『ブリッジ・オブ・スパイ』
世の中には「舐めてた相手が殺人マシーンだったと」という映画ジャンルがあるらしい。代表作としては1982年の『ランボー』であろうか、最近では『イコライザー』という映画がそのジャンルでの新たな傑作と呼ばれているらしい。その点で言うと『ブリッジ・オブ・スパイ』はさしずめ『舐めてた相手が不屈の男だった』ジャンルの新たな傑作といったところだろうか。
保険分野を専門にする弁護士ドノバンはその腕を買われFBIに逮捕されたソ連のスパイ、アベルの弁護を依頼される。スパイ弁護の経験もなく躊躇するドノバンに上司は言う「たとえスパイであってもちゃんと裁判を受けることができる。それでこそソ連に対して我が国の正当性を主張できるとは思わんかね」かくして弁護を引き受けることになったドノバンだがその日から凄まじい逆風にさらされることになる。家族からは何故弁護を引き受けたのかと責められ、通勤電車の中では周りの乗客の憎悪の眼差しに包囲される。そして担当判事にすら「こんな裁判、真剣にやる必要はない。結論はもう決まっている」と突き放される。
そうドノバンは決して単純に腕を買われて弁護を依頼されたわけではなかった。ドノバンは最初の登場シーンで交通事故の保険金交渉(?)をしている。事故の被害者側の代理人が「加害者は五人を轢いたので人身事故五件分の保険金が降りるべき」と主張するのに対し保険会社の代理人であるドノバンは「被害者が五人でも事故は一件とカウントするのが規則であり、支払われる保険金も一件分だ」と言ってゆずらない。つまり人情に流されず冷徹に依頼者の利益を優先するビジネスライクな弁護姿勢こそが政府に買われてドノバンはこの裁判の弁護士に選ばれたのだ。こいつなら情にほだされて下手に正義だのスパイの人権だのというややこしいことをいい出さないに違いない。いつもの保険関連訴訟のようにスマートに依頼人(=政府)の意向通りに裁判を進めてくれるだろう、と。
しかしそんな政府の目論見は見当違いだった。正義がどうのというような面倒なことを言い出さないどころかドノバンが保険会社に有利にことを進めようとするのは弁護の基本である「依頼者の利益を最大限守る」ためであり、彼が規則を振りかざすのは決して単に裁判に勝つためではなく。大いなる理想に基づいて作られた"規則"を守ることこそ正義の実現のための一歩だと確信しているからなのだ。そしてこのスパイ裁判に於いて弁護士としての依頼者は形式上、政府ではなくソ連のスパイであるアベルであるし、自由、平等と人権を守るという理想に基づいて作られた憲法の遵守はドノバンにとっては絶対なのだ。
しかしアメリカの理想を守るために戦うドノバンに立ちはだかる敵は皮肉にもアメリカそのものだ。ソ連のスパイに人権などないと叫びその弁護人も敵とみなす。あげくに弁護人の家を銃撃する。その現場検証に来た警官まで「自業自得だスパイの弁護なんかやるからだ」と迫る。何故そうなるのか。彼らはソ連の脅威に怯えているのだ。自由も平等も人権もない得体のしれない共産主義国家であるソ連。やつらはいつ攻めてくるかわからない。だから子供のうちからソ連の脅威を刷り込み、国旗に忠誠を誓わせ、捕まえたスパイは形だけの裁判で死刑宣告。ってちょっと待て何かおかしくないか?それってもう自分達が恐れてやまないソ連とどこが違うのかわからない事になってないか?というか自分達が恐れるソ連って実は鏡に映った自分自身じゃないのか?
そんな問いかけを象徴するようにこの映画では冒頭でアベルが鏡を見ながら自画像を描くシーンをはじめ、鏡を印象的に使ったシーンが何度も繰り返し現れる。
そしてクライマックス、この映画で最大の"鏡"が出現する。場所はタイトルにもなっている橋の上だ。スパイの交換に来たドノバンが西側から相手陣営を双眼鏡で見て言う「気をつけろ相手は狙撃手を用意しているぞ」それに対しFBI捜査官のホフマンはこともなげに「そりゃそうだろこちらも狙撃手を用意してるからな」と返す。そう橋の上でアメリカとソ連はお互いの鏡像と対峙することになったのだ。しかしそんな極限状況のなかでドノバンだけはあくまで鏡像であることに抵抗する、ソ連側に囚われたパイロットだけじゃなく東ドイツ側に拘束されている大学生も同時に解放されるまで"待つ"という行為によって。
そんなドノバンの抵抗はついに橋の上の"鏡"を壊す。東ドイツが大学生を解放したことで同時に交換されたパイロットは抱擁で迎えられ、対するアベルは"車の後部座席"に乗せられて東側の夜の闇に消えていく。これで良かったのか、ドノバンは誰もいなくなった橋の上の"こちら側"に立ち続ける。あたかも最後まで鏡像であることに抗うように。
"敵"を恐れるあまり自分自身が敵そのものになってしまってはいないか。自分が敵だと思ってるのは実は鏡に映った自分自身じゃないのか?そんな問いかけは現代アメリカだけではなく今の日本にも痛烈に響くものだと思う。
最後に、唯一残念なのがドノバンの助手の存在があまりにも希薄だったところ。東ドイツに拘束される大学生にドノバンが思い入れをもつきっかけになる重要な役どころなのだからもうちょっと出番があってもよかった。ドノバンが個人的感情を優先させているかのように誤解されるのを避けるためかもしれないが…多分撮るだけとってカットされた助手君のシーンがブルーレイでは特典映像に入るとみた。