私が病院を辞めて訪問介護の仕事をしていた時に
姑が亡くなりました。
葬儀の時、長男も帰って来てくれました。
通夜の晩、主人は夜伽のため、葬儀場に泊まりました。
家には私と長男と次男の3人。
兄弟で殴り合いの喧嘩をして以来の顔合わせです。
私は“喧嘩せんとってや”と2人それぞれに声をかけることしかできませんでした。
結局、2人は葬儀の間ひと言も会話することが
ありませんでした。
最期はせめて姑を安らかに送ってあげたい。
という気持ちから誰も何も言えませんでした。
最期に姑と会話できたのはコロナ禍の
老人ホームのオンライン面会でした。
主人と次男は週に2、3回は足を運んでいましたが
私は仕事にかまけて全く顔を出していませんでした。
そんな時、主人から « お袋の口からお前の名前が出た
だから会いに行ってほしい »と言われ
主人と2人でオンライン面会に行きました。
久しぶりに見る姑は激痩せしていました。
目の下のクマも酷く、非常に弱々しく見えました。
スタッフにベッドをギャッジアップしてもらって身体を起こしてもらっているけれど
すぐに身体が傾斜してしまいます。画面から見えなく
なったり、スタッフが起こしてくれたりの繰り返し
の中、
« 家族仲良くしていくんやで »
自分で身体を起こすこともできない身体で
息切れしながら
何度も何度もこの言葉を繰り返しました。
« 家族仲良くしていくんやで »
認知症かな?と思った時もあったけれど
最期まで、家族の事ははっきり分かっており
心配をしたまま亡くなりました。
おかあさん、
主人と結婚した時は
猫も杓子も皆んな大学を出ているのに
なぜ高卒なんだと言われたり
もっといい家柄の子に嫁に来てほしかったと
言われたり
息子たちの習い事にまで口を出してきたり
息子たちにまでお金の話をしたり
当時はどうしたらいいか分からなくなって
介護の資格を取って介護の世界に入りました。
いずれは私がおかあさんを看ることになるから
と取った資格でしたが、
結局、老人ホームにお世話になることになりました。
家事、育児、仕事、おかあさんの世話もこなしているのに、これ以上何を望むの⁈と思っていたけれど
もっと優しい言葉掛けが必要だったんだね。
ただ、話を聞いてほしかったんだね。
おかあさんが守ってきた家で最期を迎えられなくて
ごめんね。
主人や息子たちのことは私に任せてね。
でも時々は、空に向かって愚痴は言わせてね。
そちらで会える時は笑い合って会いたいな☘️