アメリカ時代の思い出をつづっていたら、
もうひとつ、忘れられない人物の顔が蘇りました。
私が留学していた1984年頃、
大学構内に、多くのベトナム人がいました。
英語のクラスに、
Mさんという、笑顔の優しい、
聡明なベトナム人女性がいました。
同じアジア人ということで仲良くなり、
お家にも遊びに行って、
生春巻きをご馳走になったこともありました。
すでに結婚して、
3歳くらいの女の子のお母さんである彼女は、
本国ではお医者さんをしていたとのこと。
アメリカではベトナムの医師免許を使えないので
ナースになるための勉強をしに通っていました。
仲良くなるにつれ、
やがてどのように
アメリカに渡ってきたかの話をしてくれるようになりました。
彼女は、歴史的・政治的な背景から、
本国から小型船に乗って、
難民として渡ってきた一人だったのです。
当時、「ボートピープル」と呼ばれていた人たちです。
・船の中は劣悪だったこと
・他国の海賊に襲われたときのために
女性の自分も男に見えるよう髪を刈りこみ、顔も汚くしていたこと
・たくさんの人が犠牲になったこと
・襲われずに渡れた自分が、どれだけ幸せかということ
当時、日本は女子大生ブームと呼ばれ
猫も杓子もブランドバッグを持っていた時代。
なに不自由なく育ち、
親のお金で学びに来ていた私には、
彼女の壮絶な体験を前に、
何ひとつ言葉が出てきませんでした。
そんな彼女に
二人目の子どもが宿りました。
どんどん大きくなっていくお腹を見て、
楽しみだね~などと話していたら、
ある日、
お腹がぺったんこになった彼女が
教室に入ってきました。
私 え?え?生まれたの!?
Mさん そう、3日前にね
私 み・・み・・みっかまえっ・???
学校来ちゃだめだよ、休まなきゃ!
Mさん だいじょうぶよ、車で来たし、授業中も座っているだけだから。
私 いやいやいやいや・・そういうことじゃないでしょう!?
Mさん ありがとう。
でもね、休んだら単位取れなくなるかもしれないもの
はやく卒業したいのよ
もう・・
もうね・・・
生きる覚悟がまるで違うの。
この話を聞いて以降、
何か大きな壁にあたったとき、
Mさんのことを思い出す私です。
彼女の強さは、私の心の支えになっています。
いま、
世の中は本当に厳しい状態だけれど、
神対応をしたくても、
なかなかできない環境だけれど
人のぬくもりは永遠です。
ここをなんとかこらえて・・・
皆で乗り越えて・・・
また不安なく外出ができるようになったら、
思いっきり
お客様に喜んでもらう対応しちゃいましょう。
私も、いまそんな言葉を自分に語りかけています。