こんにちは。
自分ハグセラピスト☆ちえです。
今日も読みにきてくださり、ありがとうございます
昨日の続きです。
夫の体力は、少しずつ無くなってきているように感じました。
でも、わたしたちは一緒にごはんを食べながら
よく冗談も言って笑うし
明るいがん患者とその女房という感じでした
もう、恐怖というものは無くなっていました。
そんなことより
「今日生きている」という事実の方が大事だったから。
本当に、今日を大切に生きていたから。
そのころ
夫のお姉さんからメールがありました。
お姉さんは、夫の主治医と繋がりがあり
夫のことで会って話をしたそう。
そうしたら
「若いのに症状を受け入れ、ある意味達観したようなところが
すごいね」と感心していたそうで
「患者を卒業した段階と言えるかも。怖がらないところは
子どものがん患者の様子に似ている。」
「奥さんも、パニックになっていなくていいね」と。
そんな風に話していたそうです。
お姉さんは
「昔からずっと子どものように素直な人です」と話したそうです。
それから数日して
夫は天国へ帰っていきました。
事実を静かに受け入れながらも
最後まであきらめずに精いっぱい生きた夫は
命を全うして帰って行きました。
夫と一緒に寝台車に乗って
伊勢原の病院からの帰り道はどこを通るかを聞かれ
わたしたちは134号線の海岸沿いを選びました。
混んでいるかも、と運転手さんが言っていたけれど
潮風に当たらせてあげたいと思い、お願いしました。
”わたしたち”というのはわたしの姉のこと。
姉は、この日ずっと一緒にいてくれて
帰りも寝台車の後を車でついてきてくれました。
その時の姉の想いが
後日メールで送られてきました。
~ここから~
ちえこちゃん。
7月30日、帰り道を海側の道を選んで大正解だった気がする。
空がものすごーくきれいでさ、
あ~、これって今のヒロちゃんの状態を見せてくれているんだなーって
思いながら運転してたらさ、虹が出たよ。
ヒロちゃんが出してくれた虹だと思ったな。
すぐに携帯で知らせようと思ったけど、慣れてないので遅れちゃった。
でも、わたしは見たよ。ヒロちゃんの虹。
「ノープロブレム、おれもちえこもすべて美しい」って、
祝福しているようだった。
思いっきり「ありがとう」の美しさだった。
悲しいのと、まだ信じられなくてぼーっとしてはいたけど
不思議とはればれとして、清々しい気持ちになった。
ヒロちゃん、ありがとー!
ちえこちゃんとヒロちゃんは、一番苦しい時に
一番美しい生き方をした。
それを実践して見せてくれたから、七沢温泉の社長さんも
他のいろいろな人も、自然に「ありがとう」という言葉が
出てくるんだね。
たぶん、このメールを読む時はずいぶん後になると思うけど
あの虹の感動が薄れないうちに書いておこうと思う。
~ここまで~
夫と過ごした最後の半年間。
はじめ、病気が見つかって
お医者さんから私だけが呼ばれて話を聞いたとき
目の前が真っ暗になって、立ち上がれなかった。
目を開けているのに真っ暗で何も見えないんだ。
怖くて怖くて逃げ出したかった。
でも
それは、これからいろんな人と出会い
生きる意味や深い愛を知るための出来事だったんだと
今ならわかる。
夫もわたしも
自分の人生を決めてこの世に生まれ
そして出会った。
わたしたちがこの体験をすることは
どこかでちゃんと知っていたんだろう。
そう、寿命さえも・・。
心の学びをして
自分の人生は自分で決めてきたと腑に落ちた時
夫もわたしも強い魂。
よくこの体験を選んで生まれてきたね、すごいね!って
わたしたちの人生を愛おしく思う。
これがわたし。
この人生を選んで生まれてきたんだ。
たとえ、どんなに辛いと思う出来事も
すべては喜びで生きるための
プロセスでありメッセージだと思う。
だから、これからもわたしは
何があっても大丈夫って思えるんだ。
みんなみんな愛されている。
この世は愛でいっぱい。
素敵な世界。
そして
子どもたちもまた
わたしたちを親に選び、生まれてきたんだね。
ありがとう。
これからも、よろしくね

夫が亡くなった時
まっさきにこの手紙を書いた長男。
タッタが、思いっきり弾きたかっただろうギターと
思いっきり食べたかっただろうご飯の絵。
優しい子。懐かしい。
3歳になったばかりだった二男は、
「タッタが箱に入ってた!」って目を丸くして言っていた。
(お棺のことね。)
タッタきっと笑ってるね、ってわたしも笑った。
うん。それも懐かしい
最後まで読んでくださり、ありがとうございました
自分ハグセラピスト☆ちえです。
今日も読みにきてくださり、ありがとうございます

昨日の続きです。
夫の体力は、少しずつ無くなってきているように感じました。
でも、わたしたちは一緒にごはんを食べながら
よく冗談も言って笑うし
明るいがん患者とその女房という感じでした

もう、恐怖というものは無くなっていました。
そんなことより
「今日生きている」という事実の方が大事だったから。
本当に、今日を大切に生きていたから。
そのころ
夫のお姉さんからメールがありました。
お姉さんは、夫の主治医と繋がりがあり
夫のことで会って話をしたそう。
そうしたら
「若いのに症状を受け入れ、ある意味達観したようなところが
すごいね」と感心していたそうで
「患者を卒業した段階と言えるかも。怖がらないところは
子どものがん患者の様子に似ている。」
「奥さんも、パニックになっていなくていいね」と。
そんな風に話していたそうです。
お姉さんは
「昔からずっと子どものように素直な人です」と話したそうです。
それから数日して
夫は天国へ帰っていきました。
事実を静かに受け入れながらも
最後まであきらめずに精いっぱい生きた夫は
命を全うして帰って行きました。
夫と一緒に寝台車に乗って
伊勢原の病院からの帰り道はどこを通るかを聞かれ
わたしたちは134号線の海岸沿いを選びました。
混んでいるかも、と運転手さんが言っていたけれど
潮風に当たらせてあげたいと思い、お願いしました。
”わたしたち”というのはわたしの姉のこと。
姉は、この日ずっと一緒にいてくれて
帰りも寝台車の後を車でついてきてくれました。
その時の姉の想いが
後日メールで送られてきました。
~ここから~
ちえこちゃん。
7月30日、帰り道を海側の道を選んで大正解だった気がする。
空がものすごーくきれいでさ、
あ~、これって今のヒロちゃんの状態を見せてくれているんだなーって
思いながら運転してたらさ、虹が出たよ。
ヒロちゃんが出してくれた虹だと思ったな。
すぐに携帯で知らせようと思ったけど、慣れてないので遅れちゃった。
でも、わたしは見たよ。ヒロちゃんの虹。
「ノープロブレム、おれもちえこもすべて美しい」って、
祝福しているようだった。
思いっきり「ありがとう」の美しさだった。
悲しいのと、まだ信じられなくてぼーっとしてはいたけど
不思議とはればれとして、清々しい気持ちになった。
ヒロちゃん、ありがとー!
ちえこちゃんとヒロちゃんは、一番苦しい時に
一番美しい生き方をした。
それを実践して見せてくれたから、七沢温泉の社長さんも
他のいろいろな人も、自然に「ありがとう」という言葉が
出てくるんだね。
たぶん、このメールを読む時はずいぶん後になると思うけど
あの虹の感動が薄れないうちに書いておこうと思う。
~ここまで~
夫と過ごした最後の半年間。
はじめ、病気が見つかって
お医者さんから私だけが呼ばれて話を聞いたとき
目の前が真っ暗になって、立ち上がれなかった。
目を開けているのに真っ暗で何も見えないんだ。
怖くて怖くて逃げ出したかった。
でも
それは、これからいろんな人と出会い
生きる意味や深い愛を知るための出来事だったんだと
今ならわかる。
夫もわたしも
自分の人生を決めてこの世に生まれ
そして出会った。
わたしたちがこの体験をすることは
どこかでちゃんと知っていたんだろう。
そう、寿命さえも・・。
心の学びをして
自分の人生は自分で決めてきたと腑に落ちた時
夫もわたしも強い魂。
よくこの体験を選んで生まれてきたね、すごいね!って
わたしたちの人生を愛おしく思う。
これがわたし。
この人生を選んで生まれてきたんだ。
たとえ、どんなに辛いと思う出来事も
すべては喜びで生きるための
プロセスでありメッセージだと思う。
だから、これからもわたしは
何があっても大丈夫って思えるんだ。
みんなみんな愛されている。
この世は愛でいっぱい。
素敵な世界。
そして
子どもたちもまた
わたしたちを親に選び、生まれてきたんだね。
ありがとう。
これからも、よろしくね


夫が亡くなった時
まっさきにこの手紙を書いた長男。
タッタが、思いっきり弾きたかっただろうギターと
思いっきり食べたかっただろうご飯の絵。
優しい子。懐かしい。
3歳になったばかりだった二男は、
「タッタが箱に入ってた!」って目を丸くして言っていた。
(お棺のことね。)
タッタきっと笑ってるね、ってわたしも笑った。
うん。それも懐かしい

最後まで読んでくださり、ありがとうございました

