$Cheeeeers everyday


毎日ご飯の写真を撮ろうと決めていたのに、あんまりおいしすぎて。
あんまりお腹がすいて撮るのを忘れた。
鶏肉をハーブで焼いたんだぜ。それにアボガトと今年一番に穫れたレタスに柚酢とオリーブオイル、粉チーズをかけて、それに芽キャベツ!はるだね!

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はっと目が覚めて湯から上がったら、2時間も経っていた。本の中に入り込むと、読んだ時間が長いほど長く本を読んでいない時間も必要になる。ぐるぐる無意識に近い空間をそれらが巡って、時々はっ!ってなる。今から書き留めるぞぞぞぞ。


『コインロッカー・ベイビーズ』を読んだ。



東京の方へ引っ越してきたばかりの頃、友達に「わこちゃんってぐろいね」とよく言われていた。私はそれを言葉のままに受け止めずに、勝手に濾過をして褒め言葉と捉えていたことに気づいた。どうやったら褒め言葉なんだろうか、さて、紐解いてやろうか。

東京の人に、なんだか偏見をたくさんもっているみたいなんだけども、それでもやっぱり東京の人はたまに頓珍漢なことを言う。東京は日本の中心であるけども、東京が日本ではない。日本を見渡したら東京はいい意味でも悪い意味でも異常地帯だ。それはともかく、便利さの追求によって失ったものは何かと聞かれれば、“豊かな自然”だと答える人は多くないだろう。ありきたりな答えだ。ああ何を言っているんだろう。

「残酷」という言葉に焦点を当てて考えてみる。

私は名古屋といっても市外の田んぼのあるような所に生まれた。だから私の小さい頃は外ばかりで遊んでいた。木に登り、秘密基地をつくり、畑をつくった。鶏を飼い、クワガタ、虫、魚を捕まえて飼育した。かわいそうな事もたくさんした。それは意図的でも、不本意でも、ちっちゃな私に捉えられた犠牲者の数はあとをたたない。おかげ様でありとあらゆる事を体験によって知ることができたのだが。それを今するとしたら、それは殺人行為ですごく残酷だ。だけど、小さい子どもは、大人が思うように簡単に残酷とは捉えない。
童話や昔話を例えにすれば分かりやすい。グリム童話だって昔話だって、かなり残酷なことが書かれているけども、あれを簡単に残酷と捉えることは少ないだろう。
そんな経験をしながら子どもは成長し、自我、偏見あらゆるものが育ってゆく。

「わこちゃんってぐろいね」が褒め言葉というのは、それが今述べたような子どもの価値観として、全く“グロい”ことではないと、体験から確信していたからである。そして、自分にはそれだけ体験があるんだという自負によって成り立っていた。



すごく飛躍をしているが、ここでまだ更に飛躍をする。

さて、村上龍や伊坂幸太郎のような小説には、ものすごくリアリティのある残酷さがある。体験(リアル)ではなくリアリティだ。そのリアリティは、現在の時間と同じ時間にある。だから小説を1時間読めば、その中に私たちが生きる“今”と同じ種類の時間が凝縮されて数時間、あるいは何日もの時間が経過する。私がこういう本を読んで非常に疲れると感じることはここにもあるようだ。その妙な限りなく現実に近い現実性は疲労を誘う。

子どもの頃に体験した残酷さと、現代小説にある残酷さは大きく異なる。しかし大きく異なる残酷さは事象という枠にはめる事で同一化される。そうやって現代人は、事象として残酷さを捉えそれを欲す。現在の時の流れでそれを捉えることで、それはより残酷さを増す。つまりリアリティがある。

「わこちゃんってぐろいね」と言った人は事象として残酷さを捉えているから、子どものもつ怪しい価値観では捉えていないのだ。そりゃ残酷に感じる。同じ経験の中にいないんだもの。



自我よりも意識に近い感情だったり本心を描くにこと、そのおぞましさだったり、美しさだったり、そんな“残酷”さというのは、よりリアリティを求めた時に捉えやすい。体験としてのリアリティが少ないことで、より現在の空間としてのリアリティを求めるのだ。だからこそ、それは映画の描写のような、映像が浮かんでくるような強烈なリアリティを起こす。それは、どこか都会的で、文明的。けして文化的ではないが。

幼少時代の体験に縛られて人は生きている。体験としてのリアリティの欠如は、時を経ることでより欲求は強く過激になる。私の幼い頃の生活にも少し触れているが、私だって現代人であり、時に強烈なリアリティを求める。つまり、文明の中で生きる、自然とは少し離れた生活をする現代人の病なのかもしれない。“豊かな自然”と異なったシステム化された世界に生きる私たちは、問題は複雑で欲求不満なのかもしれない。
だから、それは余計におぞましくて、過酷で残酷だ。

問題そして外的現実はあまりにも複雑だが、一人一人の“SELF”(ー夢の源)という軸は決して複雑ではない。湊かなえの告白だと、「マザコン」って切り捨てられるけど、日本って非常に母性原理が強いんだけど、、、ここは河合隼雄の「ユング心理学と仏教」からのインスピレーションが頭に眠ってるからまたいつか掘り出してみよう。


といいますか、多くを書きすぎた。
きっと思考がクリエイティブだともっと端的にまとめられるんだろうな。うぐ。