こんばんは(*^^*)

 

 

 

 

早いもので断薬してもう1か月以上過ぎました

 

 

 

 

 

断薬した頃はまだまだ暑かったのにもうすっかり秋らしくなり朝晩寒いくらい寒

 

 

 

 

 

季節の移り変わりがすごく早く感じます、布団も冬用に変えましたニコニコ

 

 

 

 

 

 

さて、断薬後腰が痛くなったり風邪引いたりしてましたが、それは確かに減薬や薬の影響が少なからずあるかもしれませんが離脱症状とは別物で、やはり1か月経っても大きな変化はありません

 

 

 

 

メイラックスなどの半減期の長い薬は減断薬後2か月、6か月、8か月などに酷い離脱症状が出たという話を聞いていますが、リボトリールはそこまで半減期も長くないから脂肪に蓄積されている量もそれほど多くないと思うので、これから大きな離脱症状が出るとは思えないし(そもそもそういうことが起きないよう微量減薬していたわけだし)

 

 

 

 

これでとりあえず本当の意味で断薬完了宣言したいと思いますキラキラ

 

 

 

 

 

ずっとまだ早い、油断できない、と思いながら生活してましたが、もうここまで来ればいいでしょ!

 

 

 

 

 

無事ソフトランディングしたよ、よく頑張った私、エライ!そして本当にお疲れさま!爆  笑

 

 

 

 

 

数えきれない離脱症状を耐え絶望と恐怖の夜を何度も過ごし、そして自分と向き合いながら減断薬した自分をいっぱいいっぱい褒めようと思いますラブ

 

 

 

 

とは言え私は良くない例ですできればこれから減薬をしていこうと思ってる方は私のような無理な減薬して大きな離脱症状を出さないように進めていってくださいね。脳の回復に合わせて減らしていけば精神薬の減薬も全然恐れるものではないですからウインク

 

 

 

 

あ~本当はシャンパンで乾杯乾杯したい気分だけど、とりあえずアルコールは半年は我慢します(笑)

 

 

 

 

そして何度も何度も言ってますが、ブログやTwitterで交流してくださった方、直接やり取りはなくてもずっと見守ってくださった方、インターネットという情報の大海の中の片隅にいる私を見つけてくれて出会ってくれて本当にありがとうございましたWハートみなさんが送ってくれる温かいエネルギーが私に前に進む力を与えてくれました(T_T)

 

 

 

 

減薬や離脱症状との闘いは本当に孤独なものです。精神薬の離脱症状を理解してくれる医者は未だに少ないし、例え家族だってこの症状の本当の苦しみを理解することはできません。私だって自分で経験しなければわからなかったと思います。

 

 

 

 

そんな中でも光を見失わずにいられたのもみなさんとこの苦しみを分かち合えたからこそです。経験者やその関係者の方の言葉は本当に希少でありがたいものでした。

 

 

 

 

この場でお礼を申し上げると共に減薬中の方がこれからできるだけ順調に減らしていけるよう、断薬した方は体調がこれからもっともっと良くなっていき、みなさんが望む未来を掴めることをずっと願っています照れ今はもう交流が途絶えてしまった方たちも精神薬の苦しみから解き放たれ元気に過ごしていますように。

 

 

 

 

ということで私が経験した離脱症状とその回復の流れをまとめておきますニコニコ

 

 

 

 

先に言っておきますまた長くなりました、毎回書き出すとと長くなっちゃうな~朝礼の校長先生の挨拶みたい汗読むの疲れちゃうよね苦笑これから先は時間に余裕があるか興味ある方だけ読んでください(笑)

 

 

 

 

でもこんなに長いのもこれで最後だと思う(ホント?)これからはもっとスッキリわかりやすい簡潔なブログにしたいなてへぺろ

 

 

 

 

 

無知による大幅減薬と抗生物質との飲み合わせなどで昨年の4月末にベンゾパニックを起こし出た症状たちは

 

 

 

初期(H29.4~

超絶不眠、夜寝ようとするとビクっとして起きてしまう・睡眠中にいきなり体が動く(ミオクローヌス)、からの強烈な不安発作、睡眠時頭の中に閃光が走る、ひどい寝汗、窒息しそうになって目覚める、寝起きの激しい動悸、胃がキューっと熱くなってから来るゾワゾワ、焦燥感、過緊張、不安で一人でいられない、息苦しさ、体温調整ができずいきなり汗が出たり急に寒くなったりする、頻尿、下痢、朝の激うつ感、頭に霧がかかったような状態、脳が震えてるような違和感、頭痛、グルグル・マイナス思考、ブレインワーム、背中の焼けるような痛み、全身の筋硬直、肋間神経痛、聴覚・嗅覚・皮膚過敏、視力の低下、口渇感、足の脱力感、電車やバスに乗れない、PMS悪化、手の震え、右足首下の痛いほどの冷え、低血圧(上が80台)、立ち眩み

 

 

 

 

いやー書いてて思った、こんなたくさんの離脱症状に襲われながらよく生きてたな滝汗睡眠時に頭の中に光が走ってそれが散って真っ白になっていった時は、ああ私はもうこのまま死んでいくんだ、と覚悟をしました

 

 

 

 

でも生きてました、やはり離脱症状じゃ死なないみたい、自らその命を絶たない限りは。

 

 

 

 

だから今離脱症状に苦しんでる人もどうにか踏ん張って欲しいと思う、苦しくて苦しくて生きてるのが辛い状態のあなたにそれを耐えてということは凄く酷なことなのはわかっているけれど、生きていれば必ず巻き返せる、でも死んだらそこで終わりだから。

 

 

 

 

もしあなたが終わらせることが最良の選択だと思うのなら終わらせて魂の根源に還ることも悪いことだとは思わない、でも私は生きて欲しいし、薬になんか負けないで欲しいと思う

 

 

 

 

急性期は心臓発作のような動悸や常時バイキングに乗ってるような胃の不快感、筋肉が引き裂かれるような痛みなどの激しい症状にしばらく苦しみました、初期はどちらかというと身体的症状の方が強かったです。

 

 

 

 

この頃は先人のブログを読み漁って離脱症状が楽になったということを軒並みやって、きっと効くはず明日は今日より良くなっているだからとにかく今日をやり過ごそうと思いながら生きていたように思います。

 

 

 

 

中期(H29.8~

絶不眠、悪夢、不安感、寝汗、寝起きの強烈なイライラ、日中眠くなると出る不快感、昼寝ができない、頻脈、胸のザワつき、焦燥感、過緊張、全身がピリピリした感じ、アカシジア、食欲不振、吐き気、息苦しさ、多汗、暑い寒いの繰り返し、抑うつ感、グルグル・マイナス思考(インナーチャイルド暴走)、背中の灼熱感、左半身の筋硬直、肋間神経痛、聴覚・嗅覚・皮膚過敏、皮膚の炎症、視力の低下、口渇感、足の脱力感、電車やバスに乗れない、ブレインワーム、右足首下の冷えと痺れ、PMS、立ち眩み、午後になると出る頭の熱感、夕方になると無性に悲しくなる、集中しようとするとイライラして気持ち悪くなる、目から入る情報量が多いと頭が辛くなる(スーパーとか)

 

 

 

まだまだたくさんの離脱症状がありました。それでも着実に離脱症状は軽減していたのだけれど、長く続く症状に心身が疲弊し始めた頃もあります。

 

 

 

色んな方のブログで3か月で症状が改善と書かれていたのでそれを望みにやってきましたが、3か月経ってもあまり回復を感じられず、希望を失いかけていました

 

 

 

主に精神的症状が酷く、毎日泣いてました。前向きになりたいけれど次から次へと出てくる症状に心が何度も折れ、自分だけは回復しないのではないか、と人と比べて羨ましくて妬んで回復しない(実際は回復しているのだけど実感できていなかった)自分を責めて悲しくなって落ち込む日々でした

 

 

 

ブログでは前向きなこと書いてましたが実際は負の感情がスパークしていた暗黒の時期です

 

 

 

 

帯状疱疹にかかる(H29.11)

ここが私のターニングポイントでした。

 

 

 

病気と処方された薬(ファムビル、ロキソニン)により離脱症状が悪化して精神状態がどん底まで落ちました。早めにファムビル(抗ウィルス剤)を飲んだにも関わらずに酷くなる一方の症状に心が折れました。飲んでもあんなに長くかかるなら飲まなけりゃ良かったと後悔しきり。

 

 

 

 

今までどんなことがあっても死にたいと思ったことなんてなかったけど、生きているのが辛すぎてどうやって死のうかずっと考えていました。

 

 

 

 

でもどん底まで落ちると上がるのみって本当ですね、病気がピークを越え体が楽になるにつれて徐々に離脱症状も軽減、それと共にずっとつきまとっていた意味不明の不安感も消えふっきれました。

 

 

 

 

病気になったのは本当に辛かった、でもここで病気にならなかったら私はまだ離脱症状で苦しんでいたかもしれない。この出来事は神様が一旦減薬を止めなさいと強制終了をかけたのだと思ってます

 

 

 

 

それにしてもあの帯状疱疹の中でも毎日1時間かけて水溶液を作っていた私本当に凄いと思う、もう執念の域滝汗どんなに体調悪くたって作らなきゃいけないし、あの時にしみじみ水溶液作りはシンプルが一番と感じましたよ苦笑

 

 

 

 

後期(H30.3~

不眠、頻脈、寝起きの不快感、昼寝ができない、胸のザワつき、息苦しさ、グルグル思考、背中の痛み、左胸部の筋硬直、肋間神経痛、嗅覚・皮膚過敏、皮膚の炎症、立ち眩み、右足首下の冷えと痺れ、集中力の低下

 

 

 

無駄な不安感も消え減薬が順調に進み、体調が良くなっているのを実感でき、多少の離脱症状は受け入れて進めるようになっていました。心も本当の意味で前向きになり、やる気も出てきて色んなことに挑戦したいという気持ちが溢れ始めました。久しぶりに電車に乗って渋谷までレイキ伝授をしてもらいに行きました。この辺りから栄養療法を学び始め6月から本格的に開始しました。

 

 

 

 

断薬間近(H30.8~

やや不眠、胸のザワつき、息苦しさ、肩甲骨周りの痛み、左胸部の筋硬直、肋間神経痛、腸から来る腰痛、嗅覚・皮膚過敏、皮膚の炎症、右足首の冷えと痺れ

 

 

 

もうここまで来ると飲んでいても飲んでなくても一緒な状態になっていました。減薬しながら旅行にも行けるようになりした。何度か飲み忘れもありましたが特に離脱症状が悪化することもありませんでした。おそらく閾値がもう断薬OKな状態まで到達していたようです。

 

 

 

 

断薬後(H30.9.19~

中途覚醒、たまに肩甲骨周りの痛み・左胸部の筋硬直、右足首下の冷え

 

 

 

あんなにたくさんあった症状も今はもうほぼありません。背中の痛みや筋硬直も感じない日も増えています。でも長いこと患ったのでいきなりスッキリさっぱりと消えるものではないと思っています。体の回復はいつでもゆっくり、それを決して忘れてはいけない。それでもこれもやがて消えていくと思います。

 

 

 

離脱症状はかなりやっかいで、一つ消えたと喜んだらまた新しい症状が出たり、最初から最後までずっと消えないものもあったり、消えたと思ったらまた戻ってきたり、弱いところを狙ってくるからダメージも大きいし、心を折るのが本当に上手な悪魔のようなヤツでしたショック

 

 

 

 

また離脱症状以上に私を苦しめたのは自律神経の暴走から来る諸症状でした。とにかく交感神経と副交感神経の切り替えがうまくいかないために出る様々な症状がキツかった。

 

 

 

 

自律神経の暴走って振り子が左右に揺れて中々止まらない状態に似ています。一度揺れ始めてしまうとそれがピタっと止まるにはすごく時間がかかります。右行ったり左行ったり良くなったり悪くなったりを繰り返し、ゆっくりゆっくりと揺れが治まっていくのをイメージしてもらえればわかりやすいかな?

 

 

 

 

私は離脱症状と思われるものの半分以上は自律神経の乱れから来てるのではないかと感じています。純粋な離脱症状って実は結構限定的で、むしろ長ーく続く不調って自律神経のせい、だから医者は離脱症状は数か月で治まると言ってるのかなーと。

 

 

 

 

なので急減断薬で離脱症状がなかなか治まらない人は自律神経を整えること少しずつでもやっていくことがやはり大事だと思いました。でもそもそも自律神経が暴走したのも精神薬の減断薬が原因だから全部離脱症状と言ったらそうなんですけどね汗

 

 

 

 

 

また、減薬を進めていく上で栄養の大切さも痛感しました。体がガス欠じゃ回復するものもしないし、薬の効きも悪くなります。体が辛いとメンタルも落ちていきます。もちろんメンタルが落ちれば体の症状も悪化していきます。

 

 

 

 

 

どちらもバランスが本当に大切で、だから私は落ち着いてからは物理的な栄養補給(栄養療法)と精神的な栄養補給(スピリチュアル)の両方を並行して行いました。

 

 

 

 

病気は心と体からのサインです。今の生活スタイルが良くないから今のままじゃダメだよーって教えてくれるために病気になるのです。食物が私たちの体を作っている、だから悪いものを入れれば悪くなるし、その逆もしかり。また心が体に与える影響もとても大きいです。ストレスを溜めやすい考え方を続けている限り負の連鎖は止まりません。

 

 

 

 

薬を減らすことよりもまず、そもそもなぜその薬を飲むことになったのかに目を向けるべき、その原因の根幹を見つけて解決しなければ、たとえ薬を止めたとしてもきっとまた同じことの繰り返しになるでしょう。

 

 

 

 

半世紀近く生きてきて、こんなに自分と向き合う濃密な時間はなかったと思います。ずっとなんとなく生きてきて真剣に自分自身と向き合わずにいました、イヤなことは見ないようにして辛ければ逃げればいいよ、と甘えてた。そのツケが一気に回ってきたんですね、生きる覚悟のなさが露呈しましたチーン

 

 

 

 

 

私が信じていた医療はいきなり牙をむき襲いかかり、心の拠り所がすべて消え何も頼るものもなく、肉体的にも精神的にも追い詰められ、不安で辛くて苦しくて、それに付随して心の中のドロドロした醜いものがたくさん出てきて、目を背けようとしても頭を掴まれてそれをしっかり見ろ!と突き付けられた感じでした。

 

 

 

 

負の感情に囚われてた時はもう私の魂は壊れてしまった、修復不可能な傷がついてしまい二度と元には戻れないと絶望しました。でもどんなに体が傷ついても心が闇に染まっても、魂は壊れることはなく、傷の一つもつけることができない、むしろ苦しみという砥石で磨いて磨いて輝きが増したように感じます。

 

 

 

 

 

ずっと誰かに助けて欲しかった、この通りをやればすぐ良くなるよ、と言ってもらって楽になりたかった。でも当然そんなものは存在しなくて、もちろんネットの中にヒントはたくさん散りばめられていたけれど、そこから答えを見つけるのは誰でもなく自分自身。

 

 

 

 

 

誰かになんとかしてもらいたい、そういう気持ちでいるうちは多分この地獄から抜け出ることは難しい、自分の足で立とうと思った時から私は本当の意味で回復への道を歩き始めました

 

 

 

 

この間あずきさんに断薬報告をした時、「本当に良く頑張ったね、だからもう頑張らなくていいよ、ってやっと言えたよ」と言われました。その言葉に彼女の大きな優しさを感じ涙が出ました。

 

 

 

 

頑張ってる人に頑張れと言うのは酷なことだとわかっていながらも、頑張れと言わなければならない時もある。頑張らなくては越えられない山もあるから。だから厳しいとわかりながらもいつも私に頑張れと言ってくれました。私は私が頑張れると思ってるからそう言ってくれてるのだと思ってとても嬉しかったけどねおねがい

 

 

 

 

苦しんでる人に優しくしてあげたい、もしできるならその手を引いて出口まで導いてあげたい、でもそれができないこともこの世にはある。優しさにも色んな形がある、厳しさの中にある優しさも。色んな人の色んな優しさに私は助けられました。

 

 

 

 

内なる自分とじっくり向き合い対話する、そして心と体が何を必要としているのか何を不要としているかその声に耳を澄ます、そうすれば体は必ず応えてくれます。

 

 

 

 

その積み重ねの先に薬のいらない体が待っている。そしてラッキーなことにこれは何か特別な設備もお金も必要ない、たった一人でもだれにでもできることだと思うのです。

 

 

 

 

私は私が経験したことをすべて残します。でもこれは私の回復の道筋であって、だれかの正解になるとは限らない、断薬への一つの例にしか過ぎません。アプローチの仕方はどんな形でもいい、自分だけの正解を見つけてください。

 

 

 

 

でもこれだけは間違いない、体は必ず回復します。とにかく諦めないという気持ちと自分は絶対に回復すると強く信じることをどんな時も忘れないでいて欲しい、泣いたって落ち込んだって人を妬んだって世の中を恨んだってどんなに負の感情に心が埋もれても魂は決して傷つかない、全部人生において必要なことだから、だから落ちるだけ落ちたらまた上がって来ればいい

 

 

 

 

私のブログを読んでる人ならわかってくれると信じてる。自分以上に自分の体のことを理解できる人はいない、主治医は自分、だから自分の足で立ってください、それを私はできる限り応援します。

 

 

 

 

このブログに辿り着いた方が自分と向き合い自分だけの答えを見つけることができるよう私はずっとずっと祈ってます。

 

 

 

 

 

以上、こんな長い断薬1か月の報告を読んでくれて本当にありがとうはぁと

 

 

 

 

 

薬害で苦しむ人が少しでも救われるように、最良最善な道を選べるように、これからも私は私ができること続けていきます。たとえできることは小さくても、だれかの小さな灯になれますようにキラキラ

 

 

 

 

 

リボトリール 2018年9月19日断薬

ジプレキサ 2017年5月13日断薬

 

 

 

 

 

 

 

小さな贅沢で幸せを噛みしめるニコニコ