勝負前日 12月3日(土曜日)に沖縄に着くと
やる気を削ぐつもりなのか?台風の様な大雨と風
・ そんな中、ゼッケン交換と神頼みに行き ・
・ この日の為に、10年近くやってきたと ・
言っても過言ではない、一夜明けの決戦当日の朝は
!?!? 昨日の神頼みが効いたのか ?!?!
『Yah~~~!!昨日の天気が嘘の様な晴天!』
いよいよチェブを装着して、本番をスタートするも
ーーーー 身 体 は 正 直 ーーーー
・ ・ 走る練習自体してないうえに ・ ・
平均気温(25.9℃ / 湿度75%)12月として102年
ぶりに28℃まで上がっていたらしい、
天候に負けたか 10キロの程度で、
もう足が攣りそうになる(泣)
こんな早い段階で?? もう騙し騙し行くしかない
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とにかく、今までの経験と知識だけが頼り
攣って動けなくなり、
前に進めなくなる事だけは避けなければ・・
「ピキっ」ときたらヒラメ筋を伸ばすよう
踵をしっかりつける様な動きをしたり
大股で歩きながら股関節のストレッチを
含めたり張っている部分を押して
マッサージをしてみたり
足の指が攣りだしたら、体重の乗せる位置を
変え足底にも気を遣ったりと、
出来る限りの知恵を使い止まる事なく
牛歩戦術で、前へ前へと進んだものの
これが現実、あと一歩間に合わず、
中間地点の少し前で、
制限時間の花火を聞く事になってしまった。
そこで見た景色は、閉鎖されたコースの中央に
あ〜る晴れた♪昼〜下がり♪市場へ〜続く道〜♬から命名
↑ ↑『通称ドナドナ・バス』が鎮座し↑ ↑
その中に項垂れている人々が飲み込まれていく姿。
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それを横目に観ながら他人事と、
建物の裏を通過
ここで終わってはいけない!
まだカラダは動く!!
出来るところまで行くぞ!と、
スイッチを入れ替え
『覚悟を決めろ、ここからが本番』と
コースに復帰
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・・・・ もちろん係の人も見ていて ・・・・
「ここからは歩道を行ってくださいね」と
言われるので『決して違反ではない!!』
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ただここからのコースは、
ほとんど人はいないので
もう大会の華やかな姿は残っていなく
コース上に広がるのは
「閑散とした宴の後の景色」
ー ー ー そ ん な 中 で も ー ー ー
ひめゆりの塔の前で「慰霊の会釈」をしていたら
(このピースマークは、意味が伝わってるのか微妙だが・)
↑ 修学旅行の学生たちに手を振られたり(笑)↑
あと片付けをしている人が
掛け声を掛けてくれたりするので、
たまには、手を振る会話をしたりするが
ひたすら前に進む事を考える
「孤独な練習の延長戦」
ー ー 第 2 関 門 で さ え ー ー
もう御役御免で閑古鳥・バスさえいない(笑)
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・ そんな炎天下の砂漠を進み続けていると・
何度かスクーターの鬼ぃさん←(お兄さん)が
後ろから『大丈夫ですか?』
優しい声で『乗りますか?』と
ドナドナバスを引き連れ現れ
『プシュ〜』とご丁寧にオイラの真横で
入り口のドアを開けてくれるという
『絶賛開催中!勧誘大作戦!!』を
浴びせてきたが
・ ・ ひたすら、ご丁重にお断りし続け・ ・
20キロの孤独な旅も終盤、ここまで戻ってきた。
しかし、その先に見たものは
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ま る で ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
入ってはいけない学校の裏門のように閉ざされた
↑ ↑ あまりにも虚しい姿に変わった ↑ ↑
ゴールであるはずの、奥武山公園への入り口。
ここ?通っていいんだよな??と
不安になりながら
宴あとの、人もまばらなになった公園中を通過し
閉ざされた鉄の門にだが、
戻って来ることができた
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中間地点で制限時間に達してしまい
コースの半分しか
『NO WAR / HOPE PEACE』を愬えることが
出来なかったのは、
チカラ不足で申し訳ないし
今日の行動が、何かの役に立てたのかわからない。
・ ・ ・ ・ そ れ で も ・ ・ ・ ・
= = = = = 結 果 は = = = = =
1時間20分オーバーと完走書もメダルもないけど
自分の足だけで辿り着いた『自分的に無事完走!』
本当の意味で『やっとここに戻ってこれた。』
! これが精一杯 !! 満足!! 悔いはない !