色々な人とかかわる中で、「嬉しい」「楽しい」気分になることだけじゃなく、

時に「一番つらい所をグッサリ刺された」気分で凹むこともあります。

 

改めて気づいたことで、「方言のちがい」もその要因になり得ます。

例えば、関西人と関東人。

 

それぞれ「相手を叩く気はない」としても、

関西人が聞く関東方言は「冷たい」「ありのままぶつけてくる」「ぶっきらぼう」です。

「笑い」の感覚も、どこか「他人を叩く」ような会話が笑いを誘うようで、この辺は関西人とは違う。

 

かと思えば、関東人が聞く関西方言もまた「きつい」「怖い」「腹の内が見えにくい」ように取られているようです。

「笑い」の感覚も、「どぎついツッコミ方」「自虐的」なものを感じているかもしれません。

 

関西人の私が思う「関西方言」「関西の笑い」は、

思ったことをストレートに言うと「角が立ちやすい」ため、やんわりと「オブラートに包む」表現にします。

それは「相手を傷つけない」ための、関西人なりの「優しさ」です。

 

関西人の「笑い」の感覚は、「他人のことで笑いを取る」は失礼なことで、自分のミスを笑い話に持ち込んで自分が「阿呆になる」ことで、「他人を傷つけない」ことにつながります。

 

ここら辺の違いもあって、関西人と関東人が「面識のないうちからストレートに話す」って、

そういう関係に慣れた人でもなければ、関西人としては相当傷つけられた気分になります。

 

世の中では「自分を出そう!」という考えも強くなっていますが、

「相手が聞いてどう感じるか」を意識して、さじ加減は大事だと思います。

 

私の人生の大半は「谷」「崖」ですが、

だからこそこれからの時間、様々な方面の方々との交流機会を得て「山」を感じ、より楽しんでかかっ割り合えるつながりができればと願って日々精進しています。