ワールドビジョンさんのブログに
エチオピア訪問したジュノの文章がのせられてます。
あがったのは、3月13日でした。
3月のはじめに World Vision Magazine に掲載されたものと同じと思います。
変な訳で申し訳ないと思いつつ

ちょっとだけでも、ジュノの言葉が伝わればいいかな、って思って
のせますね…
原文 http://www.wvblog.org/460
4年ぶりの休暇. ‘幸福を求めて離れたエチオピア’
エチオピアに行こうと決心した時はペルメタという友人を後援し始めて7~8ヶ月になった時であった。
ものすごく忙しい日常の中で明日もどんな一日になるかも知れない状況にぼくはますます疲れて行ったし自分自身を失ってしまうようだった。
ぼくが好きなことししているのだが、くり返されるならばスランプに落ちるのは多分誰でも経験したことだろう。
まさにその頃、ボンウォン兄 (JYPミュージックエンジニア) とご飯を食べて‘本当に幸せというのは何だろうか?’ という話をした。
いろいろな答えが出たが、好きなことをして生きて、良い人に会うこと、家を買って、車を買うことと等等、小さくてささいなことから、まださらに努力してこそ得ることができる幸せに対して意見を交わした。
もちろんそれも幸せになることができるだろう…でも、ぼくが受けた愛を誰かに与えたいという考えは、歌手活動をしながら常に感じていたから、自然に話の方向は、後援児童のことに移って、その幸せに対して語っていたが、私だけでなくボンウォン兄も他の機関に支援をしながらその幸せを感じているということだった。
忙しい日常で単にご飯を食べて "それではぼくたちに時間ができればぼくが後援する友だちを見に行きます。"という話をすぎながらしたもので記憶をするのに、その約束はいくら忙しくて大変でも、ぼくの心の中に深く残っていた。
このことが実現されるまでには多くのことがあった。
先にワールドビジョンに連絡をして何が重要で、どんな準備をしなければならないのか、知りたいことを尋ねて、あらまし時間を互いに合わせてみると約束はしていたが、あれこれ個人活動と放送スケジュール、そして初めて開始することもできる演技活動に対するスケジュールもあって、実際は心の中で深く悩んでいた。
‘より多くの認知度を積んでより良い影響力を広げるだろうか.. でなければはやく決めていつ行くかも知れないこの日程を実行に移すだろうか?’
特に長い時間を悩むことはなかったが、答えはすでにぼくの心の中にあったかもしれない。 この際行くことが、この時間を本当に甲斐があるように送ることができるという気がしたためだ。
そしてちょうど1月16日の夜、飛行機に乗ってエチオピアに出発することになった。
エチオピアの友人にあげる贈り物は、エチオピアの気候特性上、日較差が激しい点を憂慮して風を止める風防けジャンパーもいくつか準備をして、残りは現地で準備することにした。
なぜなら韓国で買っていった贈り物は、ひょっとして子供たちには分からない不安感を与える可能性もあるためだった。
まず10時間程度ドバイで飛行をし始めた。 マネジャーもなしでワールドビジョン スタッフ二名、ボンウォン兄の4人でエコノミー座席に座ったが、その気持ちがあまりにも手にあまってときめいた。
海外スケジュールのためにものすごく多くのフライトをしたが、このように子供のようにときめいたことは初めてだった。
ドバイに到着した後、再び4時間程度また、飛行をして、エチオピア首都アジスアベバに到着した。
天気は暖かかった。 暑さに弱くてちょっと心配をしたが天気も乾燥して涼しい風も吹いたし、長時間のフライトで久しぶりに太陽の光を浴びて気持ちもとても良かった。
全てのものが完ぺきだった。 もう私だけ上手にすれば良いという気がした。
飛行機からおりてまず食事をして子供たちへの贈り物を買うお金を両替した。
アジスアベバから2時間程度先のAmboという所で一晩寝て、翌日朝起きて8時間の間ジープに乗って赤い土の道の舗装されていない道路を走って、子供たちがいるワールドビジョン エチオピア チムマゲネティ事務所を訪れた。
到着するやいなや子供たちが花をくれて、歌と踊りを始めたが事実恥ずかしかった。 私がこのように歓待を受けてもかまわないようだったし、子供たちがあまりにも熱心にしたためだ。
3日間のチムマゲネティでの生活。
そこで私の後援児童ペルメタと色々な子供たちに会って、彼らの楽しみと苦痛を一緒にした。
一日はペルメタと水をくみに行った。 バケツの代わりに使う石油カンの中には油カスが残っていたし、水はとても飲めない状態であった。 子供が難しいように見られて筒に水を長くて与えてくれるが、このような水を手で与えている矛盾という考えに苦しかったよ。
ここには飲める水が本当に至急必要だった。 もちろんワールドビジョンで飲料水ポンプを設置して村に変化を与えているが、人口数に比べてその数が不足して、皆がきれいな水を飲むには難しい状況だった。 私たちの助けがさらに切実な点だ。
お父さんなしでママと双子の妹を代わりに育てる幼い子供もいたし、先天的にエイズを持って生まれて新しいお母さんと兄弟の世話を受けて生きる子供、お父さんが足に象皮病が激しくて、ふつうの靴は履くこともできない、そのような家庭.。
準備した贈り物と靴、靴下で病気を保護する方法も知らせて、ウェットティッシュでも洗ったが、私たちが立ち寄っていた家以外にも多くの家庭がこのような苦痛の中で一日一日を生きていくということが初めてぼくを無力にさせた。 そして考えた。
‘ぼくが生きている人生はこれらに比べてあまりにも安らかで幸せな人生だね。’ 本当にこのように享受している私でなくとも多くの人々がこの問題に少なくとも関心を持つことができるならば、今すぐではなくてもいつかは良い環境を作ることができると考えた。
知らなかったことだが、エチオピアと我が国は、短いが歴史が繋がっている。
朝鮮戦争勃発時3,000人の軍事を支援したし、200人余りが戦死した。 さらに朝鮮戦争以後エチオピアではクーデターが起きて国の文明水準がますます退歩し始めた。
以前には我が国より良い暮らしをする国だったという。
こういう事実を知ったら気楽に後援児童を見にきたという心が何か責任感を持つようになった。 そしてぼくたちが大変な当時に助けてくれた人々を思い、ぼく一人でも小さいながらも大きい希望を与え、この事実を知らせ、支援すべきだとの気がした。
ワールドビジョンが建てた学校に立ち寄った。 どんなに山と森で子供たちが一つ二つにやっと現れたのか、本当に不思議だった。
車から降りただけなのに誰もいなかったその周囲が200人程度の子供たちで混みあい始めた。 そして私たちを不思議に思っていた。
ぼくはどうしたらいいかわからなくて、彼らと握手して、頭も撫でて、いたずらをして、抱きしめていた。 何の話をすることもなくそのようにお互いを理解したようだ。
子供たちと一緒に歌も歌ってみてサッカーもして走ったりキャンプファイアーもしてみながら、あまりにも夢が大きくて明るくて陽気な友人ということがわかった。
本当に大変で空腹の生活の中でも、表面に大きな不満もなしで一つ一つがんばっている姿を見守りながら考えた。
少しでも幸せを持つ人々がその幸せをこの友人らと共に分けて、また、子供たちに大きな夢と希望を植え付けることができるならば、この国に必要な人々は大きくて出ないだろうか?
実際に一緒に行ったボンウォン兄と子供たちが歌って踊る姿を見て、子供たちに本当に良い条件が与えられるならば、世界的なスターはもちろん本当に大きい人材にならないかという話もした。
それだけ子供たちには才能もあったし浮気心もあった。 夢見ることができる未来が無限だったから。
ペルメタには個人的に山羊とリンゴの木をプレゼントした。 ペルメタは個人所有の家畜がなくて他の家の山羊を代わりに育ててその日の持分を受けて過ごすといったが、直接育てて乳を搾って、愛と愛情をあたえる方法を知らせたかったためだ。
リンゴの木の場合、植えて3年後に初めての実がなるが、そのまた、愛で育ててみるならば愛情を与えただけ美しい結実を持つことができるということを感じさせてあげたかった。
それでリンゴの木だとは言わなかった。 後日突然現れたリンゴを見て驚きと満たされることを感じないかと思ってからだった。 :)
今回のエチオピア日程はあまりにも満たされてすばらしい旅行だった。 行ってから3週間が過ぎた今、この文を書いていて、いつ行ってきたのか分からないほどあまりにも夢のようだ。
ものすごく忙しかった日常の中で少しの間だけでも私を振り返ってみて、私が他人に役に立つという事実に感動した。
事実今、この文を書く瞬間もあまりにも忙しい。 だが、時折その時を思い出して幸せを感じる。
ペルメタも、私に会ったすべての子供たちもぼくを記憶してくれと言いたくない。
ただ大きく成長し、人に幸せを施すことができる時がくれば、その時ふと浮び上がることになる、そしてぼくに助けを受けた幼い時を考えながら、自身よりさらに大変な人を助けることができる人になったら良いだろう。
それが生きている幸せであり、他人を助けることができるという喜びであり、それによって広がる愛を知ってほしい。
ジュノの気持ちがしっかり書かれた文章ですね。。
よければ
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