5月13日~14日にかけて、被災地ボランティアに行ってきた。
人数は募集枠の20名のほかに社会福祉協会の職員3名、ほか、職員の知り合いかなんかで、ワゴン車でバスのあとをついて現地入りした4名の計27名。
募集枠20名のうち14名が女性。年齢は20代から50代までさまざま。あ、そうか、20歳から60歳までっていう募集だったっけ。
職員は前の週にも石巻にボランティアに行ってきたらしい。
ま、一般募集するにあたっての下見を兼ねてってことだろうと私は思う。
ほかにも、何度か足を運んでいるという人が何人かいて、バスに乗り込む前から「先週行った時はこうでしたよ」「え、あそこがですか?」などと声高に話していたので、ちょっと内容を聞きたかったのだけど、どうにも初めてボランティアに参加するおばさんでは会話に入り込めないオーラがありまして。
あ、初めて? って笑われそうなイメージっていうんでしょうか、卑屈なもんで。私。
結局この何度も行っている人たちはなんだったのかわかりませんが、当日の活動を共にはしませんでした。
ま、いいや。
埼玉県の小さな町での募集でした。人数集まるのかな?なんて心配しちゃってて、私。
そしたら、町内の人はやっぱり少なくて(汗)、私以外に2人かな? あとはみんな別の市内や、都内の人もひとりいましたね。お友達同士っていうのもいました。
想像では、どこかであると思っていた「自己紹介」のようなものが、まったく無くて。
なんの関わり合いもないまま、作業場所の銭湯に到着。
息苦しかったなぁ、もう。
23:00にこちらを出発して、鏡石SAと矢本SAでトイレ休憩。
鏡石は福島、矢本は宮城ですね。
あの日、記事にも書きましたが、本当に地図を持って行けばよかった。
地名とか全然わからなくて(知らなくて)、ただ「石巻市に行く」と、連れて行かれた先で作業するだけ っていう姿勢、ダメだよね。
必要ではなかったけど、矢本ってどこだ? とか、現地のほんの目と鼻の先におりながら、ちょっと自分で恥ずかしかった。お気軽ボランティアパック みたいで。
内緒にしてくれ(笑)。
さてさて、ボランティアに行くぞ。行けるんだ! ってわかった翌日あたりから、色々なものを揃えました。
ホームセンターに行って、安全長靴、ゴム手袋、軍手、帽子。
合羽? 合羽はある、家にある。汚れてもいい服? あるある。
リュック、携帯電話、電池式の充電器、保険証、水、朝食&昼食 うん、OKOK。
その後、防塵マスクとゴーグルとヘルメットを買い足し、
さらに釘やガラスを踏んで怪我する人が多いからとの連絡をもらい、ステンレスの中敷きを購入。
以前も書いたけれど、これらの品々は全部、値段的にピンキリで。
全部を「そんなに良いのじゃなくていいよ」という感じに選びました。
恰好ばかりになってしまうのが恥ずかしくて。
でも、夫は高いのばっかり持ってきて(笑)、こっちの方がしっかりしてる、ほらここんとこが全然ちがう、なんて言ってましたね。
でも結局は私が選びました。そんなにいいのじゃない方を 笑
ただ、機会があればまた行きたいという思いはあったので、使い捨てしなくていい程度のものを。
日にちが迫ってくるにつれて、緊張しましたね。
本当に、お腹にきちゃうぐらい。
行きのバスの中はそれがピークでした。
怖くて怖くて。
ちょっと待て、なにが怖いかを考えろ。えーと、えーと。
なんてやってました(笑)
何が怖かったか。
単純にまず、危険なところに行くということ。あんまりほら、子どもたちを置いて外泊とか無いじゃない?
夫は出張なども無いので、別々に寝るっていうこともほとんど無いんですよ。
震災直後は電車がちゃんと動いていなかったので、夫だけ会社の近くのホテルに何日か泊まってましたけどね。
ちゃんと帰ってこないと、家族に会えない なんていう、不安です。
どこに行くってんだ、おまえ と思うでしょう?
でもそんな気持ちでした。
家族が恋しい 気持ちでした。
それから。
被災地に行くのが怖い。
これ、上とおんなじじゃん と思うでしょ?
ま、おんなじなんだけど、違うんです。
報道で見ている被災地。ネットでもたくさんの映像、たくさんの写真を見ました。
具合が悪くなるほど、見ました。
瓦礫の山がどわーーーーっとあって、その手前はへどろの水がたまっていて、その水の中に30人以上ものご遺体が写っている写真も見ました。みな、真っ黒になって、顔も服も、露出している手も足もただの黒になって、正座したまま前に(うつぶせに)倒れたような格好をしている人が多かったです。
その中に1つだけ、仰向けに、大の字に倒れているご遺体がありました。
大きく写っていたので、黒い中にも小さなことがわかりました。
苦しそうにゆがんだ表情、口の中にたくさん入ったへどろ、来ているTシャツの迷彩模様、そのしたの筋肉のかたち。筋肉のかたち。つい何時間か前まで、力強く動いていただろう、筋肉のかたち。
瓦礫・瓦礫・瓦礫。
埋もれた生活用品。
写真。壊れた道路、壊れた車、泣く人、怒る人。
何かの痕。何かのかけらたち。
誰かの大切なものが汚れている、こわれているたくさんの場面。
泣く人、そこで暮らす人。
それらに触れて、冷静でいられるのかな、と思う。怖い。
実際に被災地外の人が被災地を見たあとの記事などを見ても、報道の100倍すごい、とか、絶句した、とかそういうのがほとんどだったからね。そうでしょう?そういうの目にするでしょう?
ってことは、私が今知っているのは100分の1の被災状況。そう思うよね。
それが怖いんだ。
でも行くんだ。
私は東北の友だちに会いたい。
いや、会えないんだけど、会いに行くというつもりで来たんだから。
そうだそうだ。
そうだ、そうだった、そうだった。 なんだ、そうだったじゃん。
夫にメールをし、「早く寝た方がいい」と返事が来て、
みなさんからのコメントを読み、友だちに「今、向かってるよ」と、メールをし、夜が明けるころには落ち着いていました。
石巻災害ボランティアセンター(石巻専修大学)へ。
敷地内には沢山の車。テント。
おおおお、ここでこうやって連日ボランティアしている人たちだ。
テントの外で歯磨きをしたり、車の窓から洗濯物のハンガーが提がっていたり、そこに小さな生活があった。
毎朝、8:30~ボランティアの受付が始まるようだ。
そこで、各自受付をして、人数や活動可能時間などを伝える。それを受けてセンター側が作業場所を決めるというしくみのようだ。
職員が受付をしているあいだに私たちは身支度やトイレを済ませ、朝食をとるように言われる。
職員がプリントを手に戻ってきた。
「市内の銭湯の泥出し及び清掃作業ということです。今から向かいますが、近辺は道が狭く、バスは入れませんので、歩きます。屋内なので、場合によってはヘルメットは不要かもしれませんが、念のため作業場所までかぶっていってください」。
バスから見た風景。
報道と全然ちがう。
それが、逆の意味で。
バスが走っている大きな通りは、このあたりと変わらない。店も営業している。
あー、でも壁にヒビが入ってるなぁ、とか、看板が割れちゃってるわ、とかそういうのはあったし、
あと、橋の上から見たら河原などもちらかってましたね。
でも、歩道には部活に向かうような学校のジャージ姿の少年たちが笑顔で会話しながら自転車をこぎ、携帯を弄びながら自転車にのっている少女もいるし、何も知らなければ何も変わったものを見つける事ができないんじゃないか? と思うような風景だった。
そっか、石巻市は広くて、私がいる場所は被害の少なかった場所なんだ、きっと。
そう思った。
冷蔵庫の山があった。
津波で流されたものだろうな。冷蔵庫だけで、5000台ぐらい積んであったんじゃないかな。1000位の山が5つ位はあったと思う、ごめんね、ぐらいぐらい で。
冷蔵庫だけをそこに運んできた、っていう感じで、人の手によって集められた山。
そう、道の端のところどころに、いろんなものが積んである。
たんす、ベッドのマット、テーブル、椅子、割れた陶器類、服。とにかくいろんなものが泥で汚れて。
だけど、これらの全部(私が見たもの)は、人の手によって寄せたり集めたりされたもので、テレビで見ていたような、流されたままの瓦礫ではなかった。
えーと、今日は5/14だから。
震災から2カ月。そのあいだ、連日自衛隊やボランティアが作業しているのだし、ゴールデンウイークを利用したボランティアも多くいたし、少しずつ片付いていることは間違いないんだろうな、
そんな風に見えた。
バスを降り、歩いて銭湯へ。
小さな通りに入ると、また少し様子が違った。
泥汚れが目に付く。
わぁ、家も壊れてる。1階が吹き抜けてしまっている。ここをあの津波が通ったんだ。
私たちが作業する銭湯。かなり古いが、建物はしっかりしている。
依頼主の奥さん(おばあさん)が、前に立っていて、私たちの方を見て力なく言った。
「おねがいします、水は出ます」
これだけ。
あまりの重たさに、黙る一同。
扉が開いていて、中が見える。
泥。
木でできた下駄箱。泥。
脱衣所、泥。
番台、ジュースの冷蔵庫、泥、泥、泥、冷蔵庫の上に古いテレビ。
マッサージチェア、どろ、完全に壊れた、大きな体重計。
全自動洗濯機、乾燥機、トイレマークが付いてるスリッパ、ぞうきん、バケツ、泥だらけ。
ひと目見ただけで疲労、そんな感じだろうな、依頼主さんにとっては。
そこへ石巻市の社会福祉協会の職員が3名、作業着にヘルメット着用で登場。
若い若い青年たちで、深々と頭をさげ、ありがとうございます、どうぞよろしくお願いします、と言って作業の説明をしたり、道具を運んだりしてくれた。
全員中に入る。
自然と男性は男風呂、女性は女風呂に集まっているのがおかしかった。
そして、そのままでの作業になった。
浴場、泥。
タイルのかけら、割れたガラスの破片、せんめんき、デッキブラシ、バケツ、ぞうきん。
水道は男湯と女湯に1か所ずつ。
あーーー、あと3か所ぐらい水道があったらなーーーー っていう感じでしたが、水が出るだけいい方だよねなんて話しながら。
とにかく声をかけあって、力を合わせて、知恵を合わせて、の作業でした。
昼食をとるころには、だいぶキレイになっていたし、みな汚れた顔で、でもみな笑顔で語り合うことができた。
各自ボランティアセンターで配られた名札ステッカーを貼っているので、名前で呼び合うこともできた。
作業を終えるころには、依頼主さんご夫婦に笑顔が見えました。
これが本当に、たまらなく嬉しかったです。
毎日毎日、ここへきて、中を覗いて溜息をついてた そう言ってました。
自宅は別なんだそうです。まだ住める状態ではないと言っていましたが。
頑張らねばね、頑張らねばね。
ありがとうございます。
そう言って冷えたお茶・ジュースを差し入れてくれました。
うちのコップが全部なくなったから、紙コップでごめんね。
コップが全部なくなる、それすら経験ないもんなぁ。
すいません、せっかくですからいただきます。
お別れをして、外に出ると、あちこちにボランティアが作業しているのが見える。
近くの交差点は信号が機能していないらしく、警官が交通誘導している。
災害ボランティアセンターに、作業報告のために戻る。
途中、踏切を渡る。
ああ、そういえば朝も渡ったっけな、と思いながらふと右を見た。
踏切を渡る、ほんの一瞬のこと。
そこに、テレビで見たような、被災地があった。
上に書いたような気持ちで油断していたので、心臓がズッキュウーーーーンとなってしまった、本当に。
線路、レール、なんだかわからない鉄のかたまりがグニャッと。
通り過ぎる瞬間のことで、なんなのかわからなかった。
わからないのに、怖かった。背中が冷たくなった。
私は震災前の石巻市を知らない。
そうか、おかしな順序で、かたよった部分だけを見ているんだ。
バスで、あと数分違う方向に進んだら、きっとおそろしい光景があるのだろう。
誰とも話さず、ボランティアセンターに着いた。
そこで着替え、顔洗い、うがい、トイレなどを済ませておくように言われる。
着替えた、顔を洗った、手をあらった、うがいした。
だが、すこしも汚れがとれた気がしない。
でも、うわ! すごいね、空、すごく綺麗な青だぞ、
汚れが取れない。そんなことを思って、ごめんなさい だ。
また来ます。きっと来ます。
被災地の人と、長く話せるような機会があったら、ぜひ、関東の私の気持ちや考えていることを伝えたい。
「東京の人も不幸になってくれ、そしたらいっしょに頑張れる」。
そんな赤ちゃんみたいなことを言うほど、辛いんだよね。わかったよ。
でも私たちが全員幸せかどうか、わかんないべ?
帰る場所があるだけで充分幸せ、そうだね、そうだ。
でも全員が適当なのか、全員が敵なのか、信用できない他人なのかわかんないべ?
きっと立ちあがれる日が来る。
立ち上がって、振り返るまでのどこかで。
離れた地でいろんな思いをした人もいるということにも(ちょっとでいいから)目を向けてほしい。
被災地外に友達がいたら、その友達はあなたを思ってどれだけ泣いただろう。
もっともっと後になってからでもいいんだ、その涙にも気付いてほしいと思う。
またタイミングが合えば行きます。
地図と、友だちへの思いを持って (歌詞にできそ、なんつって 笑
励ましてくれてありがとう、
持ち物を調べてくれたり、
超高性能の防塵マスクを送ってくれたり。
心強かったよ!
本当にありがとう!