おととい。
「虐待致死傷罪制定及び虐待防止社会に向けての請願署名」なるものに、署名をしました。
これは2009年、大阪市西淀川区の小学3年生女児松本聖香ちゃんが実母とその内縁夫による残虐で常軌を逸した恒常的な虐待により命を落とした事件をきっかけにして始められた署名らしいです。
母親の裁判に続き、今は実際に暴力をふるった内縁の夫が裁判中ということもあって、連日に渡って虐待の詳しい内容も明らかにされますし、ニュースや記事に取り上げられることも増えますので、そこでまたさまざまな声が行き交うんですね。
先日、私も記事を書きました。
他の人が書いている記事も読ませていただきました。
その中でこの署名を知りました。
と、同時にある(見知らぬ)人の記事に書かれていたことがひっかかり、しばらく色々と考えていました。
その記事というのは、
このような事件が起こり、ニュースになったときにだけ、被害者に同情して、謎の正義感を振りかざして、もっともらしいことをいう人たちがいる。
このような人たちに出来るのは、せいぜい署名かデモぐらい。
つまらない同情をするぐらいなら、ボランティアでもしてきたらいい。
といったものでした。
いえ、正確にはもっと長い文章で、全部読んでもまったく意味がわからないような、完全に破綻している文章でした。
私が上に書いた部分も、私が自分で理解したものを私の言葉で書いているだけです。
彼女が省かずに言いたいことは、
自分はシングルマザーである。
自分は精神を患っている。
と、いうこと。
とにかくどこをいちばん、伝えたいのかがさっぱりわからない文章でした。
だから、当然、そんなものを受け容れるとか、認めるとか、私にはできませんし、相手にする必要もない。
そう思っていました。
ただ。
悔しいのです。
私はもしかしたら、この全然意味の通じない文章を書くような人間の言う通りの人間なのではないか、と、自分でチラッと思ってしまったら、もうダメなのです。
悔しいのです。
私は…………。 私は????
署名を知ったあとも、イヤな気持ちを拭いきれず。
あの、私は思うんですけど。
虐待は結果です。
虐待をしようと思って子どもを産む人はいないと思うんです。
もちろん最初から、困った人も多くいます。
堕胎することからも産む(育てる)ことからも逃げてしまうような、ね。
トイレで産み落とすとか、あるじゃないですか。
そういう人のことはここで書きませんが、「産む」を選んだ人の中に、虐待が目的の人はいませんよね。
何かが変わっていった結果なんですよね。
だからなに?ではなく。
私は、今回署名するにあたり、その内容に1つ、自分の中で小さくつけ足しをしました。
それは、
この先、もしももしも、私がわが子に虐待をし、子どもの身になにかあったら、法律で私をぶち殺して下さい。
ということです。
このような署名をする心境のとき、「自分がそれを犯す可能性はゼロ」と、誰でも思うのではないでしょうか。
きっとそうだと思います。
だけど虐待をしようと思って産む人はいない、自分はそんなことをしないと思っていたのにしてしまった、のなら。
「ゼロ」ではないのかもしれない。
母親の彼氏に殴られ、彼を怒らせたと言って母親にも殴られ、という経験が私にもあります。
それも結果です。
母は私にそんなことをしようと思って私を産んだはずはありません。
だから少しは母親にも同情できる、なんていう話では全くなくて、実に恐ろしいことだと思うと言いたいのです。
優しい人が、幸せだった人がそのようになってしまうのですから。
友だちから聞いた話では、児童相談所や施設でも虐待が多いんですって。
絶句しました。
今はそのような記事を見つけて読んでいます。
親に虐待されて、保護された場所で虐待されるんですか。
いったいどこへ行ったらいいんでしょうね。