ヨットハーバー存続を 琵琶湖、150隻が湖上デモに海洋大国日本の未来を思う
日本は四面を海に囲まれた海洋大国である
その海に親しみ、考えることが出来る一つの方法の
ヨット
これもいわゆるこの国の行く末を見つめる哲学の無さだ
内向きに道路や、建物を作るのもいいが
その狭いところにさらに詰め込むより
広い海へ向けて間口を広げるのも大切で
ヨットハーバーもその一つではある
子供から大人まで楽しめるスポーツで、
日本の置かれた地政学的な考察を容易にすることの
助けになると思うが。。。。。。。。。
その海に親しみ、考えることが出来る一つの方法の
ヨット
これもいわゆるこの国の行く末を見つめる哲学の無さだ
内向きに道路や、建物を作るのもいいが
その狭いところにさらに詰め込むより
広い海へ向けて間口を広げるのも大切で
ヨットハーバーもその一つではある
子供から大人まで楽しめるスポーツで、
日本の置かれた地政学的な考察を容易にすることの
助けになると思うが。。。。。。。。。
普天間基地移設問題について
膠着状態に なっている普天間基地移設問題について
鳩山首相は
県外・国外移設を主張してきた社民党の意見を重く見て
懸案すると言っているが
両者とも合意に代わる具体案を示していないのは
話にならない。
子供ではあるまいし
ただ、ダダをこねて良い問題ではない
県外なら何県! 国外ならどの国!
具体案を示すべき!!
あの北朝鮮の「のらりくらり」と
いっしょ
アメリカから見たらただの茶番にしか見えないし
とても通用するとは思えない。。。。。。。。
鳩山首相は
県外・国外移設を主張してきた社民党の意見を重く見て
懸案すると言っているが
両者とも合意に代わる具体案を示していないのは
話にならない。
子供ではあるまいし
ただ、ダダをこねて良い問題ではない
県外なら何県! 国外ならどの国!
具体案を示すべき!!
あの北朝鮮の「のらりくらり」と
いっしょ
アメリカから見たらただの茶番にしか見えないし
とても通用するとは思えない。。。。。。。。
神戸の「ルミナリエ」に思う
まず、東京で二番煎じみたいなものをやっていますが、
ただの、お祭り騒ぎにしてしまっているのは論外です。
資本主義に毒された東京ならでは。。。。。。
最初の年にたまたま行きましたが、鎮魂の思いに溢れた
静謐な空間に圧倒されました。
今が全く無いわけではありませんが
目的があいまいになっており
少し考えさせられ事があります。
やはり原点に戻るべきでしょう
予算の肥大化による、継続の困難の問題
お祭り騒ぎになりつつあること
お 祭りが決して悪いとは思いませんが
やはり違うと思います
毎年、広島の原爆記念日の慰霊祭に行きますが
静謐な空間に世界中からの平和を願う心が集っているのを感じます
それが一番大事なのでは
やはり「鎮魂の思い」からぶれないで
やるべきでと思います。。。。。。。。。。。
ただの、お祭り騒ぎにしてしまっているのは論外です。
資本主義に毒された東京ならでは。。。。。。
最初の年にたまたま行きましたが、鎮魂の思いに溢れた
静謐な空間に圧倒されました。
今が全く無いわけではありませんが
目的があいまいになっており
少し考えさせられ事があります。
やはり原点に戻るべきでしょう
予算の肥大化による、継続の困難の問題
お祭り騒ぎになりつつあること
お 祭りが決して悪いとは思いませんが
やはり違うと思います
毎年、広島の原爆記念日の慰霊祭に行きますが
静謐な空間に世界中からの平和を願う心が集っているのを感じます
それが一番大事なのでは
やはり「鎮魂の思い」からぶれないで
やるべきでと思います。。。。。。。。。。。
日本初の赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」を考える
この方法については賛否両論があります。
私が思うに色々な対処の仕方の内の一つと言う
とらえ方をしております
子供を虐待して殺してしまう親もいれば
困り果てて、心中してしまう親もいます
それでも頑張って何とかしようとする親もいます
物事の尺度は数限りなくあると思います
百万の人間には百万の環境があると思います
平均的な見方をしても個々の状況には対応しきれないのでは?
だから、一つのフィルターで濾しきれず
いくつものフィルターで振り分け、問題解決へと
導かなければ習いと思います
この「ゆりかごも」一つのフィルターでは?
一般的に行政はフィルター一つで解決しようとしまうすよね
育児放棄、幼児虐待、親子心中。。。。。
一般的には
親は子供卸すことにはためらいがあり
出来る事なら産んで育てようと思うし
産んで頑張って育ててみても
どうしてもできない状況はあると思います。
最悪のケースえお避けるために
この方法を考え出したと思います。
どちらにしても苦渋の選択でしょう
世の中には、行政だけでは解決できない問題もあります
それをあえて世に問う、また、放っておけないとの思いからでは
この病院がやっておられるの崇高なことだと思いますが。。。。。。。。
私が思うに色々な対処の仕方の内の一つと言う
とらえ方をしております
子供を虐待して殺してしまう親もいれば
困り果てて、心中してしまう親もいます
それでも頑張って何とかしようとする親もいます
物事の尺度は数限りなくあると思います
百万の人間には百万の環境があると思います
平均的な見方をしても個々の状況には対応しきれないのでは?
だから、一つのフィルターで濾しきれず
いくつものフィルターで振り分け、問題解決へと
導かなければ習いと思います
この「ゆりかごも」一つのフィルターでは?
一般的に行政はフィルター一つで解決しようとしまうすよね
育児放棄、幼児虐待、親子心中。。。。。
一般的には
親は子供卸すことにはためらいがあり
出来る事なら産んで育てようと思うし
産んで頑張って育ててみても
どうしてもできない状況はあると思います。
最悪のケースえお避けるために
この方法を考え出したと思います。
どちらにしても苦渋の選択でしょう
世の中には、行政だけでは解決できない問題もあります
それをあえて世に問う、また、放っておけないとの思いからでは
この病院がやっておられるの崇高なことだと思いますが。。。。。。。。
「結婚しても子ども必要ない」が4割 内閣府調査より
「子どもを持つ必要はない」との考えに賛成の回答は男性が38.7%、女性が46.4%。だそうです。
もともと、結婚の概念とはいかなるものか
結婚と言う言葉ではなく
「男と女」が、広く言えば「雄と雌」が一緒になり子供を作り
子孫を残していくと言うのは、永遠の動植物の本能ではないのか?
ここで、男子より女性の方が多いと言うのは
どう解釈すればいいのだろう
女性が本能的に子供を作る事を拒否しているのか
将来の不安(人類が淘汰されることを)をそういう形で表しているのか
何も日本だけに限ったことではなく、世界的な傾向だろう
詳しくはわからないが
動物の世界ではどうなのだろう、あまりそのような事を聞いたことがない。
結局、世紀末なのかもしれない。
そうならない事を望むけど。。。。。。。。。
もともと、結婚の概念とはいかなるものか
結婚と言う言葉ではなく
「男と女」が、広く言えば「雄と雌」が一緒になり子供を作り
子孫を残していくと言うのは、永遠の動植物の本能ではないのか?
ここで、男子より女性の方が多いと言うのは
どう解釈すればいいのだろう
女性が本能的に子供を作る事を拒否しているのか
将来の不安(人類が淘汰されることを)をそういう形で表しているのか
何も日本だけに限ったことではなく、世界的な傾向だろう
詳しくはわからないが
動物の世界ではどうなのだろう、あまりそのような事を聞いたことがない。
結局、世紀末なのかもしれない。
そうならない事を望むけど。。。。。。。。。
小学英語、事業仕分けで「教材廃止」
教育とは国の根幹にかかわるものである
決して事業ではない
国の基本方針にも基づく国策です
「友愛」を説くなら
他言語の教育は絶対必要だ。
ただ、前にも書きましたが
中途半端な英語教育ではやらない方がましで
言語教育の基本となる
国語教育をすべきです
他言語教育とは異文化間のコミュニケーションツールと成り得て
他国と自国の違いを理解するのに非常に役に立つものです
その教育に不安を教師が覚えるのは、それ以前の問題です
英語を通してその文化の背景を教授出来るようでなければ意味がない
そのことを理解していれば問題はないのだが
一冊の薄っぺらいテキストに頼り、右往左往するようでは
到底理解などしていないと思われる。
もっとプライドと自信を持って欲しい。。。。。。。。
決して事業ではない
国の基本方針にも基づく国策です
「友愛」を説くなら
他言語の教育は絶対必要だ。
ただ、前にも書きましたが
中途半端な英語教育ではやらない方がましで
言語教育の基本となる
国語教育をすべきです
他言語教育とは異文化間のコミュニケーションツールと成り得て
他国と自国の違いを理解するのに非常に役に立つものです
その教育に不安を教師が覚えるのは、それ以前の問題です
英語を通してその文化の背景を教授出来るようでなければ意味がない
そのことを理解していれば問題はないのだが
一冊の薄っぺらいテキストに頼り、右往左往するようでは
到底理解などしていないと思われる。
もっとプライドと自信を持って欲しい。。。。。。。。
5千年続いた仙台湾の砂浜、30年で消滅の恐れ
常々思うのですが
人間が生きていく上で消費していくものは
色々あります
何十万年かけて生成した酸素
それを二酸化炭素に変えて消費
何十万年かけて生成したきれいな水
いろんな不純物を混ぜて汚染
この砂浜もそうです
自然が自然の営みの中で消費していくものもありますが
これは定められた消費だと思います
人間がその流れを無視して消費するのは
自然に反するものです。
人間が自然の流れの中で淘汰されるのは
次の再生につながります
しかし、人為的に消費していくのは
どこかで必ずひずみが起き
不自然な形で淘汰されるでしょう
それも自然なのかもしれませんが。。。。。。
人間が生きていく上で消費していくものは
色々あります
何十万年かけて生成した酸素
それを二酸化炭素に変えて消費
何十万年かけて生成したきれいな水
いろんな不純物を混ぜて汚染
この砂浜もそうです
自然が自然の営みの中で消費していくものもありますが
これは定められた消費だと思います
人間がその流れを無視して消費するのは
自然に反するものです。
人間が自然の流れの中で淘汰されるのは
次の再生につながります
しかし、人為的に消費していくのは
どこかで必ずひずみが起き
不自然な形で淘汰されるでしょう
それも自然なのかもしれませんが。。。。。。
マンション更新料「無効」求め20人が一斉提訴 京都地裁
こうゆう事こそ国が基準を決めるべきでは。
昔から不思議に思っていましたが
全国各地でまちまちな慣習があり
そんなことはここでは常識ですよと
儉もほろろに不動産屋に言われたことが有ります
有る地域では常識でも、違う地域では非常識になる
なぜ、基準を作れないのでしょう
利権がないから、一応資産のある方の見方をするから
官僚は借家住まいをしたことがないのでしょうか
どなたか説明していただけませんか?
。。。。。。。。
昔から不思議に思っていましたが
全国各地でまちまちな慣習があり
そんなことはここでは常識ですよと
儉もほろろに不動産屋に言われたことが有ります
有る地域では常識でも、違う地域では非常識になる
なぜ、基準を作れないのでしょう
利権がないから、一応資産のある方の見方をするから
官僚は借家住まいをしたことがないのでしょうか
どなたか説明していただけませんか?
。。。。。。。。
世界タイトルマッチ、内藤選手潔く敗戦受け入れ
勝負の世界は基本的に勝つか負けるかしかないのです。
勝負の後には
勝った人には、勝った人のその後の世界が出来
負けた人にも、その後の世界が出来る
それは、勝った人の世界が良い
とはいかないのが世の中で
世の中の全てのことも同じです。
いまどきの運動会で勝負にこだわらず
みんな一緒に手をつないでゴールしよう
それで良いのでしょうか
負けた内藤選手に「観客の人たちからのありがとうコール」
それは、それまでの苦労、選手の潔さに送られたエールで
区別があるから起きることです
勉強が出来る、運動が出来る、掃除が出来るなどなど
教育の場ではそれらは区別です
それを自分自身で理解し、何か得意な分野を見つけることが
一番大切なのです
決して、平均化の中では見つけられません
それらを包括するゆとりのある社会を望みますが。。。。。。。
勝負の後には
勝った人には、勝った人のその後の世界が出来
負けた人にも、その後の世界が出来る
それは、勝った人の世界が良い
とはいかないのが世の中で
世の中の全てのことも同じです。
いまどきの運動会で勝負にこだわらず
みんな一緒に手をつないでゴールしよう
それで良いのでしょうか
負けた内藤選手に「観客の人たちからのありがとうコール」
それは、それまでの苦労、選手の潔さに送られたエールで
区別があるから起きることです
勉強が出来る、運動が出来る、掃除が出来るなどなど
教育の場ではそれらは区別です
それを自分自身で理解し、何か得意な分野を見つけることが
一番大切なのです
決して、平均化の中では見つけられません
それらを包括するゆとりのある社会を望みますが。。。。。。。
本当に創造的なもの
どんな物でも
創造的なものを作ろうと思えばスキルが必要です
スキルは過去営々と築かれたものの模写から始まります
ここまでは、日本においても同じです
その後が問題です。
社会の許容範囲があまりにも狭いのです
その社会が持つ余裕が大きくないと模写の次にくる創造が
行えないのです
まだ昔の方が貧しいけれどその余裕が有ったのではないでしょうか。
英才教育についても
平均化の名のもとに埋没してしまうのが現状です
天才も凡才もありのままでいいと思います
それぞれ個性だからです
どちらも存在意義があると思います
それを今の教育は「モグラたたき」みたいに
出れば打つ
でなければ出そうとする
「モグラたたき」の穴の中にはめ込もうとしているように見えます
もっと自由度があっても良いのでは。
「本当に創造的なもの」とは
そう簡単に社会が受け入れることが出来るものでは無いので
「 孵卵器」に相当する機能が社会に備わっていないといけないし
そこでしか育たないでしょう。。。。。。。。。。。。。。。
創造的なものを作ろうと思えばスキルが必要です
スキルは過去営々と築かれたものの模写から始まります
ここまでは、日本においても同じです
その後が問題です。
社会の許容範囲があまりにも狭いのです
その社会が持つ余裕が大きくないと模写の次にくる創造が
行えないのです
まだ昔の方が貧しいけれどその余裕が有ったのではないでしょうか。
英才教育についても
平均化の名のもとに埋没してしまうのが現状です
天才も凡才もありのままでいいと思います
それぞれ個性だからです
どちらも存在意義があると思います
それを今の教育は「モグラたたき」みたいに
出れば打つ
でなければ出そうとする
「モグラたたき」の穴の中にはめ込もうとしているように見えます
もっと自由度があっても良いのでは。
「本当に創造的なもの」とは
そう簡単に社会が受け入れることが出来るものでは無いので
「 孵卵器」に相当する機能が社会に備わっていないといけないし
そこでしか育たないでしょう。。。。。。。。。。。。。。。