スッと立った母親が、リビングの端に置いてあるサイドボードの扉を開けて、書棚として使っている所から、小豆色の表紙の本を二冊抜き取った。
ソファに戻ってきて開いたそれは、スナップ写真が丁寧に貼られたアルバムだった。
「小学校は入ったばかりで、その生活にも慣れていないうちから
バスケチームに入って…、ほら、身体に比べてボールがこんなに大きい。」
アルバムの中には、春の知らない、まだ幼い圭一がいた。
でも、その目には見覚えがある。
こんな小さなうちから、バスケットに心酔していたんだと、改めて感じた。
「週3回の練習も欠かさず通って、熱があっても行こうとするから、
チームのみんなに移したら大変だからと説き伏せたら、拗ねちゃって。
様子を見に部屋に行ってみたら、ボールを抱えたまま泣き寝入りしていて、
なんだか、こっちが悪者にでもなった気になったわ。
ドリブルの姿勢がいいと褒められたとか、試合に出られそうだとか…、毎日バスケの話ばかり…。
NBAのテレビ観戦も付き合わされて、知らず知らずのうちに選手の名前を覚えちゃったりして…。」
出産の時が、大変であればあるほど、母親にとっては後々武勇伝になるのだと聞いた事がある。
育児も同じなんだな~と次から次へと語られる、圭一の成長話を春は黙って聞いていた。
母親の話は、際限なく続きそうだった…ところが、ふっと、言葉を止めた。
「どうして、こんな簡単な事に気付かなかったのかしら。
忘れてた…。
忘れようとしていたのかも知れない。
あなたの為だと言って、子供から大切な宝を取り上げてしまった。
あの子が一番苦しんでいるのに、私の都合ばかり押し付けて…。」
目頭を押さえる母親に、春は掛ける言葉が見つからなかった。
子を思い、幾夜眠れぬ夜を過ごし、人知れず泣いた事だろう。
親としての選択は、決して間違ってはいない。でも…。
「圭一の病気はね、気がつかずに一生過ごす人もいるんですって。
身体への影響だって、交通事故にあう心配をした方がいいって言うくらいの確率かも知れない。
でも、医師は絶対大丈夫だとは言わなかったの。
言えないわよね…。それもわかってる。
頭の中にあるべきで無いものがあるんだから…。
心配のし過ぎだって事もわかっているのよ。だけど…、だけどね、
命って、失ったら二度と戻らないの。後悔しても、時間は絶対に巻き戻せない。」
母親は一旦、言葉を切って、何かを吹っ切るように一つ深呼吸をした。
ちょっと待っていてと、春に断りを入れてからリビングを出て行った。
急ぎ階段を上がる足音が聞こえ、少しして、今度はゆっくりとした足取りで階段を降りる音が聞こえて来た。
リビングに戻った母親の手には、海外旅行に使うには少し小ぶりなトランクが下がっていた。
リビングの床に置いてロックを外し、蓋を開ける。
中には、綺麗にたたまれたユニフォームやトレーニングウェア、それと、シューズが入っているらしいケースが入っていた。
「最近見つけたのよ。圭一が自分で整理して、仕舞っておいたみたいなの。
これなんか、小学校時代のユニフォームよ。小さかったわね~」
120cmとサイズ表示されたオレンジのユニフォーム。
それは、さっき見たアルバムの中の圭一が着ていた物だった。
次から次へと出てくる、色とりどりのユニフォームの中の一枚に春の目が釘受けになった。
「あの…、それは、その白地に緑のプリントのユニフォームも圭一君のですか?」
見覚えのある、白地に緑色のプリントで『11』と書かれたユニフォームは、あの、中2の夏に見た少年が着ていた物だった。
「ああ~これ?これは、圭一の中学の部活のユニフォームね。
ほら、中学校の名前が入っているでしょ?」
と、広げて見せてくれた。
間違いない、あの時の背中が蘇る。
でも、前に聞いた時に、中学の時には4番だったと言っていたず。
その事をさりげなく聞いてみる。
「圭一のユニフォームの番号?あの子はずっと11番だったわよ。
あっ!でも、中3の時だけ4番だったわね。
バスケは、1~3番は使えないから、4番がキャプテン番号なのよ。
3年の先輩達が卒部する時に、それを譲られて、圭一も卒部まではそれを使っていたはずよ。」
と答えてくれた。
春は、動揺していた。