こんばんは。華香です。

前回のブログで
子どもの死にたいは
多くの場合、言葉の問題だったり

感情を上手く出せない事で
絡まってしまっている

というように書きました

こちらの内容から、
続きのご感想を頂きましたので
ご紹介しますね

息子や私自身の感情を感じ取るようにしてから、
早速にいろいろな変化がありまして、メールしました。

 
 長南さんに1通目のメールをした翌朝、
 
子どもが2つあった子ども椅子を下の子に使わせなかったので、
「もういい。下の子には新しい椅子を買うから!」と私が怒ると、
 
子どもがものすごい勢いで私を叩き始めました。
腕をつかんで止めても、離すとまた叩く。
こんなことは初めてでした。
 
叩かれながら、
(ああ、私はこうやって罰せられたかったのだなあ)
と妙に納得している部分と、
(違う、私はこんな扱いをうける身ではない)
と考える自分がいました。
夫が気付いて止めてくれたのですが、時間を置いてもまたたたき始める。
「嫌いになって!」と叫んでくる。
 
今度は子どもを抱きしめて、
「○○○もこうやってすごく怖い顔でママに責められてきたんだね。嫌だったね。
ごめんね」
と伝えました。すると力が緩んで
 
「あんなにやさしかったママがどうしたのかと思った」
 
とかわいい声で言ってきました。
 
本心を見せてくれたような気がして、
涙があふれました。
 
そしてなぜか、こどもはなにでできているのかと聞くので、
「パパとママの大好きからできるんだよ。○○○もだよ」
と返すと、私の腕の中から離れていきました。
 
 
 
一体化していた母と子が別の人間なのかもしれない、
という気付きは、子どもの課題だと思っていました。

でも母側の課題でもあるんですね。
息子の感情を探り受け止める中で、
ああ私も子どもを一体化してコントロールしたがっていたんだな、
でも子どもは別の人なんだなと気付けました。
そうしたらイライラではなくて、その行動の意図を受け入れられるようになりました。
 
 
自分自身の感情に触れることで、
私の罪悪感の色眼鏡の存在にも気付けました。
視界が1トーン明るくなったような感覚がありました。
 
 
 
あんなにイライラして仕方がなかったトイレの失敗も、
下の子への乱暴な言動も
距離を置いて受け止められるようになりました。
 
保育所で私たち親子だけで遊んでいて、
他の人と交われていないなと思っても、
(ああ、私が気にしているだけだな)と気付けて、
そこに必要以上の被害感を足さずに済みました。
 
不安を埋めあうようにお互いに連呼していた
「大好きだよ」も、
回数が減りました。
 
 
子どもがママを求めてきたときには、
長南さんに教えて頂いたとおり、
2人で取り組む時間を持つようにしています。

今までいっぱいいっぱい息子に寂しさや不信感を持たせてしまったけれど、
今また2人の関係を生まれ直して再構築している気がしています。
 
今日も子どもはすっごい攻撃的だったから、時間はかかるだろうけど、きっともう大丈夫。
  


子どもを通して
お母さんがどんどん気づきが出て来て
親子の時間を持とうと変化してきた

本当に素晴らしいですね。
私もこのようなご報告を頂くと

嬉しくて涙が出てきます。。。。

子育ては
ある日突然変わる事もあるけれど
ゆっくり変化していく事もあります

それは
その子や、親子の性格ですので
ゆったり構えて大丈夫です


追伸で
子どもに傷は残るかも... でも大丈夫ですよね?


という一文がありました。


きっと、多くのお母さんは
子どもを叱りつけたりして、傷やトラウマが残ると
心配されると思いますので
ここの説明をしますね




傷ではなく、全て勘違いです。
傷で残るというのは
それをそのまま放置して、自分で触っては膿んでしまい
ずっとそれをやり続ける

すなわち
ボクなんて、私なんて。
嫌って!

という言葉で自分を傷付けているという事です。

この言葉は、当面、成長の段階で通りますが
傷の根本治療を一緒に取り組んでいるので

あとは自然治癒力にませておけば大丈夫です。

次の成長の段階で
残りの膿みを出すかもしれませんが

今、しっかりしているので
傷ではなく
勘違い

ベースは愛されていたんだ

戻れる心を蘇らせていますので
ご安心くださいね。


一旦、良い感じになって
そしてまた戻り
また良くなり
戻り

を私たちは繰り返します。
状況も
感情も
同じように
行ったり来たりしますが

この波に振り回される時間が
短くなる事はできるのです

でも、確実に進んでいます
そして
勘違いは埋まってます

自信を持って
今の状況を日々丁寧に行ってくださいね。


お読み頂きありがとうございます