「震災からはや2年——。」
そんな言葉がインターネットのあらゆるところで、飛び交っている。そんな言葉たちを読むほど、まっすぐに受け止められなくなる自分がいる。反原発とか、動物保護とか、いつものやな匂いを感じて、それぞれの自己主張に感じちゃうのだ。
中学生くらいの頃、積極的にそんな世界をウォッチして「なんとか団体」のパンフレットをたくさん抱えていたから、比較的身近にそんな人たちを多く知っているから、よけい放り投げたくなる。
一昨日、埃のかぶったテレビのスイッチをつけた。ただただ情報を受け入れて、感情をあらわにしながら過ぎていく自分に失望した。
テレビに流れることごは、大きすぎて受けとれきれなかった。だから、そうするより仕方なかった気がする。
よし、言葉を綴ることはやめよう。
そうやって決心したけど、やっぱりここを開いてしまった。つい最近卒業をしたらしい私は、幸せとはなんだろう、とか学校ってなにをもたらす場所なんだろうとか、そんなことを取り留めもなく考えていた。
それらは、「想像力」と「日常」についてをキーワードに思考を巡らせていた。そしてそれは、震災について語ることそのままだと思ったからだ。
http://wakocco.blogspot.jp/2013/03/8.html
そして、ものごとを斜めにばかり捉えてしまうならば、それはそれで、素直に書いてみても悪くない気がした。
だけど、すごい大きなことが肩から降りたとたん、気が抜けたらしくって風邪をひいてしまったらしい。今日の夕飯をつくることも少し気が遠くなる。
もっと、頭が働くときに、しっかり文字を綴りたい。
ということで、誰かがいい文章を書いていたので、それを読んでねえ。
http://kou-manabe.hatenablog.com/entry/2013/03/12/110019