最近、経験知と情報知という言葉に興味を持っています。

いろいろ論文やネット上の書かれたものを読んでいます。

経験知は「暗黙知」、情報知は「形式知」とも言われています。

 

天才的科学者、マイケル・ポラニーが提唱した概念「暗黙知」が始まりです。

まだまだ私の「暗黙知」に関する理解は十分ではありません。

けれどいろいろと読んでいるうちに、

 

なぜ、「カガクplus+」に参加した子ども達が、空気砲を浴びたり、液体窒素で凍らせた花をバリバリ割ったり、自分自身の手でごく簡単な工作をしてそれで遊んだりすると、ミニサイエンスショーを観るだけの子ども達より満足度が上がるのか。

なぜ、高専生が産業界でもてはやされているのか。

なぜ、私が博士号をとれたのか。

 

こうした私の疑問に「暗黙知」の概念が少し答えをくれたように思ったのです。

 

経験知(暗黙知)は「自分の感覚を通じ実際に体験して習得する知識、うまく言語化などができず他には伝えにくい」、情報知(形式知)は「自分が体験はしないものの主として視覚または聴覚を通じて言語などの記号を介して習得する知識、他と共有できる」とされています。

 

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高専生は中学校を卒業後の15歳からの5年間、実験や実習を、そんじょそこいらの工業高校や大学の工学部(こんな言い方本当に失礼極まりないことは重々承知です、本当に本当にゴメンナサイ)では、難しいほどにみっちりやらされます。

 

この経験が繰り返されて身体の中に沁み込んで「経験知」となっていくのではないかと思ったのです。

レポートには書くことがない・書けない、実験や実習の最中に無意識のうちに五感で感じるもの、匂いや音や指先で感じる事や空気感などなど、が、気づかないうちにぢわぢわと高専生の身体の中に蓄積されていくのではないかと。

何度も実験・実習を繰り返していくうちに、いちいちテキストを見なくても不安を覚えず、自然に身体が動いて作業を進めることができるようになる。

そして、講義等で学ぶ「情報知」とすり合わされて、腹落ちして、有形・無形の「知識」として高専生の中で醸成されていく。

そのうち、あまりやったことのないことでも、怖がらずに手を出すことができる。

 

だから、現場で「考えるより先に手が・身体が動く(高専生あるある?)」し、問題解決につなげられる。

「勘がはたらく、勘所がいい」というようなことでしょうか。

 

分野が違っても、何度も「経験知」と「情報知」の両方をつなげた経験と、そこで定着した「知識」は活かせるのでしょう。

そうでなければ、「高専生は使える」なんていう評価を産業界はしないでしょう?

 

昨今はテレビでもインターネット上でも著名な方たちによる、優れた科学・実験のコンテンツを提供されていて、子ども達も簡単にそうしたコンテンツに触れることができます。

すっごく良いことだとしみじみ思います。

NHK for Schoolのコンテンツもすごく面白いですよね!

私自身も「おおぉ~!!」「すげ~!!」「おもしろい!!」「やってみた~い!」と思わされることがほとんどで、こんな環境下で学ぶことができる子ども達がうらやましいです。

 

なのに。

どうして「テレビで見たことある~」と叫ぶ子ども達が、私の繰り出すしょぼい空気砲に目を輝かせ、手を伸ばして空気砲のわっかに触りたがったり、空気砲を浴びたがったりするのか。

ごくごく簡単な工作を一緒にやって見ると、それを使って(もうそろそろ良くない?)と思うくらい遊びたがるのか。

 

いくら優れたコンテンツに触れていても、それは「情報知」にすぎず、腹落ちしていなかった、満足していなかった???

空気砲を体感し、工作で自分の手を動かして遊んでみる、という実体験から「経験知」の芽を得て、すでにもっていた「情報知」とのすり合わせができたことによる充足感があった???

 

等と考えるようになっています。

 

中学生の当時、どちらかというと文系(国語、社会、英語の方が好き&得意)と感じていた私。

そんな私がどうして博士(工学)号までたどり着けたのか。

 

高専での「経験知」と「情報知」とがつながる、という経験が、私の基礎・知識をつくり、私を伸ばしてくれたのではないか。

技大に進学してからも、実験を何度も、研究室に所属してからは毎日のように繰り返して、「経験知」として蓄積する、ということがあったように思われます。

そして、時々おとずれる自分の出したデータと「情報知」がハマること、「経験知」と「情報知」が違和感なく合わさって、新たな「知識」が正に自分の脳に刻み付けられたと確信できる、しびれるような快感。

これらが「自ら学ぶこと」「好奇心が満たされること」の面白さに繋がっていったように思います。

もちろん、ここに至るまで、教え導いてくださった先生方、諸先輩方の存在も。

 

これらが私を博士号をとるところまで連れて行ってくれたのではないか、と。

 

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「暗黙知」についての私の理解はまだまだなので、いろいろと書いてみましたが「それは違うんちゃうか」と思われる方もいらっしゃるかと思います。

私自身のごく私的な経験を、自分自身が納得できるか否かでつなぎ合わせただけですので、その点ご了承いただけるとありがたいです。

 

子ども達の「経験知」につながるような「経験の芽」を(こども達は意識しないでしょうけれども)、「カガクplus+」の活動に参加してくれたお友達が得られる、体験できるように、そんな風にできたら嬉しいなと思っています。