母への不満です。
ずっとずっと我慢していました。
でも、もう、抑えきれなくなり、昨日、リツキサン投与の前に爆発してしまいました

ホントは、ずっと我慢しているつもりでした。
けど、もう限界でした。
母の、私への心配はものすごくわかります。
私自身も二児の母ですから。
でも、私が小さい頃からの母の私への態度と、弟妹への態度がとても違うんです。
母は、私へは、ズケズケとものを言います。
怒鳴ります。
キレます。
泣き叫びます。
そして、弟妹へは、遠慮して言いません。
我慢してます。
その分、私へ弟妹への愚痴を言います。
下手すると、私が相談に乗ってくれない、と言います。かと言って、相談に乗って、話をすると、母の意見と違う、ということで、また私にキレます。
それが、今回の入院中も、前回の乳がんの時も炸裂していました。
それが、我慢の限界で、泣きながら母に怒鳴ってしまいました。
それから、母の私への態度というか、対応が変わりました。
まるで、腫れ物に触れるがごとく

そうじゃない‼️
そうじゃないのに‼️
私が今、病気と闘っている時に、以前と変わらない態度というか、弟妹への不満を、私の相談してほしくなかった。
今は無理だから

乳がんの時
妹が離婚の危機だった。
乳がんになった私を心配して今回と同じように家に泊まり込みで来てくれて、炊事洗濯などを担ってくれた。
それは本当にありがたくて。
そんな母が階段の途中で号泣していました。
私のことでこんなに泣かせて申し訳ないと思ったのと、そんなに泣くほど私は危険なった状態なのかと、ものすごく不安に駆られました。
けど、母の口から出た言葉は、
「○○(妹の名前)が離婚しそうだよ。どうしよう。あなたからも言ってやって。お母さんからじゃ聞いてくれない。お母さん、辛いのよ!どうしたらいいのよ‼️」
だった

お母さん、あなたは私の家に来て、何をしたいの?
乳がんの娘よりも、離婚の娘なのね。
離婚話で狂いそうになりながら私に向かって、叫んでいました。
キレていました。
(ちなみに、離婚の原因は私には全く関係ありません。)
しかも、闘病が始まったばかりで、毎晩泣いていた私に、妹の離婚相談。親権の取り方などのレクチャーは無理だよ

私、辛かった

そして、今回のリンパ腫
たしかに、病名を告げられた時は辛かった。
泣きました。
旦那ちゃんはそんな私の隣で、「大丈夫だよ。大丈夫だから」と励ましてくれました。
そして、その病名を旦那ちゃんから父母に伝えてもらいました。
翌日やってきた母は、案の定、私を見るなり号泣です。
はっきり言って迷惑でした。
自分勝手かもしれませんが、私以外の人は、私の前では泣いてほしくなかった。
泣きたいのは私です。
なんで、泣いている母を慰めてなくてはならないのでしょうか?
そんなの、お見舞いに来る前にやってきてほしい。
病人の前で泣いて、病人に慰めてほしいのでしょうか?
私は意識朦朧状態で、体も心も辛かったのに、どうしてそんな状態で、目の前で泣いている母を慰めなくてはならないのでしょうか?

そんなに私は死にそうなのでしょうか?
泣きながら覆い被さってこようとした母を、思いっきり跳ね除けました。
びっくりして、拒絶した私を見た母の目は忘れられません

その後、ほとんど毎日のようにお見舞いには来てくれていました。
お見舞いに現れた父母を見るととても嬉しかったです。
けれど、母は最初はわたしの体調を聞いてきます。
けれど、だんだんと違う話になります。
とりとめもないことだったり、子どもたちの様子だったり。
そんな話はとても楽しかった。
けど、白血球がかなり低くて、息苦しさと熱に耐えていた時に、母から出た言葉がありました。
「お母さん、辛いのよ。あなたがこんな病気になって。でも大丈夫だよ。きっと治るから。でもね、やっぱり辛い。○○(弟の名前)がまだ結婚相手が見つからない。このままだったら、どうなっちゃうの?婚活もしてないみたいだし。ねえ。どしよう?跡取りなのに…」
正直、びっくりしました。
今、この状態の私の病室のベッドの隣で、弟の結婚相手がいない、と泣き始めるなんて。
ものすごく迷惑でした。
けど、とりあえず返答はしました。
「あいつだって、考えてるよ。今無理に婚活しなくたっていいじゃない。健康で仕事して毎日送れるなら。そのうち結婚するよ。結婚は無理にするもんじゃないよ」と。
すると、母はやはり私にキレました

よほど弟の結婚に対して不安があったのでしょうか。
もう、私には返答する体力はありませんでした。
どうしてお見舞いに来てるのに、弟の話で私は母にキレられなければならないのでしょうか?

辛かった。
そのほかにもたくさんあります。
きっと母には母の悩み、苦しみ、不安など、私にはわからないほどあるのかもしれません。
けれど、今の私には、そんな母を受け止める体力も心もありません。
自分の生死のことで、いっぱいいっぱいです

リツキサン投与翌日の今日、父母は実家に帰って行きました。
しばらくお互い離れます。
何かあったら駆けつけると、言ってくれてます。
本当にありがたくて。
けど、私の叫びは母に届いたでしょうか。
父は黙って聞いていました。
父は黙ってますが、私のことを本当に心配してくれています。
父にも本当に感謝しています。
しばらく、母のことは父に任せます。
母のフォローをお願いします。
次に父母が来てくれるのは、3回目の抗ガン剤とリツキサン投与の前日です。
それまで、白血球や私の体力や、感染がおきないように注意していきたいと思います。
長い愚痴になってしまいました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
自分勝手だな、と気分を害した方がいらっしゃいましたら、ごめんなさい🙏
愚痴はしばらく封印します。
また、よろしくお願いします

今日の体調
吐き気少しあり
排便あり
だるさあり(お昼寝ばかりしてました)
足の痺れあり
手の痺れあり
発熱なし
脱毛は、落ち武者の感じで一旦落ち着いてます