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ちゃぁ

元中国駐在 初老男の綴り方

 二週間ほどが過ぎたある朝、皆で朝食をしていると川里主任から

 

「”ちゃぁ”だいぶ慣れて着ただろう。今日から駐在員生活リーダーを命じます!」

 

 生活リーダーとは何のことはない、昼晩レストランでの食事の注文、清算やホテルの服務員との窓口、それから休日の買い出しを率先してする役割で、いわば雑用係。。。

 

 とはいえ中国語が挨拶さえままならなかったのですが、日本語が全く通じない異国で生活する上ではどうしても通らなければならない道ですので、最初は単語の羅列、手振り身振り、筆談で必死にこなしました。

 

 たとえばレストランでは、メニューを一つずつ指さし、

 

 「这个,这个,这个!。。。。。,全部7个!,好!(これ、これ、これ!。。。。。全部で7コ、はい!」

 

とか、市場で卵を買うときは、指さしながら

 

 「这个新鲜吗?,真的假的?,好,买半斤,多少钱?(これは新鮮ですか?、ほんと?、よし、250グラム下さい。いくらですか?)」

(当時、スーパーがなく食材は市場で仕入れるしかなく、ほとんどが”量り売り”でした。)

 

といった感じでした。(笑い)

 

最初は先輩に助けてもらいましたが、2、3か所まわるとすぐ、先輩たちは横でくすくす笑いながら、見ているだけになりました。

 

その時、心に誓いました。駐在員の中で一番中国語を上手になってやる!と。

 

 会社のほうは、駐在員に加えて合弁相手の中方企業から5名ほどの”新会社設立支援スタッフ”を選抜派遣してもらい,川里主任、山田さんと一緒に地域の各種登録手続き、日本製設備の輸入手続き、現地調達の材料手配を進めていくことになりました。

 

工場改修工事も順調に進む中、いよいよ従業員採用も動き出すことになりました。

 

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 住んでいるホテルは市中心から少し離れた緑豊かな比較的大きな公園を有する丘の下にありました。

 公園には天気がいいと、朝方、女性たち10数名が、リーダーと思しき人の掛け声とともに音楽に合わせ、広場ダンスをしています。又、男女問わず太極拳をしたりする人たちを見かけます。

 休日は加えて、黒い包みで覆われた鳥籠を持ったお爺さんが、ちょうどいいところに座ると包みをとります。そうすると鳥たちがきれいな声で鳴き始めるのです。

 

 朝7時半、ホテルのフロントで集合し、2台の車に分乗して出発。最初は新しく開発した地域のため、道路もきれいに整備されており、交通量もさほど多くないのですが、そこかしこに大きな箒をもって、かえって砂埃を巻き上げている清掃員たちを横目にスムーズに進んでいきます。

 

 しかし、比較的大きな通りにでると、そこは出勤途中の自転車でいっぱいになります。車はスピードを落としクラクションを鳴らしまくりながら30分ほどで会社に到着します。

 

 会社は日中の合弁企業でその中方の敷地内にあり、門を通ると常駐しているヨレッとした制服を着た警備員3名ほどが、各々ばらばらに笑顔で手を振ってきてくれます。入ってすぐのところで車を降り、私たち駐在員の”詰め所”に向かいます。

 

 ”詰め所”は、10年ほど前から私たち日本の会社が技術者を派遣し、指導を行ってきている部署の事務所(弁公室)奥にあり、20条ほどの細長い部屋です。駐在員はそこに荷物を降ろして、雑談交じりのミーティングを行い、持ち場に向かいます。

 

私の働く場所~工場も敷地内にあるのですが、まだ修復工事中で、従業員はまだ一人もいません。故に新会社の現場で指導する駐在員もまだ派遣されてきていませんので、ミーティングが終わると、おのずと川里主任と二人だけになり、その主任も巡視や中方との打ち合わせでちょくちょくいなくなり、結局、私一人になる時間が多くなります。

 

 私の担当は経理と総務ですが、工場もまだできておらず、設備も搬入されいていない、従業員の募集も始まっていない。

 そんな状況ですので、パソコンを開き、表計算ソフトロータス1,2,3やワープロソフト一太郎を使いながら外国との合弁企業に適用される会社法や労働法、会計基準などを勉強したり、中国語を勉強したり、日本とのメールのやり取りをしながら一日を過ごします。

そんな感じで中国での仕事はスタートしました。

 

”まあ、しばらくはゆっくりするか。。。”。

 

最初の半月ほどは、のんびりと構えていたのですが。。。。。

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 1994年春、1度目の中国駐在員生活は、”寝台列車食中毒事件”で始まり、風邪の付録まで付きましたが、何とか3日で完全復活、いよいよ本格的に始まりました。

 

 五感すべてが初めてのことばかりです。

 

 外国人にはまだ治安の不安があり、地方都市にはスーパーもコンビニもない時代でしたので、安全性と利便性から私たち駐在員は同じホテルに住んでいました。

 

 外国人や公的機関幹部の観光用として建てられたホテルで、地上10階くらいあったかと記憶しています。比較的新しく、フロントや服務員の中には片言ですが日本語が分かる方が数名いました。

 

 ホテルのレストランは中華2店舗と洋食1店舗、売店では地域の特産品はもちろん、近くには韓国焼肉風レストランもありましたが、残念ながら日本食は一軒もありませんでした。

 

 昼食、夕食は基本そのどこかでいただきますが、朝食は、日本から持参したり、送ってもらったりした味噌、醤油、調味料で味付けした味噌汁や卵焼き、煮物、炒め物を各部屋で作り、主任の部屋に集まり食べます。

 

 ご飯のお米は地産で、地面に直置き乾燥のため小石が多く含まれますが、洗米の時に水道とつなぎ、勢いで小石だけを飛ばす専用の器具があるのには驚きました。

 

 私達は平日は基本、団体行動で休日も赴任後1カ月は、一人での外出は禁止といった具合でした。

 

 通勤手段はそのころBRTや地下鉄はなく、公共の乗り物ではバスやトロリーバス、個人ですとバイクに乗る人もいましたが圧倒的に自転車です。

 

 公的機関や国営企業の幹部は中国製高級車の”紅旗”、中国製のワーゲンサンタナ、外車のBMWや日産などを公用車として、専属の運転手付き、多くの自転車の中をクラクションを鳴らし、かき分けながら走り抜けていきます。

 

 日干し煉瓦を山積みにしたロバ車や生きた鶏二羽をぶる下げ疾走する自転車と並んで走っているところをよく見かけ違和感を覚えたものです。

 

 私たちは、中方企業の公用車2台に分乗して通勤です。道路は水はけが極めて悪く、少々の雨でもすぐに且ついたるところで冠水するため遠回りし、30分間で到着するところ2時間かかることは日常茶飯事でした。

 

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 「とりあえず、挨拶は後で!、すぐ病院に行ってきなさい!」

 

 中方は地域では比較的老舗の国営メーカーで、敷地内に小さな病院がありました。

通訳のワンさんに連れられ歩いていくと、色とりどりのチョークで中国語や装飾が描かれた大きく長い黒板があり、多くの人がその前で眺め、なんやかやと議論をし、笑いあったりしています。

 

「一月後に社内の運動会が行われる予定で、そのスケジュールとか........。」

 

ワンさんはのん気に説明をしてくれますが、私はかゆみと少々の恐怖で耳に入ってきません。

 

 奥へと進むと寮生なのか、キャッキャとはしゃいでいる若い女性たちがおり、その前を通りすぎしばらくすると、やっと病院がありました。

建物はどこも同じ”日干し煉瓦”で出来ているのですが、そこだけ窓枠と扉は木製で白く塗装されており、入り口には”〇〇第3病院と書かれています。

(後から聞いた話では、元々病院は1つしかないようです。。。)

 

 ワンさんに受付をしてもらい、待合室で待つことになりました。 

そこには10名程度の患者さんがいて、3~4か所の診察室では診察・診療が行われているようです。これは見てもらうまで結構かかりそうだなと少々がっかりしていると、ワンさんが、

 

「すぐに見てもらえますよ。受付で話しておきましたから。」

 

 体中のかゆみを我慢して待つこと4~5分ほどで呼ばれました。何人かの患者さんが後をついてきます。先を越されてずるいとかそういうことではなく、この病院に外国人が来たことに興味を抱いているようだとのこと。

 診察室にはいるとそこには、一人の白髪交じりで背の高い医者と3人の看護師さんがなぜか微笑みで迎えてくれました。

 

「何か、虫とか草とか木に触れたししていませんか?」

「いいえ、特にありません。」

「では、何か変わったもの、腐りかけた物とか生の物を食べませんでしたか?」

「いいえ、特に。。。。。。。あっ!」

 

そうです!夜行列車の食堂で食べた魚のから揚げです!

ふんだんに香辛料が使われていて、傷んでいるかどうかはわかりませんが、そういえば少し生だったような気もします。味はまんざらでもないし、山田さんの手前もあり、取ってきた4枚の内3枚を私が食べました。

 

 早速、血液検査をすると、案の定”傷んだ魚による食中毒であることが判明。すぐに注射をすることになりました。

 

診察用のベットに腰掛け、待っていると先ほどの看護婦さんの一人~私と同じか少し年上の感じ~が少し太めの注射器をトレーに乗せてやってきました。これは痛そうだな、どちらの腕にしてもらおうか迷っていると、ワンさんがクスクス笑っています。

 

「横になって、向こうを向いて、ズボンとパンツを降ろしてください。」

 

仕方なく、言われた通りにし、ぐっと目を閉じていると、あまりにもかゆみが凄すぎたのか、痛みはあまり感じずに注射完了。

 

「飲み薬と塗り薬を出します。飲むほうは一日3回食後に、塗り薬は適宜で。それでもかゆみが収まらない場合はタオルを濡らして体に巻いてください。1日もすれば治りますよ。」

 

その日は、そのままホテルに帰り、言われた通り薬を飲み、塗り、体に濡れタオルを巻きました。夜にはかゆみも少し収まり、何とか寝ることができました。しかし、翌朝寒さで目が覚めると咳も出始め熱も上がってきているようです。どうやら、濡れタオルを一日中体に巻き、カゼをひいてしまったようです。

 

赴任早々、このありさま。この先どうなることでしょうか。

 

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 朝4時半過ぎに目的の駅に着きました。

 

 同室の方はまだ先に行くようなので、お礼と別れの挨拶をし、山田さんについて出口へと向かおうとしました。

が、なかなか前に進みません。

降りる人たちはさほど多くなさそうでしたが、なぜかみな一か所の出口に進んでいます。

 

 夜はまだ明けておらず、外はあまり見えませんでしたが、出口に着くと、なんとそこにはホームがありません。ただ、大きめの踏み台のようなものが置かれていました。それがすべての出口に有るわけではないので、降りる人が集中したため、中々進まなかったのです。

 

 私たちは少々ガタが来ていて揺れる踏み台から恐る恐る降りると、日本語で山田さんを呼ぶ声がしました。

 

 「おつかれさまでした!こちらが”ちゃぁ”さんですか?初めまして”王(ワン)”といいます」

 

 出迎えの王さんは現在、新会社の中国側パートナー会社(当時は国営企業)で通訳をしている方で、新会社設立の手伝いをしています。

 

 「それでは駐在員の皆さんがいるホテルに行きましょう。」

 

 ホテルに着くとそこそこ近代的で大きな高層ビルでした。

チェックインを済ませ、部屋に案内されると明るくなるまで2時間ほど時間ができました。

シャワーでも浴びようと思ったのですが、そのまま寝てしまいました。

 

 目が覚めて、身支度を済ませるとロビーに集合。新会社の総経理になる川里主任ほかの皆さんと顔合わせです。そのうちの久保谷さんは日本の事業所でも一緒で顔なじみです。

 一通り挨拶を済ませ、中国生活一日目がいよいよスタートしました。

 会社は車で30分ほどのところで、中方パートナーの敷地内。川里主任と2名はそちらで技術指導もされています。

 

 一旦、駐在員の詰め所に荷物を置いて、中方パートナー幹部の皆さんと”接見”です。

広さは40畳ほどの縦長の部屋で、前方に 一人掛けのひじ掛け付きの椅子が2つと通訳用のいすが各々1ずつ、その後ろには日中両国旗がクロスで置かれており、更にその後ろには立派な掛け軸が一幅、両脇には3人掛けの椅子が3列ずつあり、見上げると大きなシャンゼリアがありました。

 

 全員が腰かけると、各々の席に置かれた、”茶葉が入れられた蓋つきの湯飲み”に係りの方が”真っ赤なポット”でお湯を注いでいきます。

何人かは息を吹きかけ、お茶の葉をよけながら一口二口。

その様子を見ているとほとんどの中方幹部の男性の多くが”世界史の教科書で見かけた服”(”中山服”)を着ていることに気づきました。

 

 中方の董事長(社長)と川里主任が前方の椅子に腰かけ、お互いの通訳を通して、各々近況を報告していた時、明け方からのかゆみが頭と背中から腕にも移っており”シャワー浴びたいな。。。”などと思いながらボリボリと掻いていると、私の挨拶の時が来ました。

 

 山里主任から紹介を受け、その場で立ち上がり

 

 「初めまして、この度、新会社でお世話になることになりました”ちゃぁ”と申します。年齢は34才で。。。」

 

 話し始めてすぐ、中国語で何か声がかかりました。

 

 「腕が赤いようですが、どうしたのですか」

 「おい、首も真っ赤だぞ!」

 「なにか食べたか?!」

 「とりあえず、挨拶は後で!、すぐ病院に行ってきなさい!」

 

 え、え、え!

それを聞くと、かゆみが体全体に広がり、熱もカーっと上がっていくようでした。

 

 

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