということ。

 

 

 

 

人を守ってるように見えて

実は自分を守りたかったんだなっていう感情お出て来た。

 

 

 

 

 

Lineで繋がってる方には即連絡を

Line@でも、「乗っ取りにあったー」ついて緊急で出しましたが

 

 

そんな私に

「やだ、華香さんって不幸ね。」

って思われたんじゃないか

って思って悲しかった。

(実際、誰も言ってないよ)

 

 

あぁ、私ってプライド高いんだ

って心底、自分が嫌になった。

 

 

 

で、その後にも

「おかしいですよ」とか

「乗っ取られてませんか?」というっメッセージがたくさん届きました。

 

 

こういう時の対処法として、こんなサイトがありますよ

って、いろんな事を教えてくれた方も

たくさんいて、嬉しかった。

本当に本当にその気持ちがありがたかったです。

 

 

 

 

 

でも、、、

せっかく送ってくれたのに

なかなか事態はうまく進まない

 

 

できる事は全てやったと思った

facebook本部に免許書まで送り

アカウントの停止をお願いしてましたが

結果、私がアカウントに入る事ができないので

堂々巡り。

 

 

同じところを繰り返し行いながら

復旧もできず

アカウントの削除もできず

ただ、詐欺に合わないでね。と祈るだけ。

 

 

そんなこんなをしている中

自分の中で

 

 

 

 

「誰になら本当に助けてほしいって言えるかな?」

って冷静に考えてました。

 

 

逆に言うと、

「信頼している人は誰か」

って話なんです。

 

 

 

 

多くなかった・・・

 

 

旦那さん

親子セラピーのチューターさん

仕事でお世話になってる方

 

 

 

こんなに私は人に心を開いてなかったんだ

って

またまた自分に愕然とした。

 

 

 

でも、一方で

この人たちをこんなに信頼してるんだ

支えてもらってるんだ

という事も分かった。

 

 

人は弱いところ、本当の思いを言える人は

とても少ない

 

 

その少ない中で

どう大切に関係を育んでいくか

人を信じ、受け入れていくことが

自分の生き方の軸につながるんだと思った。

 

 

 

 

水面下では

私をいるも支えてくれている人たちが

 

 

アカウントで復旧を試みてくれたり

「この人を助けたい」というfacebookの機能を使って

報告してくれたりしてくれた。

 

 

 

 

もう、泣いた

 

 

 

 

そんな形で

当初の想像していた10倍以上

facebookに連絡を入れながら

アカウントの削除なのか

復活なのか

状況を待ってました。

 

 

でも、facebookって人が対応しないんですよね。

ずっと自動返信のメールのやりとりで埒が明かない。

虚しさだけ残る。

 

 

 

 

ただ、

インスタからリンクを貼れたので

投稿だけはできたんです。

 

 

 

私みたいに

facebookで情報をシェアしている人にとっては

インスタからのリンクだけは残ってて

本当にありがたかった。

 

 

 

そして、今日

ふとしたことで、パソコンからログインしたら

急にできた!!

 

 

何の前触れも連絡もなく。

 

 

結果的にはよかった。

 

 

 

 

でも

ここで分かったこと

 

 

それは

 

 

人とのつながり

 

 

こういう事態が起こると

その人とどんな人間関係を紡いできたのかが

顕著に現れる。

 

 

 

 

これは、むしろ

「私」が人に対してどんな付き合い方をしてきたか

 

 

ということの全て。

 

 

 

そして、本当に大切な人って誰なんだろう

どの人と繋がってたいんだろう

 

そいう

「ど真ん中」を突きつけられた。

 

 

 

 

もちろんfacebookで繋がってなくっても

必要な人とはlineや

その他のもので繋がっていたから

切れるわけではない。

 

 

でも、いままで

どれだけ私が

 

自動的に人と繋がってたのか

と言う事を知った。

 

 

起業をしていると

facebookで知らない人から友達申請がどんどん届く

 

 

正直、それに関して違和感があった。

とりあえず繋がっていけばなんかなるでしょう

 

っていう感覚にも抵抗があった。

 

この人、知ってるから繋がっておこう

 

っていうのもうんざりしていた。

 

 

 

要は

形だけの人間関係でも

何かメリットがあって

良い事だろう

っていう刷り込み操作されて来たのだということ。

 

いないよりマシ

 

みたいな。

 

 

空い・・・

 

 

 

何が良いかはわからないけど

私は、数だけの人間関係はいらない

こういう時に

「なんだったんだろう」という空虚感に襲われるだけでなく

 

 

 

 

 

人生において

本当に関わっていく人って多くなくていい

と、真摯に感じたのです。

 

 

 

 

だから

私は

 

今だに友達も少ないし

無理につながろうとはしない

こんな風に発信している人なのに

ことごとく人間関係が狭い

 

 

でも、それでいいんだ

私が大事にしているものは

人生を支え合ったり、分かち合える関係性なんだ

 

 

 

って、本当に思えたの。

 

 

 

 

 

協力してくれた人

連絡してくれれた人

心の中で心配してくれた人

 

 

私はそういう人を

これからも大切にしていきたい。

 

そういう人に囲まれながら

助け、助けられながら人生を過ごしたい。

 

 

 

 

 

だからこそ

今ある人間関係をしっかりと見つめ

結び直しをする時なんだな

 

それを追求してきた私に

このタイミングに訪れたんだな

 

 

と、この一連も

意味あることとして捉えられた。

 

 

そして、今

この「本当の人との結びつき」について

お伝えできる準備が整いました。

 

 

楽しみに待っててね。