今月は稲刈り、稲架掛け・脱穀という体験をさせてもらって
とっても新鮮な感覚を学ばせていただきました![]()
🌾![]()
詳細レポはこちら🫱
気持ちのいい汗を流して、帰途についているとき
今までで、お米ができる現場に関わらせてもらったのって
数年前に「田植え」を2回ほどと
今回の稲刈り・脱穀の2日間だけなんだよな〜と。
非日常を体験させてもらった〜って、楽しく参加させてもらったけど
ふと思ったのですよ。
多くの人にとって、これが「非日常」でいいのか? と...。
毎日食べてるお米ができる現場を、全く知らない。
最近ではこういうの、小学校とか中学校で体験するのかな?
地域によるかな。
私は神戸で育ったけど、こういう体験はなかったなぁ。
せいぜい、芋掘りとかいちご狩りとかだった。
【人の森🌳プロジェクト】のテーマとして、
分断と競争の社会から、共創と協創の社会にしていこう。
調和的にティールな文化でつながる人のコミュニティを広げていこう。
というのがあるのですが、
毎日食べるものの現場を全く知らない。ってのも、分断のひとつだよな〜と。
今までもね、思ったことありますよ?そりゃあ。
頭では知ってます。
でも、体験するって、やっぱり「 実感 の 解像度 」が違いますね。
近所のスーパーや食卓に並ぶ、シャケやブリの切り身と、
水族館で泳ぐ魚が子どもたちは一致しない。とか、テレビで聞いたりしてたし
若い親さえも同じようにスーパーの切り身と、
少し前まで海で泳いでた魚なんだって実感もなかったりするんだろうなって
想像もつきます。
「体験」できる場とかがなくなってたり、
教育が偏ってしまったり、部分的になりすぎてたり
「学ぶべきこと(価値あること)」が
社会で生きるためのスキルとか知識とか、専門性に特化しすぎてて
「外側」に偏りすぎてるから、そうなるんだよな〜って。
頭や理屈では理解してる。してた。
でも、そういう知識とか、考えとかを持ったあとに
いま実際に自分で体験してみて
目の前の 自分の『命』や『人生』を生きること に、無知なんだ。
ってことを自分自身が、より実感を持って理解したんだよね。
稲刈り作業からの帰り道で、思ったんです。
非日常でもいいから、
日常の延長線上にちゃんとつながってる世界にしたいな、って。
だからこそ、人の森は、色んなジャンルの人たちに来てもらいたい![]()
![]()
社会が拡大して分業化されてく時代に
各分野に、分断されて、他のことが全くわからなくなってくんじゃなく
調和的な意識を持って意識的につながっていける社会。
自分の興味があるところを跨いでつなぎ、
興味がないところにも、「知る」というアンテナを伸ばすところから初めて
出会っていって、気づいていく。
分断されて見えない触れない分からない、道のない世界じゃなく、
道がちゃんと、ある世界。
そんな機会がある場所(人)を、社会のあちこちに創っていく。
改めて、そんな思いを強くした、稲刈りの機会でございました![]()
![]()
そういう、つながる体験、社会をつなげる場所づくり、に興味のある方は
ぜひ、人の森に会いに来てください❣️![]()
![]()
https://www.instagram.com/hito_no_mori/
https://www.kokuchpro.com/group/hito_no_mori/



















