美容の仕事を初めて35年が経ちました。
数えるとおそろしい
今日は、私の美容道を振り返ってみたいとおもいます。
最初は10社くらいの化粧品メーカーを取扱っていたお店で販売からのスタート、お客様も多いお店だったのでとても勉強になりました。
面白かったのは、化粧品メーカーによってコットンで拭き取る使い方だったり特徴がいろいろあるので、使ってる化粧品ごとでお客様の肌が同じ感じになってて、◯◯肌なんて言ってました。
肌色とかもなのです(これは経験を積んでいってなんでか理解できました!)
販売のお仕事もとっても楽しかったのですが、担当させてもらったメーカーさんがお手入れコーナーも作られてて、お客様のお肌に触れさせてもらう機会がありそれが楽しくて通信でエステティックを学び始めました。
そして2年くらいたったときに何故か地元に帰りたくなり
今 思えば1、2週間とかちょっと帰れば良かったのかもですが極端な私は付き合ってた彼もいたのに何故か完全に引越しして帰ってました。遠距離恋愛は1年もたなかったような…
そこからは、カリタ、フィトメール、マリコラレーヌなど本格的なエステティックサロンで経験を積ませていただきました。
美容ってほんとにいろいろな考え方があって、経験を積んでいき自分なりの美容理論ができてくると、私はお勤めするのが難しくなってきて30歳で実家の一部屋で開業しました。
田舎の一軒家の自宅サロン
エステティックなんていってもって感じだったので、当時リフレクソロジー(足つぼ)も習得していてエステティックよりもこちらが分かりやすいかなと
足つぼサロン あきよし
でサロンデビュー
実家だったこともあり、開店資金をそんなに使わなくて良かったので焦らずスタートでき、おかげ様で1年後には口コミだけでやっていけるようになってました。
ある日お客様さまから、同じような名前足つぼ○○ って看板を見たんだけどチェーン店ですかって
え〜ってびっくりして、私も見に行きました。たまたま一緒だったのかもしれませんが、お洋服やパックなんかも人と同じものは持ちたくないタイプな私
お客様にも足つぼだけでなく、フェイシャルも喜んでいただけるようになっていたので
元々付けたかった
ホリスティックケアサロン アントゥラクト に名前を変えました。
アントゥラクト
(オペラなどの幕間の休憩時間)
当時、自分で作ったリーフレットが出てきてびっくり
自分に還る休憩時間
今もサロンのコンセプトは同じです。
自分に還り、本当の自分を思いだすと
生きやすくなり、こころもカラダも健康になります。
そしてこの頃、今もお取り扱いしている植物療法のスキンケアブランド バイオラブが誕生し、今までの化粧品とは作り方というかベースの基材が全然違っていて、使っていくほどに肌が健康になり肌色は明るくなり自分の肌もどんどん変わっていきました。
以前は資格よりも腕だなんて思っていたのですが、自宅サロンでしたしお客様に安心してご来店いただけるように、エステティックの国際ライセンス INFAゴールドマスターを取得しました。
ありがたいことに出会い運はとっても良く師にも恵まれてきたのですが
(何事も誰から学ぶかはとっても大事だと思っています)この時もINFAを受けるなら東京の広澤先生に習いたいと月1 東京に10ヶ月通いました。
今は、オンラインでも講座をされてますよ
そして、3年くらいたった時に
おんせん♨️県おおいたの別府市のマンションをオーナーさんからエステティックサロンも入れたいというご縁をいただき信じられないような流れでCherirの前身の
ホリスティックケアサロン 優輪
を開業しました。
この時、サロンの名前をいろいろ考えて付けた名前なのですが
優しくて優れたもの輪
20年たって、伏線回収するように
いろんな事が繋がってきて
この名前をつけた意味もわかってきました。
実家での自宅サロンが第一章だとしたら
別府のサロンから第二章でしょうか
ここまでお読みいただきありがとうございます。
次回は第二章へ
ココロとカラダの癒しサロン
Cherir(シェリール)
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