大掃除といっても本格的なものではなく、カーテンを洗ったり、1箇所だけ集中して掃除していたんですが、
あるコーナーに埃をかぶった大量のプリントが。
これは全部、ハングルを勉強していたときのものです。
最初は独学でした。
NHKの語学講座のゴガクルを利用して、ハングルで日記を書いていました。
そうこうしているうちに私の拙い日記を読んでくださる方が日に日に増えていって、私もその方たちの日記を見にいくようになりました。
ある時、
「その表現は間違っていますよ」
と指摘されました。
その日から間違うことが恥ずかしくなって、日記が書けなくなり‥
よし、ちゃんと勉強しようと思って、カフェレッスンを申し込みすることにしました。
その後、4名の先生に習うことになりました。
皆さん、韓国人の先生です。
初めて教わったのが、日本の有名大学を卒業され、日本人と結婚された先生。
プリント中心の授業でした。
ゴガクルの日記の修正もお願いしました。
2人目は、日本に来てまだ数ヶ月で、日本語が少ししか話せない先生。
カフェレッスンの収入で生活していたので、運営側からたくさんレッスンを入れてあげてほしいと言われていました。
私は週1のレッスンをお願いしていました。
若い方だったので、K-pop の話をたくさんしました。
3人目は、サムスンの日本支社で日本語の教師をしていた先生。
いちばんスパルタでした
その頃の私は老人ホームで働いており、夜勤明けにレッスンをお願いすることが多かったです。
先生は発音に厳しく、カフェで大きな声で発声させられるのは恥ずかしかったのを覚えています。
しかし、K-pop のファンミに行くときはこれを言ったら注目されるよと、メッセージを教えてくれるようなお茶目なところもある先生でした。
4人目は、日本人と結婚されて、日本に住まれて20年以上の日本語も流暢な先生。
先生の自宅でレッスンを受けました。
生徒さんを集めて、キムチ教室を開いたり、
釜山旅行を計画してくださったりと、今思えば有難い話だったんですが、その頃は主人の母も健在で、
内緒でレッスンに通っていたため、レッスン以外は参加できませんでした。
レッスンは順調に通っていたんですが、老人ホームから病棟に異動になったときから、暗雲が立ちこみ始めました。
仕事がきつくなったうえに主人の母の介護が必要になりました。
先生に事情を話して、レッスンは一旦終了することになりました。
あれから10年くらい経ったかな?
先生、元気にしていらっしゃるかな
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今日は美容院に💇♀️行って来ました。
サラサラな髪にしていただき、これで気持ちよく新年を迎えることができます😉-⭐︎
今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました☺️