こんばんは。
今日も無事に1日が終わりそうな母ちゃんです
ばあちゃん2号がアルツハイマーの診断を受けて一年半が過ぎました。
上弟くんが亡くなり、もうじき4回目の命日がきます。
上弟くんが生きてた頃、
「お姉は離れて住んどるからわからんやろうけど、おかん、ボケよるからね。」
と言っていたのを思い出します。
お風呂の水を止め忘れないように、タイマーをセットする。
とか、
予定はみんなが見れる居間のカレンダーに書き込む。
とか、
色々ルールができていました。
母ちゃんは、上弟くんは病気だからという色眼鏡をかけて接していたので、
また四角四面の几帳面男(上弟くんのこと)がヤーヤー母さんに言うてるんやなぁ…。母さんも、上弟との二人暮らしやから大変やろなぁ…。
と、ばあちゃん2号の変化には気付きませんでした
ただ、家族で実家に帰省した時、
「夕飯は酢豚を作ろうと思う。」
と言ってたのに、食卓に出てきたのは餡が白い…。
普通、酢豚の餡って、茶色とか赤色なのに、白い酢豚が出てきて驚きました
具は、思いきり酢豚の具。
豚肉に、ピーマン、人参、玉ねぎ。
なのに、餡が白…。
「ちょっと、これ酢豚じゃないやろ?どうやって作ったん?」
と尋ねたら、
「これで作った。」
と、八宝菜の餡の素を出してきた。
その時は、ばあちゃん2号が認知症だとは疑いもしなかったので、
「どんな間違いしてんのよ〜
これ、八宝菜の素やん」
って、めっちゃ笑ったのを覚えてる。
そして、毎週水曜日のお昼には、上弟くんの様子を確認する為、何年もばあちゃん2号と電話をしてたのに、電話をかけてくることを忘れることがあったり、
買い物で車を駐車場に停めたが、車を止めた場所がわからんくなったことがあったなどの報告を受けることがあった。
でも、まだお仕事にも行っていたし、運転もしていた。
だから、
ま、歳をとっていくんやから、大なり小なり忘れたりすることもでてくるさ。
程度の、年相応の物忘れと判断していた。
だけど、3年前、母ちゃんが胆嚢の手術で入院した時、朝、昼、晩と電話してきていた。コロナが流行り、面会も全面禁止だった頃。
毎回、
「具合はどんなか?」
って話だったけど、
「日に日に良くなるんやから、大丈夫よ。朝電話してきて言うたのに、昼に変わる訳ないやん。」
って話してた…。
その時は、
頼りにしている私が入院して手術受けたし、面会も禁止で顔見てないから心配なんやろなぁ。
と思っていた。
けど、段々と、
ん?何かおかしくないか?
と思い始めていた。
そして、
ばあちゃん2号に妹ちゃんの体操服に名札を縫い付けて欲しい。
とお願いした時、ばあちゃん2号が縫い付けた名札は、とてもひどいモノだった
まだ家庭科をろくに習ってない妹ちゃんの方が上手なレベルだった。
そして確信した。
おかん、認知症かも…
でも、でも、今、上弟くんが亡くなって食事も摂れなくて激ヤセしてるから、ちゃんと栄養摂らせたら元に戻るかも。
なんて、とても何十年も高齢者福祉に携わってきた者が判断するような状態じゃなかったんだよなぁ。
子どもを亡くした悲しみで、食事が摂れなくてげきやせした。気力が低下して何もしないから歩行状態が悪化した。
と思ってたけど、実は、アルツハイマーと脊髄炎でこんな風になってたんだよね
気付けなかったなぁ…
色メガネかけてて悪かったなぁ…
もっと上弟くんの言うこと、信じてやれば良かったなぁ…
思うことは沢山あります