二つの軌跡を描く光が見えた。
ある人は、それを二つの月とよんだ。
ある人は、それを冒険彗星とよんだ。
(to you:引用先については、とやかく言わないよ!!!!)

驚異の速度をもって力強く冒険する二つ。
真ん中に鏡を置いたように、美しく進む二つ。
ただ遠くへゆくのではなく、ただ真っ逆さまに堕ちるのではなく、
完璧な角度をもって物語が始まっていた。

彼らは一体何なのか。
とにかく、彼らに向かって歩いていった。(家路だからね。)

ふと気がつくと、別の方向から追いかけるように向かうそれに気付いた。
さっきまでは居なかったそれは、当たり前のように僕たちの上を飛ぶ。
それは気付くと位置も、僕たちとの距離も、当たり前のように移動するから、僕たちが見ているのは現実世界なのか、それとも僕たちの物語が空にうつってしまったのか分からなくなった。
ちょっぴり頬をつねりたくなった。

とにかく、彼らに向かって歩いていった。

いつの間にか僕たちの上を飛んでいるそれは、二つに追いついている。
と思うと、やはりまた二つを追いかけている。
と思うと、また別の方向から新しいそれが飛んでいる。
当たり前のように移動する距離感も線も、僕たちの考えるに至らない次元の進み方をしている。
共通しているのは、ある場所へ向かっているということだ。
、、、そんな訳で、今日が神無月であることを思い出した。

つまり、、、
とにかくそれは、神様だったのだ。

思い返すと神社にお参りをするという非日常から物語は始まっていたことに気付く。
あたかも、私が祈りの終わりに、かけたかけ声から始まるように。
そして、恍惚とするような完璧な薄暮だった。とりわけ今日は。




・・・ぬう、長くなってしまったから序章でとめておこう。
いやむしろ物語とは過程であり、その過程こそが大事なんじゃないか、、、

とにかく、これはあくまで、わたしと彼女が織り出した物語だ。
ここに普遍性があるのか、意味があるのかは、読者が決めることだ。
あるいは、どんな意味があるのかも。
僕たちは、読者の物語を引き出すためのメタファーにしかすぎない。

ただ一つだけ言えることがある。
どうやら、多くの人は勘違いをしているらしい。
世の中に溢れる小説や、音楽たちの中で、本質を響かせるのはごくわずかだ。
大抵の人が、広く浅いことが普遍性だと勘違いをしているらしい。
本当の普遍性とは、もっと深く世界の底で包み込んでいる存在だ。
そのぎゅーっといった先にある存在が、本質であり、万人を響かせる普遍性なんだと思う。
例えば、表層に出てくることはタレント性だったりするのかもしれない。
いやむしろ表層にすぎないそれを普遍性と捉えていることが問題なのだ。
それは芸術系とかでくくられる表現のみならず、おそらく社会一般における問題なのだ。
僕たちは、俗というのを否定しているのではなくて、勘違いを指摘している。
もしかしたら、そこへ働きかけられたらいいなと思う。


ちなみに、きっと彼女はもっと素敵な言葉で物語を綴っているんだろう。
この駄文を読んだみなさんは、きっとこれを読んだほうがいい。
http://ameblo.jp/ilovea22/entry-11388464176.html