私への親からの虐待が段々と減っていった原因は。
この、友達の親だ。
友達の親に相談してからも私は虐待されていたけど。
助けを求める事はしなかった。
正確には出来なかった。
虐待を受けても、親がいるのに、家から電話をする事が出来なかったし。
中学年で携帯など持っていなかったし。
公衆電話は家の近所に一台だけあったけど。
そもそも、公衆電話から電話をかけるお金を持っていなかった。
その頃は月に1000円という、本当に少しのお小遣いをもらっていたけど。
その中から、いくらかかるか分からないと電話代にお金を使う余裕は私には無かった。
それに、私の実家のある、住んでいた団地は。
小さな長屋の平屋で。
家の玄関は、父親と母親の寝ている部屋の隣で。
家の外は砂利が敷き詰められていて。
家の外を誰かが歩けば、足音がジャリジャリと鳴る家だし。
木造で、いくつかのふすましか仕切りがない家で、トイレの音さえも家中に聞こえるような環境だったから。
虐待されても、親に気づかれずに助けを求めて家を出るのは不可能だった。
公衆電話に電話をしに家を抜け出すことさえ出来ない環境だった。
だから虐待されても耐えるしか無くて。
あまりにも暴力が酷くて、このままだと本当に殺されると思った時に何度か。
走って家を飛び出して逃げた事はあったけど。
私の実家は、本当にとても田舎で。
熊や鹿、猿、リス、狐などが普通にいるような場所で。
近くにあるのは唯一、無人の駅があるだけで、他には何もなくて。
スーパーなんてもちろん無いし。
コンビニも、小さな商店さえも、夜の6時過ぎとかにやってる店まで行くには。
その頃は、車で50分ほどの距離まで行かないとなくて。
小学校は、住んでいる人口がとても少ないから、子供が少なすぎて。
物凄く離れた距離同士から子供達が通うので。
私は距離が離れすぎていて電車で通学だったし。
中学は私は家から歩いて20分位で通えたけど。
同級生は、中学のある場所までそれぞれの方面から、電車で2つとか3つ先の駅から通学して来る様な感じで。
3つの小学校の地域を合わせて、やっと一つの中学に通えるような場所だった。
それでも中学の同級生は、50人とかしかいない。
一番少ない小学校の同級生は、広い範囲の地域なのに、一つの学年を合計して、同級生が6人しかいなかった。
そんなど田舎だから、本当に逃げる場所などどこにもなくて。
外灯もほとんどなくて、道も足元が見えないような場所ばかりで。
以前にも書いたことあるけど、それでも、私は何度か家を飛び出して逃げた。
いつも、追いかけられてすぐに追いつかれて、更に殴る蹴るの暴行を受けたけど。
酔っ払ってる父親は多分、酔ってるのに逃げた私を走って追いかけたりして、余計に酔いが回るのだろう。
そういう時は、酷く殴る蹴るの暴行をするけど、いつもの暴力よりも、時間としては短時間の暴力で済んだから、逃げた後の方が、暴力を受けても、少しは楽だった。
それに多分、私が外に逃げると。
私が砂利を走って逃げる足音で、近所の団地に住んでる住人にも、何かがあったのが分かるから。
近所の目をとても気にする私の親は。
そういう時は、近所の目を気にして、あまり酷い暴力は出来なかったのだと思う。
父親の暴力があまりにも酷くて、母親が何度か、私のおばあちゃんに電話をして助けを求めた事もあった。
父親は、おばあちゃんには頭が上がらない。
何度か、おばあちゃんに怒られている父親の姿を見た事はあるけど。
私はその時、いつも泣いていたから。
父親とおばあちゃんと母親が、何を話していたのかは私は全く覚えてない。
でも、おばあちゃんが来た後は、少しの間は父親からの暴力は止まっていた気がする。
すぐに元に戻るけど。
一度だけ、夜中に私が家を飛び出して逃げた時に、父親が酔っ払いすぎてて、私をすぐに捕まえられなかった事があって。
その時私は、とにかく草むらを走って逃げた。
電気もなく真っ暗で、虫も、何の動物がいるかも分からないけど。
とにかく本当に、命の危険を感じて逃げた。
隠れられるようなとこが本当に何も無くて。
道は一本しか無いし、別れ道はどこにも無いし。
家もないし、本当に草むらか、道しか無くて。
でも、道が無いから、逃げた方角で、どこ方面に向かって逃げたかはバレバレで。
だから、唯一、道から隠れられるのは、崖になってて斜めになっている草むらで。
その草むらの付近に行けば、いくつかの分かれ道もあるから、そこまで逃げられれば、いくつかの選択肢があって。
そこまでは、全力で走れば、家から5分か10分位だったから。
その時は、初めてその草むらまで逃げられて。
親は飲酒運転で、車で探しに来た。
助手席から母親が、懐中電灯で草むらを照らして、母親が私の名前を呼んで叫んでて。
もう怒らないから出てきて!
とか、何度も叫んでいた。
私は、崖から滑り落ちそうになりながら、必死に掴まれるとこにしがみついて、草むらに身を隠して見つからないようにしてた。
もちろん返事はしなかった。
しばらくして親はいなくなった。
私は心底ホッとした。
でも、私の記憶はそこまでで。
その後にどうなったのかは、何故か覚えていない。
どうやって家に帰ったのか?
何度かそういった事があるから、記憶がはっきりしてなくて。
その何度かは。
本当に帰ってももう暴力を振るわないと約束してもらったりとか。
おばあちゃんを呼んでもらって、おばあちゃんちに泊まらせてもらったりした。
でも、約束しても簡単に破られて殴られたりもした。
そんな風に何度か。
親から逃げるのは無理でも、逃げ出したことはあった。
友達の親のとこに逃げたのは一度だけだけど。
それは私の初めての、完全な家出で。
数日間、友達の家にお世話になった。
良く覚えてないけど、もしかしたら一週間くらいだったかも?
その時は、学校に行ってから友達に相談して。
親に無断ですね突然、友達の家にお世話になることになって。
友達の下着まで借りて恥ずかしかった事だけは、とても良く覚えている。
友達の親が私の親に電話してくれると言って。
私の親と話をしてくれて、お世話になることになった事だけは覚えている。
それで、私の親が、私の服とかを届けに来て、その時に友達の親と私の親が話をしたようで。
何を話したかは友達の親は教えてくれなかったけど。
もう大丈夫だから。
気が済むまで、ずっとここにいても良いんだよと、何度も友達の親に言われて。
私は凄く安心して泣いた。
けど何故か私は自分の家に帰った。
何故私が、親の元に帰ったのか?その経緯は私は全く覚えていない。
けれど。
これが大きなきっかけで、父親からの暴力が段々と減っていったのは確かだったと思う。
それでも完全に無くなることは無かったけど、その頃から私が暴力を受けることは減り始めた。
けど、それと同時期くらいから、私のすぐ下の弟への父親からの暴力が増えて行った。