私達メンヘラ(=アダルトチルドレン、以下AC)がよくやってしまいがちなことに自虐がある。「私はどうせ…」というやつである。結構息を吐くように自虐しがちなので自覚がないことが多いがぶっちゃけ人の自虐はすぐわかる。何故なら不快だからだ。

自虐は痒い皮膚をかきむしるかのような快感を与えてくれる。それで優しい言葉をかけられようものなら傷んだ皮膚にメンソール系の薬を塗られたような、中毒性のある快感がある。自虐はおいしい。

で、前述の通りされると不快なのである。何故なら何か優しい言葉をかけてあげなければならないような気がするからだ。そんなことないよ、と言わねばならぬ気にさせられるが、言ってもどーせ聞かねえだろ、と思えてきて言いたくもない、つまりどっちに転んでもイヤなのである。人間は暴力でコントロールされることを100パーセントイヤがるが、弱さでコントロールされることもまた然りである。


もしあなたが落ち込んだ時に自虐という行動を取りがちならば近親者が自分に対してそういう関わり方をしてこなかったか?と自分に問うてみるが良い。おそらくはそうなのであろう。「自虐」という形でコントロールされ、愛の搾取を行われるとどうしても子にはストレスがたまり、自分もまた人から愛を搾取しなければ自分を保てなくなってしまう。

親子関係は全ての基本、と心理ではよく言われるものの、「親子間でしか成立しない特殊な条件」もあると思っている。基本的に親子関係は良い意味でも悪い意味でも、強い決意無しには切れない。だからこそ双方若干の甘えが出て不快なことを言ったりやったりコントロールしたりするのであるが、同じつもりで他人に対して接していると簡単に嫌われて「切られて」しまう(もちろん嫌われること自体はいかなる関わり方をしていても一定確率で発生する)。それが他人同士の関わりなのだが、他人を親のようなものだと(無意識に)思っていると狼狽えることになる。

「自分の煩悩は可愛くて仕方ないが、他人の煩悩は憎らしい」と僧侶の方が本で書いていたが、まさにそういうことなんだと思う。自分の自虐は可愛くて仕方ないが、他人の自虐は憎らしい。


じゃあ自虐はどうしたらやめられるのか。私自身が自虐癖から脱却しようとしているところなので、仮説として読んで欲しい。あと基本的にこの文章全体的に私が私に向けて言っているものなので。


1.自虐している自分に気づく

2.自虐している自分を責めない

3.自虐するということは、自分の中に何らかの堪え難い痛みがあるということなので一つずつそれに対処していく。

4.3と同時並行で、自虐によらないコミュニケーションを身につける。

5.自虐の理由が無くなれば自虐は止まる


誰も好きこのんで自虐はしない。自虐する必要があるから自虐をするのだ。自虐の目的は大きく分けて2つあり、それは「痛みを紛らわすこと」と「人とコミュニケーションを取ること」だ。

自虐をしがちな人は、実は優位に立ちがちな場所では隠れた自慢をして人からイヤがられたりする。つまり「他人との差」を差し出すことによって他人の関心を買うことが習慣付いてしまっている。プラスであれマイナスであれ、差を見せつけられて心の底からいい気分になる人間はいない。


実は一番大事なのは2の、自虐する自分を責めない、というところだと思う。自虐がダメなのはみんなわかっている。だからなんとか頑張って耐えてスッキリとした人格を目指そうとする。しかし前述の通りあなたが自虐しがちなのはあなたが悪いわけではなく、そう身につけてしまったからである。自虐したあとじゃないと、自虐に気付けないし次のステップにも進めない。だから自分を責めない。

AC気質の人というのは、「自分の行動が望ましくないものだと知った時に自分を罰する」という傾向を持つ。これは大概、幼い頃に親から罰せられた悲しい記憶から端を発していることが多いが、自分を責めても問題は解決しない。逆に自分を責めているときは問題について適切な対処を取れていない時でもある。


堪え難い痛みに対する対処というのは何なのか。少なくとも菓子や酒でごまかすことではないだろう。これは「自分の感情を認め、自分自身で抱きしめること」相当すると思うのだが、おそらくこの辺は自分でやるのは無理があってカウンセリングの領域なのだろう。




もうちょっと話は続くのですが、今日はここまで。打ってる方も疲れましたが、読んでる方も疲れたでしょう。お疲れ様でした。