車検が来た。かれこれ20年。

 

 

どうする華香…

 

 

今年1番悩んだ案件だ。

 

 

なぜ、

購入20年の車にこんなに悩むのかって?

 

 

 

 

そりゃ、乗り潰すこともできるけど

 

 

この車はね、大改造した

家族とまわりの人の

愛と死闘の結晶だからだ。

 

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なのに家族からは

長年「軽(けい)」としか呼ばれない・・・

 

 

 

 

 

さて、この「軽」の持ち主は

 

 

このブログの恒例となった

私の兄

 

 

兄が乗れるように大改造した

特注品なのだ!

 

 

 

見て!!

後ろがパカって開くの

 

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スロープもついてるでしょ。

 

 

 

 

これね、電動車椅子という

200キロを優に超える

バカ重い車椅子を

そのまま

フィットインできるのだ!

 

 

こういうやつ

 

 

普通の電動車椅子ならまだかわいい。

 

 

でも、兄が希望したのは

「電動車椅子サッカーができるもの」なのだ。

 

 

 

 

 

電動車椅子は、

バカ重いだけじゃなく

 

 

ついで、バカ高い

 

 

 

当時の華香の年収分は

あっただろうよ。

 

 

 

そしてこの「軽」も、

こう見えて改造してるんで

 

 

バカ高い

 

 

とにかく、障害者の夢を叶えるには

家族が「覚悟」の連続をしいられる。

 

 

 

 

 

 

 

実はこの「軽」を買う前

 

手が少しだけ動いた兄は

自分で運転できるように

手元で操作できるように改造した

 

 

 

 

 

 

でも、改造が完成するより

兄の病気の進行が早かった。

 

 

改造されたcapa(という車種)は

物悲しく、

 

 

ブレーキのたびに

ガタン、ガタンと

デカイ音だけ立て

 

みんなに「うるさい!」と言われ

改造の威力を発揮せずに終わってしまった。

 

 

 

 

 

 

その後、来たのが、この「軽」だ。

 

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電動車椅子サッカーを始めた兄は

全国大会にまで進み、試合のたびに

「軽」に兄を乗せて日本全国を走り回った。

 

 

 


 

 

時には海外まで連れていったっけ。

 

 

 

 

そんなこんなで

私の微々たる年収は

キレイに右から左に消えたのも、良い思い出

 

 

 

でも、兄の笑顔が幸せだった。

 

 

 

こんな風に書くと

さぞや仲の良いご兄妹なんだ

 

 

 

と思われるかとだけど

 

一言でいうと元気な頃の

 

 

「兄はゴジラ!」

 

 

仲が悪いとかいう言葉では済まされない

あれこれはあったが

この話はまたの機会にとっておこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

さて。そんなこんなで

「軽」を継続するか悩んでいる一番の理由は

 

 

今の兄は

もぅこの「軽」には乗れない

 

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前回のブログにも書いたけど・・・

 

 

 

 

3年前に心肺停止になり

現在、寝たきりなので

結果、電動車椅子にも乗れない。

 

 

 

 

すなわち、

「普通に座れない」のだ。

 

 

 

 

でも。万が一

兄が元気になるかもしれない。

 

 

ひょっとして

兄が座れるくらいに復活するかもしれない。

そんな一抹の希望を抱く家族としては

手放す選択はなかなかできない。

 

 

 

 

 

 

 

そんな時、クルマ好きの旦那が

 

「はなちゃん、お兄ちゃん乗せたいんでしょ。

んじゃ、軽バンにすれば?

あれなら、ストレッチャーごと入るんじゃない??」

 

 

 

↓↓↓

 

 

 

 

 

 

んだ。

 

 

 

 

 

イケる!!

 

 

 

軽なら今のクルマと同じで

親も楽々運転できて

 

 

寝たきりの兄も

そのまま乗せられる

 

 

 

 

軽バンは広いから

改造しなくていい

 

 

 

 

 

 

 

 

ヤったーーー!!

乗せられる!!

 

 

 

 

 

 

 

でも、肝腎要の

お金どうする??

 

 

 

 

 

と、その時

 

 

 

 

 

今年、おかげさまで

私の会社は利益が出た。

 

 

 

 

でもだからと言って

私は、会社に雇われてる身で月収制。

 

 

お金は自由に使えない

 

 

そんな時

もうひとりの経営者の華香はこう言うのだ。

 

 

会社の利益は

受講生さんやたくさんの人の

「しあわせになる」という希望と決意をお金として預かってるのだ。

だから、会社のお金を使うなら

みんなの希望になることや

循環に使うこと。

 

 

 

と。

 

華香、我ながら硬派チーンチーン

 

 

 

経営者の華香の理念には逆らえない。

 

 

 

 

ダメか、、、、。

 

 

すると経営者華香は

こう続けた

 

よし。この軽バンを会社の営業車にしよう。

そしたら、華香の事業に携わる人みんなを乗せられる!!

荷物だってガンガン運べる

 

そして・・・

 

障害者でも、どんな状況だって夢をあきらめないで

どこにでも行けることを

この車で示せたらステキじゃないか

 

家族も障害者と共に希望を持って進める

 

愛ある生き方ができるということを

体現するために、会社で使おう。

 

そして会社としても、もっと事業を広めて

社会活動もできるじゃないか。

 

 

華香の愛の源泉をエンジンに

会社のお金を使ってください。

 

 

 

(実は、このインスピレーションが現実化になるごとく

今、運命が動き出しているのですが、

そこはまた改めてね)

 

 

 

 

この瞬間一筋の光が差し込んだ

 

 

 

 

そして

無事、Nバンが会社にやってきた。

 

 

 

「軽」の車検1日前に。

 

 

そして、ここではっきり分かったのは

私の愛の源泉

 

それは家族なのだ。

 

 

私の家族にまつわるドM経験は山ほどある。

 

 

でも

今、わかること。

 

 

それは

家族は自分で決められる。

 

 

どういう事かというと

どの人と家族になるかってことじゃなくてね

どういう関係にするかを選べるということ

 

 

 

切るのもよし

続けるのもよし

向き合うのもよし

逃げるのもよし

 

 

 


 

先程、チョロリと書いたけど

私はゴジラの兄や、問題山積みの家族といるのが苦しくて

中学2年のころ家出した。

 

 

そして、長野にたどり着いた。

長野の心優しい宿屋のご夫婦が

長野のお父さん、お母さんになってくれ働かせてくれた。

 

でも、しばらくして私は家に戻った。

 

 

家族を愛すると決めたからだ。

 

 

 

 

私がサポートに通ってた養護施設では

こども自ら、施設を見つけ

「ぼくを家族にしてください」

と言う子もいた。

 

 

ビジネスパートナーは

ご両親が、どんどん困ってる人を受け入れて

幼少期は、総勢70名の家族と暮らしていたそうだ。

 

 

 

最近ご縁を繋いだ方は、行き場のない母子を

自分がお父さん代わりになって一緒に育てる。

彼は「僕がみんなのお父さんになれば良い」と言い

施設を出た子どもや少年院を出た子どもの家族になっている。

 

 

 

「みんなで生きていけばいいじゃん」って

北の大地で100名の世帯で得意なことをお互い差し出し合う

「家族のカタチ」を作ってる知人もいる。

 

 

 

家族ってなんだろう?

 

 

 

でも。やっぱり私の答えは

 

 

愛すると決めるか

愛してるに気づくのも

他人として生きるか

 

 

 

 

「今」自分の源泉を探りあて

どうしたいか

 

 

いつでも決められる

 

 

 

 

新しく来たミニバンのナンバーは

 

「1111」

 

 

 

私が希望した。

 

 

 

このナンバー激戦でなかなか取れないので抽選らしいが

 

 

ビックリするほどあっさり当選し

車の担当営業の徳永さんは

「はなこちゃん、さすが持ってる」と言ってくれた。

 

(↑徳永さんは華香の家族の車事情を25年以上一括担当してくれて、

改造にも快く応じてくれてる営業マン)

 

 

嬉しかった

 

 

愛する人と行ける所まで行きなさい

 

そう、言われた気がした

 

 

 

 

走れ1111

 

 

 

春になったら

家族で過ごした逗子の海に行こう

 

 

夏になったら星を見に行こう

 

 

なぜ、星なのか、こちらのブログを読んでね

 

 

 

 

そして、まだ見ぬたくさんの家族のところに

一緒に行こう