メリークリスマスですか?
我が家は今年はコストコで済ましちゃいました。

チキンはベルクで半額です。

まだまだ贅沢は敵。

※本日はとても真面目な話を下の方に書きます
フリマに行くと肉を当てる我が家。
とってもいお肉を頂きうまうまました。
 
 
でも風邪も引き当てて、発熱っっっっっ
たらばから移った風邪は、いつもたちが悪いのです。インフルだったのかなぁ。
小児科では調べなくて、私の行きつけの先生は「調べろよっ」ておこってた。
通りすがりに規模のでかいイルミネーションあったので写真を撮りまくったよ。(治ってからね)
ドヤ顔の私も載せとく。
ドヤっているのではなく、おいもスイーツ食べ放題なんてやっちゃって。
もう喉まで詰め込んで後悔しつつ遠くをみていたわけです。
青森で買ったりんごもちゃんと焼きました。
うまく焼けたん。
パイシートを使うことを拒否してパイからねったぞ。偉すぎるな私。
だって、ここいらで売ってるのマーガリンのパシートなんだもん。バター感じたいねん。
青森では、ほんと道の駅とかのりんごパイもバター仕様でこっちより安くてそんで美味しかった。
ほんと美味しかったの。
 

 

本題

 

結婚記念日に贈られる言葉。毎年楽しみにしている。
この日まで、なんの疑いもなく旦那は私のことが大好きすぎるな、って。
 
癌になった私を支え、いつも感謝の言葉を口にし、私を肯定してくれる人。
なのに、私は甘えていた。
機嫌が、感情が制御できないことがある。
薬のせいって思って、甘えていた。
 
あの日、の前日。
娘と旦那が帰る時間に合わせて、仕込んだ低温調理の豚肉三キロぐらい。
まとめて仕込んだ。数時間、費やした。
薄く切って、好きなタレかけて食べるだけ。
 
でも、私発熱で(上の風邪ね)ダウン。
作ってあるんだけど、そこから先ができない。
なので、旦那に頼んだけどタレとかよくわからないって。
「じゃあ後で冷めたら冷蔵庫に………」と言い残し、私は倒れた。
途中「お肉どうする?」って聞かれたけど生返事に後でやると。
 
翌日、動けるぐらいに回復。
で、夜ご飯の仕込みを………と肉を探したけど冷蔵庫にない。
仕事中の旦那と通話で、お肉どこ? って聞いたら「鍋の中じゃない?」と。
肉を低温調理、鍋に放置、この日は夏日になるまで気温が上がった。
ご丁寧に鍋はいつも収納しているところに置かれていたから、旦那が肉を冷蔵庫にしまって鍋を洗ってくれたんだと勝手に思い込んでいた。
 
「なんで!? どうして!?」
全肉が、あんなに時間かけたのに腐ってた。
「ちえりさんが後でやるって言ったから」と旦那は言った。
私としては、具合悪くて動けなくて、でも悪くなりながらも帰ってすぐご飯が食べられるよう仕込んだもので、なのにあの日は適当に納豆とかでご飯食べさせちゃって、誰もお肉を食べてくれなかった。
忘れた私も悪い。でも、熱出して寝込んでたんだよっっっ。
と、旦那に怒りをぶちまけてしまった。
なんでやっておいてくれないの、なんで食べてくれなかったの、と。
電話を切ったあと、数時間後に旦那からメッセージが届いた。
すごく長い、長いメッセージだった。
 
そこには、私がヒステリックにいつもしているから、娘が友達に大きな態度とったりするとか、いつも自分の意見は聞いてもらえないとか、私が忘れたのにとか、日ごろ溜め込んでしまっていた私への不満がつらつらつらつら書き綴られていた。
そして、時間を起きたい、と。
 
それを読んだ瞬間、私の体の血が一気に下がった。
吐き気がするほど。
 
私のせいなんだ。
私がいけないんだ。
私さえいなければ娘は優しい子に育つんだ。
私がいなければ、お金のある生活できるんだ。
私が癌になったから、借金なんてできたんだ。
 
 
私、いないほうがいいな。
 
 
吐くほどそう思った。
 
で、具合悪くて転がってるのにそんなの読んでそんな精神状態だったので、
 
「消えます。私がいてたらばが優しい子になれないならそうした方がいい」
と返信してしまった。
 
旦那は、自分だけが責められたことがショックで書きなぐってしまった。何を書いたかも覚えていない、そんなつもりじやなかったと慌てて返してきたけれど。
私の中で変わってしまったものがある。
旦那は手放しで私を愛してくれていたわけじゃないんだと。
私が不満をぶつけてはいけないんだ、と。
怖くなった。娘を、旦那を失うこと。
今すぐなくすかもしれないと自覚した。
私は実家に帰るかと頭の中で算段した。
手持ちがないので、家出ができない。
とにかく「私はいない方がいい」って精神になってしまって。
 
旦那は私がただごとじゃないと察知したのか、会社を早退して帰ってきてしまった。
帰ったら私が泣いて泣いて地に落ちていて這い上がってこないのでだいぶ慌てていた。
 
私はものを書くことが子供の時から得意で、喋りも同じで。
だから旦那をいつも論破してしまっていた。
言葉の使い方が引っかかり、指摘して攻めたりもした。
口下手というか、昔から自分の思いを上手く伝えられないんだ、と旦那は言っていた。
 
溜めてたんだ。私のせいだ。
 
この気持ちは話し合った今でも変わらなくなってしまった。
あの日から。
 
旦那は今回のことで、「気持ちが固まった。もう全部受け止めたいと思った。当たってくれて構わない」と。
そんな人いるんだね。
でも「私」の存在が家族にとってどんなに重いか、隙間に考えてしまうようになった。
 
いまは表面上は前と変わらない感じなんだけど、奥の奥に灯った火はチリチリと焦げている。
私は必要とされていたい。
私がいいと、私じゃないと、と思われる存在でいたいの。
子供の時からずっとずっと。
だから料理も、服も、詞も、書物も「褒められ」たくて。
あぁ、思い出したらまた感情がぐしゃっとなってきた。
 
こころに、きもちに余裕がほしい、お金にも。
はぁ………
 
ずっと書こうか、書かなくていいような、で悩んでました。
私の記事はいつも旦那や娘のことばかり。誰に話しても、「いい旦那さんだね」って言われるような人。
「大事にしなさい」と母親にも言われていたのに。
 
 
五年前の今頃、私は入院手術して今ここにいられる。
必要とされるためにここにいる。