東日本大震災一年間にたちました、震災で亡くなった方々に御冥福を祈ります。
この義援金は去年一年間、無料で中国の昔から伝わっていた手相セラピーを行い、お客さんから扱ってくれた気持ちです。
もちろん万円札もいれば、一円五円玉もあります。
でもこれらはすべて一つ一つ皆さんから扱ってくれた震災地復興への夢です。
去年の三月、ちょっと家族引越し、末期癌を倒れた主人を介護するため、慣れない店の経営も引き続き、子供達進学する時期ぶつかりパニック寸前っした。
テレビで映っていた震災地の方々、大変な思いをしながら、愚痴もせずに、互い助け会うの姿は大きく感動し、励ましにされました。長浜の人々助けてもらいながら、前向きに大変な時期を乗り越え。
金額ともあれ、この募金箱も一年間貯めた私と九月に亡くなった主人の精一杯の応援です。
今日はこの義援金を主人の長浜JCの後輩達に扱っりました、責任を持って震災地に届きます。
少しだけでも震災地の皆さんに役立つ事になれば幸いです。
これからも震災地の為、無料で手相セラピーを行い続けます。
ボンに来たら、気楽に声かけてね。
そして、今まで一年間義援金を協力した皆様にもう一度、
感謝の気持ちを込めて、
本当にありがとうございました。
程万紫の日記-120311_134415.jpg
最近ホームシックかかったのようで、昔のことをよく思い出します。
会った事もない伝説なお祖父のおかけて。
クラシック音楽を勉強するわたしが、何故か日本を興味を持つ日本への留学を決心をしました。


多分その日から植だ種かもしれない。

十二歳頃のある夏の日、ある絵の話しを尋ねたいと、湖南大学から一つの歴史調査チームを我が家に尋ねてきました。
その絵はかつて【百日維新】のリーダー譚嗣同さんの日記に記録された北京行く前日に子大に絵を残ししましたのはなしからです。
お祖父さんも北京行く予定でしたが。母の重病で行けなくなってしまいましたのようでした。
お祖父さんは当時、
翻訳の部門と科挙性大学の教育改革などの担当とされているのようで。譚嗣同はお祖父さんの何処に早く北京において欲しいとの挨拶に来てくれました。
もしいお祖父さんはその時北京に行ったら、歴史は又変わってしまいますですね!
も戌七君子じゃなく、八君子になっる可能性もある。
やっぱり神様はちゃんと考えてます。
世間に一人の人材を残してくれました。
お祖父さんはその事件後も教育を力を入れて、沢山優秀な生徒を日本に送り出しました。
明治維新以降、アジアで一番成功した国のシステムを沢山目に見て、中国にも新たの風を吹き込んで、新たな国思う政治家となって、中国の柱になって欲しいです。
生徒の中はそのままほっとんどは有能な政治家となり、国を変える有志な政治家となり、国を支える柱となりました。
その中、一番有名な二人は菜が将軍(最後の皇帝猿世かい倒した有名な将軍)
もう一人は、日本で同もん会設立し、同もん会のリーダー黄しんさんでした。
黄しんは日本に孫文を迎えて、一緒に辛核革命をやり遂げました。
黄しんはお祖父の姉の子供でもありました。
黄しんの広州事件後、お祖父さんは一族を守るの責任も背負って、すぐに官僚辞めて、フランスの租介地上海に家族を移転しました。
私はその当時の若木お祖父さんの気持ちは、良く理解できます。
優秀な国を思いの大事な同志の士大夫達は、一遍と突然に処刑されました。
どんなに心を痛むでしょう!
一人の優秀な国を思う人材を育てるのは少なくとも二十年。この方達の御両親はどんな気持ちでいるでしょう!

一遍と優秀な人材を失うと。
当時列強に捌かれ一方の中国を、どんなに心配していたのでしょう。
お祖父さんはけっして友人達は忘れる事はない。
無駄の死を絶対させないとの決心もしたのようで、
その証拠は末子の名前の中にも隠されてました。
子供にも自分と友人達の夢を託してました。
父親の名前は【士名】でした。
今から考えると本当に父親は体は弱いなのに、あんなに戦乱の中にも、命びろをしました、きっと士大夫の皆さんに守られて、生き延びたとしか考えられない。
今九十三歳の高齢ですが、けっして、お祖父さんの夢を裏切る事無し、不思議に、お祖父さんと友人達の夢を叶えらせる事が出来たのような形になりました。
しかしこの事も偶然か、必然かは、良くわからないですが、父親はきっとお祖父の夢の事は何も知らなかったです。
何故なら、お祖父は亡くなった時は、父親は又十二歳の子供でした、丁度調査団は我が家に来た時、私の年齢と同じ。
その後、父親の面白くて、数奇で不思議な人生を長くなりますから、又次回にかたりましょう。
その日、歴史の調査チームから、初めて自分のお父さんの話しを聞かされた父は、
ただただ感激に、涙を出そうでした。
私も初めて父はこんなに偉大な方の子供で有る事をしりました。

親戚の方からは、お祖父さんは何処かの県知事になった事が有ると聞いた事が有りましたが。
まさか近代史中の大事件はほっとんどお祖父さんと繋がっていた事は父まで初耳でした。
一枚の絵の行方はこんなに愛国の青年達の思いを詰まっていたなんで、歴史は初めて身近く感じました。衝撃な一日でした。
末期の清朝は最後に程家の大臣はえったのに、大事にできなかったので、危険すら及ぶ事になったので、滅びに招いたのようです。やっぱりあの噂は本当のようですね!程家は大事に出来ると国を栄えるとの古い伝説の話し。
この話し纏わるいきさつを又次回【魂の遺伝子】で解説しましょう。
結局その絵は又次の大事件に繋がった事も次回に書きましょう。

最後に読んてくれて、ありがとうございました。