うーたの事は、結構細かく覚えているのに。




例えそれが、どんなに深刻な内容だったとしても。



私は、旦那と喧嘩したり、話し合いをした時の内容は、いつも、後になると細かく覚えてなくて。



だからその話も、今ではもう、はっきり覚えてないけど。



とにかく、私は別居したいと決め。






決めた日の朝、うーたを連れて、旦那を起こしに行くことをしなかった。




それまでは、時には、二回、三回、うーたを朝に参上させてみる事をしたりもして。



旦那が家を出ていく時には、うーたを抱っこして、玄関で一緒にお見送りをしていたのだけど。



旦那に切り出したその日だか、その前日だかは、それをやらなかった。






そして、切り出してから旦那と話し合いをした。





ほんのり覚えてる内容としては。




すぐに別れるとかの話ではなくて、私とうーたが、旦那にとって、そんなに必要な存在だとは感じないから、別居するのもありでしょ?



的な感じで。



だから、アパートの保証人になって、アパート借りるお金を出してよ、なんなら、アパート代も出してよみたいな内容の話をしたと思う。





私は旦那に、今の状態を良く思っていないという事を、何度も色々と訴えたと思うし、そのサインも出しまくっていたと思うけど。



私の中では、最終的にはそういった結論を出すことになった。



だけど旦那は。



私が続けていた、うーたを連れて朝に行くという習慣、うーたにお見送りされて、行ってきますの挨拶を、うーたにする習慣が、もう、凄く楽しみになっていて。



切り出される前に、それが無かったことを、凄く気にして、寂しく感じたらしかった。



そして。



それが無かったことを、仕事中もずっと気にして仕事に身が入らなかったらしく。



何をしでかしたかは忘れたけど、結構ヤバイミスを、その日にしていた。



それで、、自分にも、うーたが凄く大切なんだと改めて感じたようで。



更に、私がうーたを連れて別居という話をしたから。



私もうーたもいない生活を想像した時に。



私はもちろんだけど、うーたがいないのはあり得ないと思ったようで。




うーたに完全にハマっていたと、そこで初めて自覚したようだった。




そして、その翌日から二人で協力して、より、うーたを可愛がるための色々な事をするようになった。



その大きな一つが、多分以前、少しブログに書いたけど。寝室や洗面所、リビング、各部屋の大改革で。



うーたも旦那もストレスなく暮らせるように、色々と、大きく変える作戦だった。




大きくて重たい家具の配置も含め、全面的に旦那が協力してくれるようになったから一気に、それまで私だけでは出来なかった、猫仕様の部屋に大改革する事ができて。



移動の様子はうーたも付いてきたりしながら見ていたし、移動したものとかで遊ばせながらの大移動だったから、環境の変化に弱いと言われる猫でも。



移動した家具に乗ってみたり、空いた引き出しやケースの中に飛び込んでみたり、無くなった家具のあった場所をパトロールしてみたりして。



遊びながら、変化を楽しんでいた。











これは、その時に壊した、初代だか二代目の手作り段ボールハウスで。



うーたは、どんどん小さくなっていく段ボールハウスを、ずっと側で、不思議そうに眺めたり。



畳んで小さくなった段ボールを、がじがしして遊んだりしていた。



一番上の写真のように、最上階で良く、くつろいでいた。



この頃にはすでに、キャットタワーもあって。







まだ大きくなりきってないうーたと、キャットタワーの全体の写真は、残念ながら撮ってなかったみたい…




キャットタワーを、この時期に、試しに、和室に移してみる事にした。