桜を見るといろいろ思い出します。
去年はまだ意味のことばを何もしゃべれなくて、一生ことばがないことも覚悟せざるを得ない状況でした。
発達外来でこの子が将来的にしゃべれるとは今は言えない言わない、と言われ絶望してました。
しゃべる=コミュニケーションではない。コミュニケーションは表情や間を読む必要があり、知的障害の場合は内容が幼くてもコミュニケーションはとれる。ただ、自閉症があると頭で考えている内容をことばにできないってことでした。
それなら、ことばをしゃべれなくても喉が渇いたときに飲み物が欲しいと伝えられたり、どこか痛いところがあれば訴えられるようにしてあげたいと思いました。
その場で知的障害あり自閉症と診断されたので、それ以上は望めませんでした。

これから体が大きくなるからどんどん育児は大変になっていきますと言われ、多動癇癪の対応とやりとり感のない育児で既に疲弊してたので、息子を育てていく気力を完全に失いました。
無理して遠出する度に、これ以上大きくなると制止できないからこれが最後のお出かけになるかもって思いました。

未来になんの希望もなくて死にたかった。
ちょっとでも油断すると死んじゃいそうな精神状態でなんとか生活してました。
今思い返してもつらくて涙が出ます。

診断から1年2ヶ月経過したいま、息子は私の顔を見ながら3語文をしゃべって、多動癇癪は一年前に比べると落ち着きました。
多動でコンビニさえ連れて行けなかったけど、ショッピングモールで私が試着して服を買うことができるようになりました。

2週間ぶりに行った言語リハビリで言語聴覚士の先生が、模倣とやりとりする力がすごく伸びたと褒めてくれて、お母さんなにかやってますか?って聞かれました。
家で療育的なことは何もやってないのですが、かまってあげる時間が増えたのかな。
呼んでも振り向かないし、一人遊びしかしないからかまいようがなかったけど、最近はままこっちおいでーって息子が誘ってくれるようになってやっと一緒の物を見て感情を共有できる環境になりました。
すぐに興味が移ってしまうので、一緒にじっくり遊ぶことはまだあんまりできないです。

1歳の息子に知的障害を伴う自閉症の診断だけで相当きつかったので、医師の説明がもう少しマイルドだったら前向きな気持ちで過ごせたかもしれない…と思ってしまいます。
一生話すことができないかどうかは今は判断できませんので、できることをやりましょう!
まずは言語リハビリを受けてみましょう!
こう言って欲しかったな。

あのときより育児が大変だと感じるのはまだこれから先のことなのかもしれないけど、悲観しすぎたように感じてます。(今のところ)

もしかしたら療育、リハビリにみっちり通ったおかげで医師の見立てに反して今の状態まで伸びたのかもしれないけど、マイナスな宣告を間に受けてあそこまで落ち込まなくてもよかったような気がする。

1年前より前向きな気持ちで息子と向き合えています。
一緒にお出かけしたり遊ぶ時間も増えました。
この子はきっと大丈夫。
息子なりの幸せを見つけてくれると思う。
これから定型の子と集団生活するようになれば私にこんな心の余裕はなくなってしまうと思うけど、とりあえず今はそう思える。