8月上旬7年振り大野智個展『FREESTYLE2』に行ってきました。
もうあれから7年かぁ。個展を最後に芸能界をやめようと決心していた彼の想いなど露知らず、ただただ作品をやっと見れるって嬉しさと遠い人になっちゃったななんて少しの寂しさを覚えながら初日の朝から並んでいた自分が阿呆すぎる。彼が一番悩んで苦しんでいた時代に大好きになって能天気にもワーワーキャーキャーしちゃって…何にも分かってあげられなかった、苦しめてしまっていた、ファンとして情けなさすぎる、申し訳なさすぎる。何年も経った今知るんだもんね、ごめんねってそれしかない。
最後にジャニーズで誰もやってないことをして終わりにしようとした個展、2011年の震災を受け何か自分にできることはないかと始まった個展。
"痛すぎるほど優しいなぁ…"って。
なんかね、なんだろ、作品を見ながらそれしかなかった。
智くん、変わったね。でも変わってないね。
智くんの作った描いた作品も変わったね。けど変わってないね。
伊藤若冲の絵をずっと見てられると彼はおっしゃってますがそれはこっちのセリフ。なんかもうずっと見てられる個展だった。あの空間にずっといたいなって。なんかもう全部の作品が優しい、優しすぎるんだよなぁ。あの絵もフィギュアも凄くて優しい。バカで優しい。綺麗で優しい。智くんの人柄そのもの。
ちゃぶ台の横のテレビがブラウン管なのとか、その横の絵は誰のなんだとか、ちょんまげの子供の裏の丸がもうこいつ変態だなレベルだとか、ずっとずっーと買うか迷ってたグッズの時計のもとになった大きい油絵見てあぁこの赤は絶対レプリカじゃ出せない赤だと思って本物は絶対超えられないやって買うかどうかウジウジ悩んでたのが嘘みたいな即却下な決断の早さだとか、右と左半分ずつで顔が違う笑顔の子供の絵がどえりゃぁカワイイとか、あの釣り竿どこのメーカーのなんだろとか、なんかもう全部の作品が大野智そのもので、細胞分裂して具体化したもんなんじゃないのかと思わざるを得ない程の大野智っぷりでした。
「奈良さんのああいうタッチの絵とか草間さんの水玉とか"その人"ってもんがある。でも俺は何もない。それを考えたこともあるけど有名になりたいわけじゃないし、やりたいことをやるのが自分なのかなって」
作品はあの時こんなことやってた、考えてたって手にとってわかるような日記みたいなもの、結局人生なんだろうなって言ってたけど、会場全体に溢れてた作品から溢れ出てたのは大野智という人の人柄、大野智という人そのものでしかなかった。だからすげぇのもあるし笑えるのもあるし美しいものもあるしよくわかんないものもあるし、"大野智その人"ってもんしかなかったんだけど?
いろいろ考え過ぎて描けなくなった時期があるって。描けないなら描かなくてもいい、描けないなら描いてもいい。ただただ自分の為に描いてほしいです。作りたいものを、描きたいものを、作りたくないなら作らなくても描きたくないなら描かなくても、ただただ自分の為に、自分が作りたい描きたいものを面白いと思うものを。それこそが新種で珍種な大野智の"その人"ってもんだから。
固定スタイルなんてなくていい、そのどれをとってもあなたスタイルでしかないのだから。
何言っちゃってんのかな、もう持ってるじゃん、"その人"ってもん。
大野智が大野智で在り続ける限りFREEなSTYLEがそれを証明し続けていくのだから。
ぱっくり開いた傷口から優しさが身体中に染み渡り駆け巡った。傷口の痛みより献身的な溢れんばかりの優しさが私を強く抱き締める優しすぎる痛みに、泣いた。