ヘルプマークに想うこと | 障害児の母になりました

障害児の母になりました

育てにくかった息子。ついに診断名がつき、障害児になった。そして、私は障害児の母になった。

ドロドロした気持ちを吐き出すブログ。

息子のマスク問題で、たくさんのコメントをもらった。

 

 

以前、マスクについて書いた時には、厳しい言葉が多かったが、今回はどれもとても優しい言葉ばかりだった。

 

その中で、ヘルプマークを勧める声が多かった。

 

 

 

 

 

ヘルプマークは、私もずいぶん前から知っていた。

 

でも、なんとなく使うのは今じゃないと思っていた。

 

 

息子の障害を認めたくないとか、

 

つけることで障害がバレてしまうのが嫌とか、

 

そんな気持ちは一切ないのに。

 

なんとなく使いたくなかった。

 

本当になんとなく。

 

でも、今回の出来事で、「なんとなく」が言語化できるようになった。

 

 

 

 

 

 

 

テーマパークを訪れるにあたり、コロナ対策についてホームページで調べ、マスクをつけなければならないことを知っていた。

 

 

口を覆えるようになったことで、大丈夫だと思っていた甘さがあったのは事実。

 

一方で、いざという時のためにヘルプマークを持っていこうかと、一瞬頭を過った。

 

でも、やっぱりなんとなくやめた。

 

 

 

 

 

 

「なんとなく」には二つの理由があることがわかってきた。

 

 

 

一つは、ヘルプマークを印籠にしたくない気持ち。

 

 

息子は一度経験したことを、一般化してしまう。

 

ヘルプマークを見せて、マスクをしなくてもいいことを知ったら、これから先ずっと同じようにしたがる。

 

「これを見せればマスクしなくていいんでしょ?」と。

 

だから、なるべく使いたくない気持ちがあった。

 

ヘルプマークは、本当にどうしてもできなくて、

 

周りに配慮してもらわなければならない時に使いたい。

 

このマークを見せれば、特別に何でも許されると認識させたくなかった。

 

 

 

 

二つ目は、息子の成長に賭ける気持ち。

 

 

まったくマスクができなかった時を経て、

 

口を覆う段階まで、徐々に許容範囲を広げてきた息子。

 

もしかしたら、もしかしたら、この機会にできるようになるかもしれないという期待があったのだと思う。

 

この期待の気持ちは、自分でもまったく意識しておらず、

 

今思えばそうだったのかも、という程度。

 

 

 

 

マスクの件に限らず、この二つの気持ちで、

 

私は今までヘルプマークを使わずにきたのだと気づいた。

 

 

 

 

 

 

私は息子の成長には、ある程度の負荷が必要だと思っている。

 

もちろん、負荷をかけすぎることによって二次障害に繋がることは知っている。

 

その二次障害が最も怖いものだということも知っている。

 

でも、息子はちょっとした負荷を乗り越えて、今の姿がある。

 

負荷をかけて、成功体験を積み上げて、

 

少しずつ許容範囲を広げて、やっと今の姿がある。

 

 

 

発達の特性によって、人よりも許容範囲がものすごく狭い息子。

 

ありのまま、何も負荷をかけないまま、ずっと過ごしていたら・・・。

 

 

 

きっと今もオムツで排泄し、ふりかけごはんだけを食べ、季節に関係なく同じ服を着続け、きつくなったボロボロの服を着て、癇癪を起しまくって今も過ごしているだろう。

 

 

ちょっとした負荷をかけ、我慢して乗り越えられる範囲を広げてきたからこその今だ。

 

保育園に通い、家族でテーマパークにでかけることもできるようになった。

 

多くの子にとって、何の躓きもなく、当たり前にできることでも、息子にとっては大きな課題となることが多い。

 

それを乗り越えるには負荷が必要だった。

 

 

 

 

 

 

 

だから、私はヘルプマークを使うのではなく、

 

自分がフィルターとなって、息子の成長を見守りたいと思った。

 

息子が親から離れていけるまで。

 

 

 

息子に降りかかる様々な社会からの要求を、

 

息子の成長に繋がると判断すれば負荷として課し、

 

これ以上は無理だと思えば、配慮をお願いするか、

 

私が盾になる。

 

 

そうしてフィルターを通して、息子に成長の機会を与えたい。

 

 

 

 

 

ヘルプマークを提示すれば最大限の配慮をしてもらえる。

 

提示される側は、どの程度の配慮が必要なのかはわからないから、最大限の配慮をすることになる。

 

 

時に、それは行き過ぎた配慮にもなりかねない。

 

 

 

どのくらいの配慮が必要で、どのくらいの負荷に耐えられるか。

 

それはとても難しくて、親でも間違えたり失敗することはあるが、

 

赤の他人より、何十倍も何百倍も予測を立てられる。

 

 

 

だから、私は息子のフィルターになりたい。

 

 

 

 

 

息子がいつか親から離れて行動できる日が来たら、

 

その時には絶対にヘルプマークは必要だ。

 

 

自分でうまく言葉にできない分、

 

周りに察して配慮してもらわなければならないから。

 

 

 

 

だから、その時まで、ヘルプマークは大事にとっておく。