前回の記事で紹介した、一人っ子政策に反発して皇帝に即位し、街の病院に攻め込んで避妊具を焼き捨てさせた曽応龍。無期懲役となって受刑中の彼へのインタビュー記事が見つかったため翻訳してみた。

 

大有王朝皇帝・曽応龍

 

廖亦武:この監獄に名を轟かせる田舎皇帝というのはあなたですか?

曽応龍陛下、と呼ぶべきである。

廖亦武:はあ、いいでしょう。陛下はいつ皇帝になったのですか?

曽応龍:朕は別に自分から皇帝になりたくてなったのではない。朕の億万の臣民たちが朕を推戴したにすぎぬ。十年くらい前、烏江(訳注:長江の支流の一つで、安徽省馬鞍山市に同名の街がある。項羽が自害した史跡)中流の観音岩に人語を話すオオサンショウウオがよじのぼってきた。そして月の明るい夜、岩の中から童謡を歌い始めたのじゃ。「偽の龍は沈み、真の龍が昇る。黄河の南、太平をもたらす」とかいったな。それからというもの、その一帯では三歳の子供までもがその歌を歌うようになり、無数の子供たちの口を伝っていたるところへと広まっていった。その地の風水師であった馬興という男がそれを不思議に思い、村人たちを連れて歌声の元をたどっていくと、観音岩の観音様の口の中で歌うオオサンショウウオを見つけたのじゃ。そのオオサンショウウオは人を見ても逃げるどころか尻尾をパタパタと振って、だれか自分を見つける人間が来るのを待っている様子じゃった。馬興がオオサンショウウオを持ち上げると、その口の中から童謡の歌詞が書かれた三尺ばかりの黄色の絹が現れた。そしてオオサンショウウオの腹には「大有」の二文字が刻み付けられておったのじゃ。その夜は月が煌々としており、観音岩を出た馬興は月をしばらく眺めた後、突然天地に向かって三跪九叩頭の礼をとって皆にオオサンショウウオを示し、これは玉皇大帝(訳注:道教の最高神)の啓示であると告げた。

朕はその時はまだ天命がくだったことを知らずに暮らしておったのじゃが、当時は一人っ子政策の実施が激しく、村の幹部どもはひっきりなしに医者を連れて村の家を一軒一軒回り、二人目以降の子供たちがいないか確かめ、見つけては罰金をとっておった。お腹の中の子供は引っ張り出せと言い、出産適齢期の男女に対しては強制避妊をする、とまで言い出した。朕には二人の子供がおったが、もっとたくさん皇子がほしかった朕は他の多くの村人たちと同じように、まだ妊娠がはっきりわかる前の妻をこっそり連れて出稼ぎとして村を出、新疆ウィグル自治区で七か月間建築作業員として働いた。結果、朕の願い通り立派な皇子が生まれ、字輩(訳注:中国の風習で、一世代の子供の名前の一字を共通するものとする。現在でも多くの家庭で厳格に守られている)に従って曽延沢と名付けた。朕は皇子を連れて実家に帰るわけにもいかぬので妻子と共に河南に落ち延び、新郷で暮らすこととした。まぁそれも馬興に風水の術を使ってどこに落ち延びるのがよいか調べさせたのじゃがな。

童謡のことじゃが、「真の龍が昇る」というのはまさに朕の「曽応龍」という名前に合っておろう。「黄河の南」というのは河南じゃし、それに北の地に在って南を向く(訳注:中国の伝統で、君主は南向きに座る。そのことから「南を向く」という言葉が直接即位を暗示する)、という意味もある。ならば新郷という地名は新しい天子が身を隠す土地、ということになるじゃろう。さて、烏江におる臣民たちは遠く新郷まで朕を出迎えにやってきて、朕の姿を見るや龍袍(訳注:皇帝のみが着用を許される龍の紋様の衣服)をかぶせ、跪いて一斉に万歳を唱えた。これを拒むことは天への叛逆となるから拒むこともできず、朕はただ天命に従うことしかできぬまま臣民たちと共に烏江へ帰って正式に即位し、国号を「大有」と定め、1985年を改暦して太平元年としたのじゃ。

廖亦武:「大有」とはどういう意味でしょうか?

曽応龍:「汝有し、我有し、皆有す」ということじゃ。朕が即位の際に発布した建国の諭旨は「土地があればみんなで植えよ、金があればみんなで使え、子供は好き勝手産め」で、臣民たちの間に広く語り継がれておる。

廖亦武:陛下の国土はいかほどでしょうか?

曽応龍:「普天の下、王土に非ざる莫(な)く」とはいうものの(訳注:儒教の最も重要な経典のひとつ『詩経』の一節。天下のすべての土地は王者の持ち物である、という意味)、朕が直轄地として直接行政を執っておるのは湖南、貴州、四川の境界の三県の土地じゃ。宰相・牛大全は建国に当たって特に人員を集めて領土の測量を行い、手描きの地図を作って四川成都国、湖南長沙国、北京国の政府に送ってやったよ(訳注:「四川成都国」・・・という表現は、古代の帝政秩序の中で皇帝が皇族や功臣を各地に封建して諸侯国とした形に類似する)

廖亦武:おそれながら申しますが、陛下の大有王朝は完全に歴史書の中の物語を引き抜いてきただけじゃないですか。童謡だとか、不思議なオオサンショウウオだとか、臣民が真の皇帝を迎えに河南まで来たとかそういう個別の出来事は全部陛下と大臣が事前に作ったホラ話ですよね(訳注:童謡や動物の体から出てきた絹で予言がされるというのは後漢の光武帝、遠くから臣民が迎えに来るのは唐の玄宗のモチーフか)。まさかこの期に及んでまだあんたが皇帝の夢を見てるなんて思いませんでしたがねぇ。

曽応龍無礼者!朕は知っておるぞ、汝は四川成都国から来た記者とかいう者で、獄吏どもと親しくしておる、とな。だが朕には汝のインタビューを拒絶する権利がある。

廖亦武:私は記者ではありません、ただの普通の民情研究家です。もし陛下が今回私とお話するのを断られるのであれば、おそらく今後あなたの「王朝」について人々に知らしめる機会はそうそうやってこないかと思いますが。私の見たところあなたはたくさんの古代語の書籍も読んでいて、知識があり、大きな志も抱いている。まぁちょっと志は大きすぎたかもしれませんが、それにしてもこのまま永遠に世の人々の笑い種になるのはあなたも嫌じゃないですか?

曽応龍王者が賊軍に敗れたのだぞ、何が笑いごとじゃ!汝は朕の口諭をありのままに記録すると誓うか?

廖亦武:もちろんです、陛下。誓います。

 

今回はとりあえずここまでにしておいて、次回後半を翻訳する。ちなみに陛下の言葉遣いは勝手にこう訳したのではなく、本当にこんな感じの中国語。開口一番「陛下と呼ぶべきである」って強烈すぎる・・・