前回の投稿でも触れましたが、
エイブラハムの「感情のスケール」で見ると
「罪悪感」は、なんと下から2番目。。
この感情を持ち続けているとき、
私たちはボルテックス(高い波動の領域)には
決して入ることができません。


でも、ここで思い出したいのがイエスの有名な言葉です![]()
『父よ、彼らをお赦しください。
彼らは自分が何をしているのか分からないのです。』
(ルカによる福音書 23:34)
いばらの冠をかぶせられ、磔(はりつけ)にされたあの瞬間、
イエスは苦しみの中で、私たち人間を責めることなく、
「ゆるし」の波動そのものになっていました。
彼は「罪を犯した人々」ではなく、
「何をしているのか分からない人々」――
つまり、無知ゆえに人を傷つける私たちを
丸ごと抱きしめたのです。
だから、私たちが自分を責めるときも
イエスはきっと、そっと囁いています。
「大丈夫。あなたは、最初から、
ゆるされているんだよ。」
聖書の中のイエスは少し堅い言葉で描かれていますが、
本当の彼はきっと、ユーモアたっぷりで、
人間味あふれるワイルドな人だったと思うのです
。
だから、口調もきっとこんなかんじ。
「おいおい〜、そんな顔すんな!誰もきみを責めちゃいねぇよ
」
「心配すんな、オールオッケーだ。神もオレも笑ってるぞ
」
「おまえ、まだ自分責めてんの?もう愛でチャラだって〜
」
ゆるしとは、相手のためではなく、
自分をボルテックス(高い波動の息)へ還す愛の行為。
イエスも、神(ソース)も、
私たちに「罪悪感」をもたせることはありません。
ゆるし、ゆるされることで、
私たちはみんな、ボルテックスに戻ることができる。
無駄な罪悪感はいらない。
私たちはみんな、愛の周波数をあげていけるのです![]()
たしかに、私たちは、多かれ少なかれ、
「罪悪感」という名の影を心のどこかに持っています。
過去を悔やみ、
「あのとき、ああすればよかった」と自分を責め、
ゆるされたいと願う。
相手からも、神からも、「もう大丈夫」と言ってもらいたくて。
でも――もう、十分苦しんだのではないでしょうか。
これ以上、自分を罰する必要なんてない。
イエスはすでに、
「あなたは最初からゆるされている」と伝えています![]()
だから、今ここで、まずは
自分をゆるしましょう。あなたも、わたしも。
それが、ボルテックス(愛の源)へ戻る
最初の一歩なのですもの!