輸入車と検査着1 | 障害児の母になりました

障害児の母になりました

育てにくかった息子。ついに診断名がつき、障害児になった。そして、私は障害児の母になった。

ドロドロした気持ちを吐き出すブログ。

昔、軽自動車に乗っていた頃、よく煽られた。

 

まだ今のように煽り運転が話題になっていなかったし。

 

高速を走れば、必ずと言っていいほど煽られた。

 

 

 

それが、少し大きめの輸入車に乗るようになったら、

 

周りの車の動きが変わった。

 

変に距離を縮められることも、

 

無理な幅寄せをされることも、まったくなくなった。

 

私という人間も、私の運転も変わっていないのに。

 

 

 

 

 

 

話は変わって、健康診断の時。

 

いつも検査着に着替えるのだが。

 

あちこち巡る間に、何度も顔を合わせ、名乗る声も聞き、

 

なんとなく「こういう人かな?」というイメージを抱いていた人。

 

健康診断後、私服に着替えた時、イメージが全然違うことがある。

 

地味な感じの人だと思っていたら、ものすごくオシャレだったり。

 

年上かなと思っていた人が私服だと若く見えたり。

 

きれいな人だと思っていたら、服が微妙だったり。

 

ただのおばあさんが、とてもお金持ちそうだったり。

 

 

 

 

 

人間って、意外と「その人」本体のイメージなんて

 

ものすごく儚いもので。

 

「その人」を取り巻く物や、その物が抱かせるイメージがほとんどだったりするんじゃないかな。

 

なんて思うようになった。

 

 

 

そう思うようになって、私は身なりに気を付け、

 

なるべく小奇麗にするように心がけた。

 

すると、周りの反応も、それに準じた。

 

 

 

 

 

 

しかし、私という人間が作り上げたイメージは

 

息子の存在でガラガラと崩れ、

 

意図せずまったく別物となった。

 

私は何も変わっていないのに。

 

 

 

 

輸入車の扱いから、軽自動車の扱いへと変わったのだ。

 

 

 

 

雑に扱っても許される存在。

 

失礼なことを言ってもいい存在。

 

上から目線で指示や指導をしていい存在。

 

 

 

 

すべての人がそういう態度ではない。

 

でも、意外と身近にそういう人が何人もいるのだ。

 

 

 

 

息子は私のアクセサリーでもないし、

 

私の付属品でもない。

 

私という人間自体を表わすものではない。

 

 

 

 

でも、「障害児の母」と見られているのも事実。

 

なんだか、最近そう感じる出来事が続いている。