・第一章

『限りない空とライオン』
そう名付けてまっさらなノートをひらいた。
2013年、年末。
今日はふりかえる日である。
セキララと呼ぶにはいささか回りくどい私について記す日である。
ひりひりするほどの自意識を。

3月8日、高校を出る
3月29日、恋人ができる
4月1日、慶応大学へ入学
4月7日、19歳
6月5日、NPOカタリバで企画プロジェクトマネージャーをする
9月1日、NPOカタリバのアシスタンドディレクターになる


1日かけてあらゆることを書き出してみたけれど、
パッとしなかった。
過去について忘れることが得意なのだ。
帰省をし、コタツでぬくぬくとしながら、
テレビに流れつづけるBGMのように感動的な年末はいなくなってしまった。

「それは確かに異常なことだった。でも日常に解けてしまう程度の異常さだから、たいていの人は未来に向かっているからいつしか考えることもなくなっていた。...私はずっと、ただ幸福な娘で、それなのにどうしてか時折、無性に思ったのだ。...心の中で何かがチカチカ光る。何かが欠けている。まだ何かがある、そう思う。」
『哀しい予感 (吉本ばなな)』の主人公、19歳の弥生には、始まりという出口が与えられるけれど、私は今もこうして日常を生きているのだ。

國枝先生は言った。
「人は常に自分の記憶を取捨選択し、読み替えながら
[今・現在]に必要なストーリーを描いている。」
「丁寧に想起する素直な人ほど、人生は小さな絶望を繰り返す気がします。」
「そうだよ。この授業はみんなへの問いかけなんだ。」

私の隣には、小さな絶望を繰り返す人がいる。
その深淵を纏ったひたむきさを前に、せめてまずは一年を克明に記憶すると決めた。
気持ちや過去に、心から忠実でありたいと思った。
初めて、忘却という得意技に後ろめたさを感じて、なるべく[今・現在]のためではなく
過去の私のためにも生きようと思った。

しかし過去の正当化、ー今・現在の私の正当化のために「説明」を続けてきてきた私の結果は、
・・・空しい。




・第二章

それでも筆をとりつづけようと思う。
確かな変化を、また忘れないうちに記しておきたい。

2012年の私が、私が記したように「シチューのような海に溺れていた」ものぐるおしい日々ならば、今年はクロールをしていた感じだった。『ぐりとぐらのかいすいよく』に出てくる方のように得意気に泳いでいた。寝てても泳げるマグロになりたいとも言っていたのは、6月あたりだっけ。あはは。

8時30分スタートの高校へ、8時15分に起床して登校していた私が、
片道2時間かけて大学の一限へ通った。
大っ嫌いな終電と満員電車に、ストレスを感じなくなった。
3日連続で食べると気持ち悪くなっていたのに、
どれだけ食べても、一日の摂取がそれだけでも、コンビニのおにぎりへ感謝するようになった。
この世で一番安い腹の足しだ。
さんざん既読を批判していた私も、毎日LINEでスタンプを交わす。
背後を気にしながらセブンイレブンでほとんど空っぽのキャッシュカードへ
暗証番号を打込んだのも初めてだ。

一言でまとめると、「変節」した一年だった。
『スプートニクの恋人(村上春樹)』にこんな一節がある。
「そして小説は相変わらずただの一行も書いていない」
「すべてのものごとには良い側面があり、悪い側面がある。」
すみれは唇を曲げた。
「ねえ、そういうのって、一種のヘンセツだと思う?」
「ヘンセツ?」ぼくは一瞬その言葉に意味がよくわからなかった。
「変節。信念や主張を曲げること」

だって平田オリザが言うんだもん。
「 —その批判は正しいと思うが、これが現実なのだ。だとすれば「そんなものは、慣れてしまえばいいではないか」と私は思う。せいぜい「慣れ」のレベルであって、人格などの問題ではない。...二十歳過ぎたら、慣れも実力のうちなんだよ。」

環境に対して、ポジティブでありたい。
受験とともに、悪い癖に自意識が加担して、
独りよがりな老人になってしまった私が去年にたてた目標だ。
敵をつくらないこと、何かのせいにしないこと。
原因の立場を明確にするよりも、改善策を実行するというキラキラマネジメントだ。
劣等感として持ちつづけていた、「人を巻き込む力」をゲットしてモテること。

比喩でもなく毎日泣いていたくせに、誰かに涙を見せられることがたまらなく怖かった。
3月、一緒にイベントを成功させて涙する友達を見て血がかすかにうかぶほど手を握り殺した。
惨めどころじゃなかった。
扱いづらい老人めいた批評家は「あえて必要なんだ」という言葉で正当化してきたけれど、
もういらない。

怒らなくなった。
「小学生みたいになった」と言われた。
丸くなった、と思う。

自由だ。

正当化したり、説明したり、説得したり、そんなことは少しずつ減らしたい。
分かってもらいたいという欲求から抜けなければ、伝わる言葉は生まれないんだと思う。

「説明しなくてはわからないということは、説明してもわからないということだ」
『1Q84(村上春樹)』にある言葉はつまり、説明するから悪いのだと解釈するべきだと思う。
説明は結果の見え方であって、目的になってはいけない。

『私とシュタイナー』のなかで子安さんは言う。
「言葉ではないのです。背後にあるものです。
説明なんて結局つけ足しです。ピカソがこういったそうです。」
そう、背後を見せるのだ。
世の中も私自身も、分かりやすい説明を求めている。それが、そこへ想像力が働かないからだとすれば、説明ではなく想像させてあげなくちゃならんのだ。
これは変節をして、一年もかかって気付いたことである。
実行せねばならぬ。



・第三章

長過ぎるふりかえりも、これにて最後にしたい。
最後は劣等感について。

変節しここまで活動ばかりしていると、この生き方が正しいのかどうか時折不安に襲われる。
高校生時代の意識高い系の先輩たちが次々にかかっていった「隠居」は私にはできなかった。でも隠居して個人の幸せだけを追求していくマイ・ワールドへのコミットはかっこ悪いとも思う。
ハードボイルドにも、レトリックにも、今はまだ「なりすまし」にしかなれず、
19歳の青さに苦笑いするハメになるだけだと思った。

一方で、今こそ自分の表現を獲得しないことは、「きっとやればできる」への逃亡だ。
ある一定のレベルまでは大体達せられる器用さは、私を何者にもしてくれはしない。
下らないと思いながらも変節し、大人に近づくべきか、
下らないことなんてして無駄にするな、という気持ちを、常に行き来している。
答えはまだ見えぬ。
あるいは、どちらも必要だ。

ここまでつらつらと綴ると、ふと桜をみたくなった。
そしたらもう二十歳だ。