今日は母と映画を観たのです。「凶悪」を。すごい映画でした。快いものではないですけどね。感動ほろりだけが名作じゃないのが映画なんですね。あっというまだった、時間が。

あらすじ。
3人の殺人で死刑が確定している元暴力団の「須藤」(ピエール瀧)が、自分にはまだ誰にも話したことのない犯罪が3件ある、その首謀者「先生」(リリーフランキー)は今ものうのうと暮らしているがそれが許せない、なんとか事件を記事にしてくれないか、と週刊誌記者の藤井?←うろ覚え笑(山田孝之)に依頼します。
藤井は、上司の「こんなの記事にならない。取材はやめなさい」という
言葉に耳を貸さず、調査に没頭していきます。そして...。

以下、ネタバレというか中身に触れながらの感想。

何が怖いって、これが実際に起きた事件を元にしているということ(原作があるそうですよ)。さっき、事件についてまとめたサイトを見ていたのですが、ほっとんどそのまんま出来事をなぞってつくられている。この映画、殺人シーンが驚くほど丁寧に描かれているのです。ナチュラルに。焼却炉に死体が入らないところのピエール瀧のセリフで、「これ思ったより奥行ないんだな」みたいなのがあるんですが、あまりに普通でちょっと笑ってしまった。この場には、不似合いな気がして。死体が焼けるのを見ながら、ピエール瀧とリリーフランキーが「肉の焼けるいい匂いがするねー。肉、食べたくなっちゃうね」と言ってたところも、あまりに自然でそれが怖かった。

しかし、です。それを観ている私が、完全に彼らと違うのか、それはわからないよね、と映画は問いかけてくる。主人公、藤井の妻(池脇千鶴)は、仕事ばかりで家庭を顧みない藤井に対して、「でも、事件を追うのが楽しくて楽しくてしょうがなかったんでしょう」と言う。そして、同居している認知症の藤井の母を「私、時々殴ってるの。そういう人間じゃないって、思ってたのにね」と言う。このシーンには、観ている誰もがどきどきしたはず。私も、怖いものに引き込まれていた。私も、怖いものになってしまうかもしれない。それが何より恐ろしかった。
家族のシーンは原作にはないそうなのですが、池脇千鶴やお母さんのくだりがあることで、観ている人間にぐっと迫るものがあります。

みんなにオススメしたい映画ではないから(この映画を好き、というのはちょっとはばかられる)、やっぱり「すごい映画」というしかないのです。

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読書の秋だからなのか、
あるいは本を読まない期間が長すぎたからか、最近無性に本が読みたくて実際読んでおります。
本はいいですねぇ。

今まで、その年に読んだ本の合計額を計算するということにしていることもあり、同じ本を2回読むことはめったにしていなかったのですが、
この間にちゃんねるで江國香織の文体の話が出ていた時に、ふと、もう一度東京タワーが読みたくなったのでした。

この本を最初に読んだとき、たしか私は中学2年生でした。それから私の江國香織ブームが始まり、たぶん10冊くらいかな、彼女の本を読んだのです。

彼女の本は今考えると代官山などに似ているなーと思います。清潔でセンスがよくて、私のようないもっぽい人が浮いてしまう何かを発している。外国の本みたいに、距離を感じる。
そこにコンプレックスも感じつつ、たまらなく魅力を感じてしまうのです。

しかし、今回驚いたのは、前まったく異国のように感じていた彼女の物語が、少しながら現実味を持って読めるようになったのです。

例えば、かつての私は夏に飲むビールの感じがわかりませんでした。あと、渋谷で食事をするということも。それが、あと温度、あの騒がしさ、と想像できるようになっていた。

就職活動のしの字も知らなかったし(2001年の就活にもOB訪問というのはあったのですね)、大学のレポートがどんなものかもわからなかった。きっと難しい英語の文章を読むみたいに、わからないところは流していたんだろうな。こんな話があったこと、全然覚えてないなという箇所がいくつもありました。人とつきあったことも、なかったですし、フラメンコを生で見たこともなかった。このあたりは、なんというか当時の私にはファンタジーでした。だからよく覚えていた。でも、それが、ファンタジーではなくなってしまった。

何より驚いたのは、人妻が感情にまかせて恋人に声を荒らげるところが、前よりずっと共感できるようになっていたこと。昔は、もっと恋人のほうに共感ができたのだがな。私も知らぬ間に女になってしまったようです。

時間をあけて本を読み返すのは面白いな、と学んだのでした。


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最近料理が(正確には料理ブログ読むのが)マイブームでして、更新が滞りまくっておりました。

角煮作ったり笑

誰にも期待されていないと思いつつ笑、メキシコの記録をしこしこと書き進めようと思います。

前回同様、順番は適当に、自分の書いた日記を記憶で補いながら書いていきます。行ったのは2013年の春です。今日はテオティワカンのこと。



メキシコ、4日目。
テオティワカン。

テオティワカンには、メキシコのピラミッドがあるのである。大抵どこのガイドブックにも載っている場所。しかし、数冊ガイドブックを読んだけど、バスターミナルの様子がよくわからない。帰り方も、よくわからない。
行ってみないとわからないことって、やっぱりある。不安だけど、ここはどうしても行きたかった(古代文明とか大好き!)。

我々はとりあえず北バスターミナルに向かった。あんまりできないスペイン語駆使しつつ、切符を買う。
最初どこで買うかわからなかった。1番窓口できいたら7番で売ってると言われて、7番では8番だよと言われる。このあたりがさすがだよね。こういうのもまぁ楽しいんだけど。結局8番で買えた。バスにぎりぎりで乗りこむ。たしか100ペソ(約800円、以降1ペソ大体8円だと思って読んでくださいまし)くらいだった。

中は昨日(※前日もバスでクエルナバカに行った)と違ってテレビはなかった。
降りるところがよくわからなかった。ヒントとかほとんどないのである。たぶんプエルタ1であろう場で下車。ちなみに、プエルタ、は扉という意味です。ゲート1みたいな感じですかね。

バスを降りてしばらく行くと、帽子屋さんなどがあった。その帽子屋をのぞくと、やたらおっさんが100ペソの帽子を売りたがった。私は15ペソの帽子を買おうとしていたのだが、おっさんは、「この帽子は折り畳める。今日1日ならそっちでもいいだろう。でも全メキシコ旅行で使えるのはこの帽子だ」と主張し、何度も帽子を折りたたんで便利さを押し付けてくる。私と友人、爆笑。まぁいっかといって我々は100ペソの帽子を買った。
ちなみに私は頭がでかすぎて帽子が落ち着かず、その後首から下げてる時間が長かった。しかし、日差しが強いのはたしかなので帽子があったほうがいいのは間違いない。

プエルタ1から行くと遺跡まで少し遠く、発掘作業について説明してある事務所というか簡易博物館のようなところを通る。遺跡はいくつかあって、一つだけ離れたところにある遺跡がたしかプエルタ1の割と近くにあるのである。一番有名なピラミッドだけ行くなら、たぶんプエルタ2から降りたほうがよいだろう(プエルタの情報はすべてネットで読んだことなので、たしかなのかは不明)。

唯一離れてる神殿を見る。面白い!!



私はこういうのが大好きだ!!名前は忘れた。ドラゴンみたいなやつがかわいいよね。

そしてそこからひたすら歩く。歩く歩く。しんどい。



最初はそこかしこに生えているサボテンにメキシコを感じてわくわくしたが、すぐ飽きる。サボテンは腐るほど生えているし、神殿は恐ろしく遠い。そして日差しが強い。

海外の観光名所といえば、いらないお土産を売りつけてくるおっさんたちだが、ここではなんか犬の吠えてるみたいな声のする笛とオカリナを売っていた。というか、売りすぎだった。そんなおっさん、いらない?という日本語を習得してる人がかなりの人数であった。断られ慣れているのかもしれない。
歩き疲れているところに、その犬が吠えてるみたいな(しかもふざけた感じで)笛を吹かれると大変いらいらした。突き抜けてちょっと笑えてきた。しかし、この酸素が薄いところであんまり爆笑すると呼吸が苦しくなる。注意。今思えば、あの馬鹿っぽい笛を買っておけばよかった。辛い気持ちの時に吹けば、なんでもどうでもよくなったかもしれない。

途中、とりあえずムセオ(博物館)につく。涼しい。遺跡を再現したミニチュアやら、例によってつっこみどころ満載の出土品やらがある。



しかし、まだ神殿までは遠い。

まだ歩く。確実にここは順路じゃないよねってとこを歩く歩く。

やっと太陽のピラミッドにつく。



どーん!

そして階段をのぼるのぼる。しんどい。300段くらいありそうだった。
なのにおじいさんおばあさんもいてびっくり。とうもろこしを食べていれば私も元気な老人になれるのか?

へとへとになって頂上に。すごい!そして風強い。
でもこれは、実際に行かないとまったく感動が伝わらない。

もう一つ、月のピラミッドというのがあるのだけど、同じくらい階段を上らねばならぬので我々は諦めた。羽毛のはえた巻貝の神殿とケツァルパパロトルの神殿を見る。




遺跡の中には、緑やら朱色やら残っているところがあった。



あの色がもしほんとうに残ってたものなら、すごいなぁ。模様がすてきだった。ケツァルパパロトルは一番気に入った!古代文明の模様とか図柄って、洗練されていてちょっとださいかわいさもあって大好きだ!

そして、グアバジュースを飲んでからバスを探す。あのときほどグアバジュースうめぇ!と思ったことはない。
しかし、バス停、ない。すごく歩いたら、壁画博物館につく。(ほんとにどこまでも博物館がありすぎる)
昼ごはんも食べてなくてくたくただったけど、博物館自体はとても楽しかった。



これはレプリカですけどもね。
でも帰れないかと思うと心細すぎた。運よく優しい警備員さんに出会えて、彼が道を教えてくれた。

そこから、また歩いて、でもやっぱりそれらしき場所はなかった。(警備員さんはちゃんと教えてくれたんだと思うけど、初めて行くとあのあたりはどこも同じように見えた)。我々は疲れきって、もう多少ぼられてもあのレストランへ連れていくタクシーに乗った方がいいんじゃないかという話し合いをした。そう、なんかこのあたりには昼ごはん場所へと誘導しようとしてる人もぽつぽつ待機してたのだ。
しかし、そこに偶然バスがやってくる。もう全然観光客用じゃないやつ。行き先聞いたけどほんとにバスターミナルに着くかも怪しかった。でも、とりあえずここより交通の便がよいところに行けると我々は信じて、乗り込んだ。

危ないから我慢したかったけど、疲れきって爆睡してしまった。途中でおまわりさん乗ってきたり不安要素は多いながらもなんとか北バスターミナルにたどり着く。よかったよかった(よいこはまねしないでね)。

テオティワカンは、行きはよいよい帰りは怖い、の観光地であることを学んだ。


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