こんにちは!
お久しぶりですニコニコ
多嚢胞性卵巣とパニック障害と格闘中、
そして妊活中のcheeです。

だいーぶ間空いてしまいましたが、
前回の記事を書いた時、
精神的に結構追い込まれてる感がありましたニコ

なのでしばらくは自分の気持ちと向き合うことに。

そして、やっと最近は妊活エネルギー復活してきましたお願い

私のように、
初めから「子供が欲しい!!!!!」と熱望していたわけでなく、
「将来的には欲しいよね」なんて考えている方は、いざ妊活!となるとエネルギー維持するのに苦労すると思いますチーン

私の旦那さんは家事なんかを結構手伝ってくれますが、
それでも細かい家事は私が担当することが多いです


それに加えて仕事もある。
毎月タイミング前後になると病院に行く機会も増えるので、
職場でも気を使うし、
やっぱり女性に圧倒的に負荷がかかるなぁと思います。


今回は前回と引き継ぎ、
子供産む?産まない?問題について、
私たち夫婦がどのように産む決意をしたのかをお話したいと思います。

少し長くなりますが、
最後まで読んでいただけると嬉しいです照れ


私たちは結婚したとき、
「子供はまだまだ先でいいよね〜37歳くらいで産みたい」と話していました。
ですが、32歳の時に受けた子宮頚がん検診で高度異形成という結果が出て、
状況は一気に変わりました。


子宮頚がん高度異形成となると手術の可能性が高いのです。
しかも、一部切除してそれを検査にまた出して、
高度異形成以上の進行が見られた場合は、
一部切除じゃ済まされない。


その時私の脳裏によぎったのは、
「子供が産めないかもしれない」という事でした。

日本では代理出産が認められていないし、
海外で行うには費用が高すぎる。


「あぁ、私ってこんなに子供がほしいと思ってたんだ」

初めて自分の気持ちに気づいたのです。
正直、「子供なんて産みたい時に産めるんでしょ」と勝手に思ってました。

でも、望むときには産めないという現実もあることをこの時に思い知らされました。

私の場合はその後検査を進めて、
高度異形成がなくなってしまいました。

ですので、手術には至りませんでした。
本当に運が良かったと思います。

この頃には、「産むにはまだ先でいいよね〜」と考えていた私たちが「産むなら早い方がいいね」という気持ちに変わっていました。

そして、そこからが妊活の苦悩の始まりでした、、
続きは次の記事で書きますねアップ