虹の橋

ここは虹の橋と呼ばれる橋のたもと、橋の向こう側はもう天国です。

とても大事な人と一緒にいた動物、つまりペットとして飼い主さんに愛されて暮らしていた動物は、永遠の眠りについたあとに、この虹の橋に来るのです。
 
そこには、ここに来た全ての動物たちのために、広々とした草原と丘があり、みんなで走り回ったり、遊んだりできるのです。
 
食べ物や水も豊富にあり、太陽の日差しがたくさん降り注ぐ、みんなが心地よく、快適に過ごすことができる場所なのです。
 
病気のために、また年老いて亡くなった動物たちも、そして体が傷ついたり、不自由だったりした動物たちも、みんな、私たちが夢で見るような、かつての元気いっぱいの姿に戻っています。
 
動物たちは、ここで過ごすことがとても楽しく、そして満足しています。でも、そんな動物たちにも、ひとつだけ心に引っ掛かることがあるのです。
 
それは、動物たちそれぞれが残してきた、動物たちひとりひとりにとって、とっても特別で大事な人と会えないことです。
 
動物たちみんなが、走り回ったり、遊んだりしている、そんな中、その日はやってきます。
 
ひとりの動物が、突然立ち止まり、遠くを見つめています。彼の輝く目はその1点を見つめ、喜びで身震いしています。
 
と、突然彼は走り始め、みんなから離れていきます。緑の草原の中を飛ぶように走り、どんどんそのスピードを上げていきます。あなたに向かって。

あなたは立ち止まっていました。最愛の友とついにまた会えたのです。勢いよく走ってきたあなたの最愛のペットと、しがみつくように抱き合い、歓喜に満ちた再開を果たすのです。
 
もう2度と離れることはありません。キスの雨があなたの顔に降り注ぎ、あなたはその愛しい頭をしっかりと撫でてあげます。
 
そして、長く逢えずにいた、でも決して忘れることのなかったあなたのペットの信頼に満ちた目を、あなたはもう一度見つめるのです。
 
そして、一緒に虹の橋を渡っていくのです・・・。
 
 
 
雨降り地区
 
こんな風に、幸せと愛の奇跡に満ちている、『虹の橋』の入口に、『雨降り地区』と呼ばれる場所があります。
そこではいつもシトシト冷たい雨が降り、動物たちは寒さに震え、悲しみに打ちひしがれています。そう、ここに降る雨は、残してきてしまった誰かさん、特別な誰かさんの流す涙なのです。
 
たいていの子は半年もしないうちに、暖かい日差しの中に駆け出して仲間と戯れ、遊び、楽しく暮らすことができます。ほんの少しの寂しさと、物足りなさを感じながらも・・・
でも、1年たっても2年たっても、ずっと『雨降り地区』から出て行かない子たちもいるのです。
 
地上に残してきてしまった、特別な誰かさんがずっと悲しんでいるので、とてもじゃないけれど、みんなと楽しく遊ぶ気になれないのです。
地上に残してきた誰かさんと同じつらい思いをして、同じ悲しみにこごえているのです。
 
死は全てを奪い去ってしまうものではありません。
同じ時を過ごし、同じ楽しみを分かち合い、愛し合った記憶は、あなたの心から、永遠に消え去ることはないのです。
 
地上にいる特別な誰かさんたちの、幸せと愛に満ちた想い出こそが、『虹の橋』を創りあげているのです。
 
ですからどうか、別れの悲しみにだけ囚われないでください。彼らはあなたを幸せにするために、神様からつかわされたのです。
 
そして、何よりも大事な事を、伝えにやって来たのです。
 
命と儚さと愛しさを。
つかの間の温もりに感じる、慈悲の心の尊さを。
 
その短い生涯の全てを以って、教えてくれるのです。癒えることのない悲しみだけを、残しにくるのではありません。
 
思い出して下さい。
動物たちが残して行ってくれた、形にも、言葉にもできない、様々な宝物を。
 
それでも悲しくなったら、目を閉じてみて下さい。『虹の橋』にいる、彼らの姿が見えるはずです。
 
信じる心のその中に、必ずその場所はあるのですから・・・

 

 

 
ワンちゃんネコちゃんを飼っている方なら一度は「虹の橋」という言葉を聞いたことがあるかもしれません
 
 
 
 
昨日からずっとこの詩を読んでいます
 
 
 
 
今日はちょっと悲しいお話です、でも書くことでこの想いを昇華させてください
 
 
 
 
読みたくない方はここでそっ閉じしてくださいね
 
 
 
 
 
うちには二匹の犬がいます
 
 
 
チーズがお姉さん、マルが弟の双子のマルチーズです
 
 
 
うちで産まれた子たちで母犬が2匹を出産した翌日事故で亡くなり、その忘れ形見としてそのままうちで飼うことになりました
 
 
 
 
だからチーズとマルはお腹の中にいる時からずっと一緒に過ごしてきました
 
 
 
 
でも昨日弟のマルが14歳7か月の命を終え虹の橋へ向かいました
 
 
 
 
年末から下痢をして食欲がなかったのですが、それも3日ほどで治まりまた元気になり安心していたのも束の間、私たちが旅行から帰ってきた日の翌日から体調が悪化しました
 
 
 
 
エサを全く食べなくなり(犬がエサを食べないって相当悪い状態です)一昨日病院でぶどう糖を打ってもらいましたが、そこからまた一気に悪化して立ち上がれなくなり昨日の夜そっと息を引き取りました
 
 
 
 
本格的に体調が悪くなってからわずか1日の出来事でマルが死んだなんて現実味がなくて、だってつい数日前まで元気に歩き回っていたのに、悪い冗談みたいで信じられない気持ちです
 
 
 
 
それでもマルはお別れの準備の時間をくれたんだと思います
 
 
 
 
人もそうなのですが中治りというのがあるんですよね、もうダメかも?と思ったら良くなって、このまま元気になるのかなと思ったらその後ほどなくして亡くなるという。
 
 
 
 
それを「仲良し時間」と言うそうです。神様が亡くなる直前に仲良かった人と過ごす時間を少しだけ与えてくれるらしいです。
 
 
 
 
本来なら年末か年始に終わるはずの命を2週間永らえてくれました。何も気がかりなく私たちが旅行へ行って帰ってきて、それからみんなが揃っている時を選んで空へ還っていったのです。そうそう、減薬中でなく断薬後にというのも天の気遣いが感じられます。
 
 
 
昨日はその仲良し時間にできる限りマルのそばにいてマッサージしたりレイキを流し続けました
 
 
 
レイキに治癒の力はありません、もちろん無駄な延命をするつもりもありません、ただただその命を全うするまでできるだけ苦しまないよう、それだけを願い流し続けました
 
 
 
マルは本当に憶病な犬で爪を切ろうとしたり、ブラッシングしたりするだけですぐにギャーっと大きな声を出して逃げようとしました、自分で耳を掻いて毛をひっかけてギャッ!と鳴くくらいのヒビり
 
 
 
そのマルが体調を崩して何度も吐血して死にそうな苦しみを味わっているはずなのに一度も大声で鳴きませんでした
 
 
 
 
ただただ痛みに耐えて静かに命の終わりを待っているかのようで、時折苦しくて呻くことはありましたが顔もそのまま眠ってしまいそうな穏やかな顔でした
 
 
 
 
亡くなる数時間前にはレイキを流そうとすると、もういいよ、十分だよ、というかのように頭を振りました
 
 
 
全てを受け入れて、ひたすらその命を、今を生きる姿を私たちに見せてくれました。犬って、動物って本当に強い、人間と違って余計な恐れや後悔など一切なく見事に生き切りました
 
 
 
 
マル、ずっとビビりだと思ってたけどおまえ本当はとても強い犬だったんだね
 
 
 
 
いつもチーズとマルは隣同士並んで眠っていました。その場所にもうマルはいません
 
 
 
 
ぽっかりと空いたその場所を見るたびにもう二度とは戻ってこないという喪失感に襲われます
 
 
 
 
そんな時虹の橋を思い出すのです
 
 
 
 
そもそもあの子たちは神様から遣わされたもの
 
 
 
 
一時の間、私たちに愛や癒しや安らぎや優しさや色んな宝物を与えるためだけに神様がお貸しくださった大切な借り物で、その役目を終えたからお返ししただけなのだ
 
 
 
 
だから失ったものなんて何もない、ただ元いた場所へ還っていっただけ、そう思い直すのです
 
 
 
 
そういう意味では私たちのこの身体だって全て同じで、この世に生まれてきたいと神様にお願いして貸してもらった大切な借り物
 
 
 
 
だからこれが気にくわないとかこれがダメ、とかケチをつける権利なんて私たちにはない
 
 
 
 
ただただお借りしたものをいつか返すその日まで大切に大切に扱わないとならないのでしょう
 
 
 
 
今まで何匹ものマルチーズを飼い見送ってきましたが、その度に今をただひたすら生きること、そして最後にその死を持って生と命の大切さを教えてもらっています
 
 
 
 
それにしても歳を取るごとにその別れも堪えるようになったなあ
 
 
 
 
今はまだ、あまり大切にしてあげられなかったという後悔や苦しかっただろうな、という思いがこみ上げ涙が出てしまいますが、伝えたいのはやはり私たちのところで生きてくれてありがとう、です
 
 
 
 
雨降り地区から早く陽の当たる暖かい場所へマルがいけるよう、悲しみをありがとうへ換えて。
 
 
 
 
そしていつか虹の橋で逢いましょう