ちゃぁ

ちゃぁ

元中国駐在 初老男の綴り方

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「ははは!彼女はいつもこういう時の乾杯も担当しているそうですよ!」

私は遠のく意識の中、王さんの声を聴いた気がしました。

ともかく、ついに!本当に!学校に。。。。。行く。。。。。。。。。

 

どれくらいたったでしょうか。

 

どうよら今度こそ本当に学校に着いたようです。

 

時間はそう立っていないようですが、トイレに駆け込んで、体に浸み込む前の”バイチュー”はすべて出してしまっていて、また、10分ほどでしょうか、寝ることができたため、何とかかろうじて復活です。

 

ふらつきながらみんなに着いて校舎に入ると、応接室に通され、校長先生と数名の先生たちに出迎えられました。

 

私たちは少なからず酒臭いはずですが、良くあることのようで全く気にする様子はありません。

挨拶もそこそこに今日のスケジュールと試験方法の確認などをして、

 

「それでは始めましょう!よろしくお願い致します。」

 

運動場に案内されました。

 

わりと広い運動場に200人ほどの生徒さんたちがいて、

遊んだり、おしゃべりをしたりしています。

 

ほとんどが女性。

年齢は見たところ、下は中学生から上は、本当に学生ですか?と思える方もいます。

どうやら、学生でなくても紹介があればだれでもやってこれるようです!!!

 

服装は全くの自由で、スカートよりズボンの割合が多い。

質素ですがこざっぱりとした感じです。

 

先生が、拡声器で声を掛けると、運動場にいた生徒のほとんどがやってきました。

今日、どんな会社から、こんな仕事の募集があると聞いていて、

興味のある或いはすぐにでも仕事がしたい人たちが、集まってきたのです。

 

先生が生徒たちに何やら説明なのか、訓示なのかをした後、選手交代。

新会社の中方人事労務部門の方、中方から移籍してきた労務担当リーダーが中心でそこに王さんが加わり3人が前に出ると、どうやら試験が始まるようです。

 

でもなんで運動場で。。。

 

と思っていると、それはすぐにわかりました。

生徒たちは少し間隔をあけて立つと、音楽が鳴り始めました。

体操を始めたのです!

全国的なものなのか地域ごとにあるものなのか、”ラジオ体操”のようなものを始めました。

 

3人はその間を縫うように歩きながら、時々生徒の肩に手を置いていきます。

手を置かれた生徒はため息をついて、その場を離れていきます。

時には食い下がるものもいますが、それは学校の先生が連れだしていきました。

 

この時点で元気のないものは、失格となるのです。

 

7割ほどが運動場に残りました。
 

私たちは、王さん以下3名に就いて、二次試験会場の教室に向かいます。

到着すると彼らは巻き尺(メジャー)取り出し取り出し、教室の入り口に印をつけました。

 

ん?何をするんだ?

 

「オペレーターは背が高い方が有利なんですよ。この印は160cmの高さです!」

 

。。。。。

 

生徒たちは廊下にならばされ、印の前で一旦とまり、左右に分けられていきます。

10名ほど通過したとき、右側にいる生徒は1人。160cm以上がたった一人だけだったのです。

廊下で待っている生徒たちを見回してもクリアできる人はほとんどいないことが分かり、

あっさりとこの試験は中止となりました。

 

その後、生徒たちは3つの教室に分かれ、国語(もちろん中国語)、や算数とともにクレペリン検査などの適性試験を行い、本日の試験はすべて終了となりました。

 

結果は後日、学校に連絡することとし、学校を後にしたのでした。

 

帰りの自動車の中、私はまだ酔いが残っている頭の中で、ぼんやりと思っていました。

「これからもこの調子で採用活動はつづくのだろうか。。。」

 

 

つづく 

 

                                                    ちゃぁ

「これからお互いにラオポンヨウ(老朋友=よき友達)になるため、まずは三回、乾杯をしましょう!」

 

「カンパ――――イ!」

 

ああ、いつになったら学校に到着するんだろう。。。。。

 

 昼間から本格的な宴会が始まりました。

 

”くだん”のバイチューは52度のご”五粮液”でかなりの上物(???)!

 

お猪口ほどのグラスに満たし、お互いに一対一で乾杯をしていきます。

”宴”の冒頭で、5~6杯。。。。。

 

更に、その後も乾杯は続き、途中からは若い!という理由だけで私が乾杯担当に任命され、

最後はトイレに駆け込んだところで記憶が飛んでしまいました。

どうやら、宴席に戻ってそのまま爆睡したようです。

 

一時間を過ぎたでしょうか。

 

「”ちゃぁ”!、宴会はもう終わったぞ。学校へ行くから早く起きろ!」

 

料理はほとんど食べずじまいで少し残念でしたが、ふらふらと歩き、やっとのことで車に乗り込むことができました。

 

鎮政府の方たちは駐車場まで来てくれ、

 

「学生たちをどうぞよろしく!」

 

大きく手を振り、見送りをしてくれました。

 

え!

鎮の女性課長は満面の笑みを浮かべ人一倍大きく手を振っています。

後半は私と”さし”で乾杯していたはずなのに、顔色一つ変わっていません。

 

「ははは!彼女はいつもこういう時の乾杯も担当しているそうですよ!」

 

私は遠のく意識の中、王さんの声を聴いた気がしました。

 

ともかく、ついに!本当に!学校に。。。。。行く。。。。。。。。。

 

つづく 

 

                                                    ちゃぁ

 村の入り口、いわゆる”関所”を無時通過、更に学校へと進みます。

 

 ”関所は村に入る一番狭い道に設けられていたようで、その先、少し開けてきて舗装されておらずガタガタ道でしたが、対向車と容易にすれ違うことができるくらいの幅になりました。

 

 そこからしばらく走っていると、更に開けてきて左右は畑が広がり、小屋のようなものもいくつかあり5~6人の人が何やら収穫作業を行ているようでした。

 

 更に先に進むと、前方に古ぼけた、でもそれなりに広い敷地を持った3階建ての建物が見えてきて、車は中へと入りました。

 

 やっと学校に到着したのかと思うと、もう一台の車に乗った労務担当リーダーが降りてきて、

 

「ここは鎮政府(村役場)で、ここで政府の人と合流しますので少し待っていてください。」

 

と話し、中方の人事労務部門担当の人と建物の中に入っていきました。

 

 私たちも車を降りて、10分ほど待っていると、二人は年配の女性と比較的若い男性を連れて戻ってきました。彼らは”鎮”の職員で学生の就職活動はもとより、農閑期の出稼ぎの紹介なども行っているそうで、女性はその部署の課長さんで男性はその部下です。

 

 私たちは、簡単に挨拶を交わし、さて、いよいよ学校へ向かうぞ。。。。。

 

と思っていたのですが、

 

「こちらへどうぞ!」

 

 学校へ行く前に事前の打ち合わせをということで、何やら別の建物に向かうことになりました。

 

 ついてみるとそこはレストランで、奥の部屋に案内されました。中には恰幅の良い男性がおり、満面の笑みで、私たちを向かい入れます。男性は労働担当副鎮長です。

 

 あ!。。。。。こんな所でもか!

 

 部屋の真ん中には丸いターンテーブルがあり、その上には料理が並べられています。

 

 その中には例の飲み物も置かれています。

 

 そう、バイチュウ、白酒です。

 

 ああ、又始まるのか。。。。。

 

「私達の鎮へようこそ!この鎮は市からの財政支援を受け農業の発展と若者への教育に力を入れており。。。。。」

 

副鎮長の挨拶が始まりました。

 

鎮の歴史や産業の状況、教育にいかに力を入れているかを聞かされ、10分ほどで話は終盤になりました。

 

「この後、私達鎮の優秀な学生が集まる学校へ行って頂きますが、どうぞ一人でも多くの学生を採用頂きますようよろしくお願い申し上げます。それではお互いの発展と友好を祝して乾杯をしましょう!」

 

 駐在してからもう何度か遭遇してきましたが、この地域の人たち、特に役所の人たちは宴席が大好きです。

 

開始早々から、

 

「これからお互いにラオポンヨウ(老朋友=よき友達)になるため、まずは三回、乾杯をしましょう!」

 

「カンパ――――イ!」

 

ああ、いつになったら学校に到着するんだろう。。。。。}

 

つづく 

 

                                                    ちゃぁ

 中方から移籍、採用が決まったリーダーたちは工場の改修が終わるまでの間は引き続き元の職場で働きながら、夕方1~2時間、山田さんを中心とした我々駐在員、王さんと他の通訳さんが先生となって日本語勉強会を開催しました。

 

 最初はお互いに戸惑いもありましたが回を重ねるに従い、打ち解けてきて、積極的に学習する姿も見かけるようになり、10代の若い人たちは特に吸収が早く、日々向上する姿には関心です。

 

 

 

 続いて、オペレーターの募集をスタートさせました。

私たちの新会社は労働集約型の工場で、工場の作業は技術ももちろん必要ですが、単純作業が多く忍耐と継続力が必要なため、かつて日本でもそうであったように、若い女性たちの方がオペレーターに向いています。

 

 先ずは100名採用を目指いします。

 採用方法は、

街や村の壁や柱に”招聘公告”をやたら目ったらベタベタと貼っていくやり方、

新聞広告を出すやり方、

学校に直接募集を掛ける方法、

又、当然関係者の知り合いの紹介などがあります。

 

 私たちは、一度に多くの人材を確保するために、学校に募集を掛けることにしました。

 

対象は中学、高校、そして職業訓練学校もあります。当時の職業訓練学校には12~18才ぐらいまでの多くは女性が学んでおり、オペレーターとして即戦力も期待できます。

 

 採用チームは川里主任を筆頭に田中さん、私、王さん、中方から移籍してきた労務担当リーダーで構成し、中方の人事労務部門にも協力いただいて、各学校を回ることになりました。

 

 早朝、会社に集合し、自動車2台で出発。

向かうのは、少し離れた郊外にある農村部の学校です。

中方の人事担当の方が言うには、都市部は当時ひとりっ子政策の影響もあってか

少しわがままで、我慢がきかないのに比べ、

農村部は兄弟姉妹がおり、家族の手伝いをすることが日常で我慢強く、

また、少しでも家計を助けるため中学を卒業するころには外で働きだすことが一般的で、一度に人材を確保することに向いているそうです。

 

 出発して30分ほどで景色がだんだんと変わってきます。大きい建物は姿を消し、

小さなボロい一軒家や山積の日干し煉瓦、野菜やガスボンベのようなものを積んだロバ車が目につき始めます。

 

 更に進んでいくと、道もだんだん狭くなり、 山道に入りました。

 

すると、いきなり踏切のような長い木の棒が道一杯に掛けられており、進むことができなくなりました。

 そこには3~4人ほどの屈強な男性が”咥え煙草”でこちらを眺めています。

 

 王さんが、車から降りながら

 

「ちょっと待っててください。」

 

といって、男たちのほうに向かっていくと、笑みを浮かべ、自分の煙草を男たちにふるまいながら話し始めました。                                                     

 

 何か、工事とか、土砂崩れか、迂回していくのかなと思っていると、男たちは木の棒をどかし始めました。王さんは男たちに向かって片手を上げ、たぶんお礼を言って、戻ってきました。

 

待っていた私達は少し不安です。

崖が崩れたり、道が土砂で埋まっていたりして危険ではないかと思っていたのです。

 

 車に乗った王さんは、満面の笑みを浮かべながら再び男たちに手を振りました。

 

 車が走り出すと、王さんは笑顔から真顔になりながら、

「だいじょうぶ、だいじょぶ。心配ありません。さあ、行きましょっか!」

 

 王さんが言うには、そこは村の入り口で、交代で道の番をしているとのこと。

 

いわゆる村民が勝手に設けた”関所”のようなものがそうで、

表向きは村の安全を守るためとしながら

裏向きには通行料を取ることが目的だそうで、

警察も見ぬふりをしているそうです。

 

「ここは通行料を払えばすんなり通してくれることは聞いていたので、大丈夫でしたけど、場所によっては、お金も洋服も全部取られたり、従わないと刺されたり、殴られたりするところもありますよ。」

 

王さんはニッと笑い、煙草に火をつけました。

 

やれやれ、この先どうなることかと思いながら、気を取り直して学校に向かいます。

 

つづく 

 

                                                    ちゃぁ

 工場改修工事も順調に進む中、いよいよ従業員採用も動き出すことになりました。

 

 私達の日本サイドではある品種の生産を日本から中国に移す計画がありました。

そして、10数年来技術提供、指導してきた中国国営会社の”プーマオ”(補貿=補償貿易)部門と共同で立上げることにしたのがこの新会社です。

 

 そこで、生産現場のリーダーはその”プーマオ”から、また、スタッフ部門のリーダーも中方の各セクションから選抜することになりました。

 

 生産現場の人選は”プーマオ”の技術指導を直接担当している山田さんが、スタッフ部門は”新会社設立支援スタッフ”や先方の推薦から山里主任が選抜し、私を含め3名で、本人や家族の意向も踏まえながら一人一人と面談を行いました。

 

 私たちは後から知ったことですが、多くの確率で合弁相手会社幹部の家族、親せき、知り合いが含まれていたようですが、当時はごく普通のことだったようです。

 

 生産現場は工場全体を束ねる工場長1名を筆頭に職場の課長クラス3名、生産ラインごとのリーダー8名、スタッフ部門は通訳の王さん、生産管理・貿易担当、人事労務担当、財務会計担当そして社用車運転手の5名、合計17名の移籍、採用を決定しました。

 

 特に王さんは今まで”プーマオ”立ち上げ時から10年間、通訳を行ってきたため合弁相手企業に広い人脈があり、仕事柄、省政府・市政府(県庁・市役所といった感じ)にも顔が利き、何より交渉能力にたけていたため総経理助理として働いてもらうことになりました。

 

 運転手については、国営企業の独特の文化なのか、車1台に1名が必ずおり、且つその車の運行、メンテナンスその他一切の責任を負うシステムで、故に大抵の故障は自分で治せる技術を持っていました。

 ただ、裏腹にその自動車に関わらない仕事はしないといった面の有ったので、面談時に、新会社では買い出しなど庶務的仕事も担当してもらう伝え、了承を得ました。

 

 他のメンバーも下は16歳から上は私と同じ34歳の優秀でフレッシュなメンバーがそろいました。

 

 

 

                                                       つづく 

 

                                                    ちゃぁ